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11×11路32枚制北宋象棋(プロトシャンチー)用将棋盤を作成(長さん)

前回述べた、北宋初期の、シャンチーのプロトタイプ用に使用する、
11×11路盤を、下の写真のように仮作成してみた。
100円ショップの普通の将棋盤に、ボール紙で1列分線を余分に引
き、もともと10×10路用の象棋盤に、ほぼ、使える状態のものを、
11×11路で、使えるようにしている。ただし、もともと将棋盤な
ので、聖目が、チグハグになってしまった。
 そこに、前回述べたプロトシャンチー①のタイプの、32枚制北宋
象棋の形に、普通のシャンチーの赤・黒駒を並べてみた。

北宋将棋.gif

なお、北宋将棋には、この他に砲と車の列の入れ替わりの、11×
11路34枚制のタイプ②があるが、このタイプのゲームをするには、
手持ちのシャンチーの兵卒駒が、一つづつ足りない。ただし、②より
は①の方が、玉頭がスカスカで無い分、ややましなので、こちらだけ
先に、検討しようと考えた。
 今回は、片付けついでに1局だけ試し一人指ししてみた。やはり、
初手に▲1四砲△11八砲と、車の筋の外側から、兵卒取りが出来て
しまうため、以降、砲と車を使った、駒の取り合いだけが、終局まで
続くだけの、およそシャンチーの駒が入り乱れるイメージからは遠い、
つまらないゲーム展開になってしまった。
 前回述べたように、このゲームは、少し指されてから、中国人は皆、
象棋からは、しばらく手を引いた。そして、中国中原都市部の象棋界
には、シャトランジを指すアラブ移民だけが、残される状態になった
のではないかと、私には懸念される。(2018/01/31)

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中国シャンチー。なぜ進化開始が晩唐、普及が北宋時代なのか(長さん)

橿原考古学研究所の清水康二氏によると、ものと人間の文化史/将棋Ⅰ
の著者で、遊戯史学会の会長、増川宏一氏が、唐代の宝応将棋を認めた
がらないように、遊戯史界では言われているのは、「象棋型ゲームの中
国への伝来が、唐代になってしまうと、『日本への伝来が、平安時代草
創期ころまでになる』という、元の将棋博物館の木村義徳氏の論の、広
まりを、警戒している為」との事である。ちなみに一般には、シャンチー
の成立は、遅ければ日本で平安大将棋が発生した頃まで、遅れたのでは
ないかという説が今の所強い。なお本ブログでは、宝応将棋が存在する
かどうかに余り関係なく、イスラム・シャトランジが、唐の長安で、イ
スラム系の移民、大食と言われた人々によって、9世紀には確実に指さ
れていただろう、という立場をとっている。根拠は、シルクロードの存
在、唐代のイスラム文化の隆盛、そしてイスラムシャトランジの、少な
くとも本国、アッパース朝での、かなり早い時期からの存在である。
 そして更に、そのイスラムシャトランジから中国シャンチーは、改良
を加えると、自然に生成されると見ている。が、以上の事から、イスラ
ムシャトランジが長安で、公知になってから、中国シャンチーが成立・
普及するまで、

ざっと250年は、かかっている計算になる。ではなぜ250年も
改良に、時間が掛かって、成立が唐代でも、五代十国時代でもなく、
北宋の時代にまで、ずれ込んだのであろうか、

と言うのが、今回の論題である。
 回答に以下、先に述べる事にする。ようするに、新要素としては、

イスラムシャトランジに砲を加えて、中国シャンチーにするのだが、
当初、11升目ゲームにこだわって、出来のよいものが作れなかった

のではないかと、私は疑う。なお、11升目のプロト・シャンチーにつ
いては、朱南鉄著「中国象棋叢考」という書籍にあり、初期配列図や、
ルールについては、岡野伸氏が自費出版した「世界の主な将棋」(19
99年)で、私は見聞きしている。私には、現時点でなぜ、

唐~北宋期の中国のゲームデザイナーには、砲駒の追加によるシャトラ
ンジの拡張に、こだわる流れが強かったのか、実の所は良く判らない。

ひょっとして、砲という武器の性能が、五代十国末期から北宋時代にか
けて、急激に改善され、象棋ゲームの中に、そのアイテムを加える事が、
流行ったからかもしれないが。しかしとりあえず、

何故だか知らないが、中国の都市部のゲームデザイナーは、アラブシャ
トランジに砲を入れて、より面白いゲームを作ろうとしたと、先ず仮定

する。すると、現実として、

盤升目の調整や砲の入れ方、歩兵の配置変更が、結構難しい

のに、やってみると気がつく。たとえば、岡野さんの著書には、

①砲を外列に加えて、11×11升目32枚制プロト・シャンチー
にしたゲームや、
②砲を馬と車の間に加えて、更に帥/将を2段目に上げた、チャンギの
ような配列の11×11升目34枚制プロトシャンチーにしたゲーム

が、プロト・シャンチーの例として、載っている。しかし、たとえば、
これらのプロトシャンチーの配列を見ると、現在のシャンチーに比べて、

砲と車の単調な攻撃を、より受けやすい、できの悪いゲームになって
いる

と、私は見る。
たとえば、
①のゲームでは、相手砲の三つ前の、後手で言うと、1四と11四の
位置に初手で先手砲は動けるので、ここへ、砲を初手で進めると、後
手の兵のどれかが、只取りになるのが、私でも容易に思いつく。また、
②のゲームでは、相手の砲のすぐに前の升目や、象の同じく、すぐに
前の升目にスキがある。さらには、もっとまずい事に、将を一つ上げ
てから、どちらかの砲も一つ上げ、5手目に砲を将の、すぐ後ろの升
目に移動させると、ただちに相手に王手を掛けられるゲームになる。
以上のように、中国や韓国、北朝鮮のゲーマーなら、どうみるのか、
今の所未調査だが、両方とも余り優れたゲームのように、少なくとも
私には見えない。
 だから結局の所、

9×10路の現在の配列のシャンチー・チャンギが、砲と車が攻め駒
のゲームでは配列が良く、特に盤升目は、これ以上増やさないほうが
よい

という、性質のゲームに、砲・車攻撃型のゲームでは、なるのでは
あるまいか。
 しかし、初期の頃には、砲は大駒で、一段目に配列するのが自然に
見えた。そのため、11升目や11路のゲームを、作ろうとする傾向
が、しばらく続いたのかもしれない。そして、失敗すれば、

中国の都市部では、イスラムシャトランジの振り出しに逆戻り

の繰り返しだったのでは、あるまいか。その結果、ひょっとすると、
砲を入れればよいとは言っても、それで性能の良いゲームを、実際に
考え付き、かつ皆を、それに従わせるのには、それなりに時間が掛
かったので、

シャンチーはシャトランジからの改良と、一本化と普及に、実際には
約250年もの、相等長い時間を要してしまった

のかもしれないと、私は見るようになったのである。(2018/01/30)

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朝鮮広将棋(18C)の盤・駒を仮作成してみた(長さん)

前回、復刻を試みた、18世紀版の朝鮮広将棋の盤駒を以下の写真の
ように、作成してみた。なお、盤は囲碁型の交点置きの盤ではなくて、

朝鮮広将棋.gif

このブログが開設して、まもなくに紹介した、駒数多数中国シャンチー
ゲームの試作のとき用いた、

升目の中に、日本将棋の形の駒を置く、

14段×15筋升目盤を、有り合わせのため使用している。従って駒も、
日本将棋に、仮にタックシールを貼った、だけのものを今回は作った。
なお、写真の赤丸は、それぞれの軍の大将の、”帥”の駒である。
 この仮の朝鮮広将棋用日本駒は、偶然同じ升目数だった、私の試作し
た、駒多数シャンチー新ゲームの試作のとき用いたものを、名前を変え
る為、タックシールに書き直して、張り替えたものである。

当然だが、かなりの枚数の駒は、以前用いたものが、そのまま使えた。

今回は、片付けついでに、一局だけチェックした。その一局の試し指し
の感じでは、

このゲームは、玉(帥)守りがとても弱い

ように思えた。前に私が作成した、より中国シャンチーに近い、14×
15升目チャンギ/シャンチー様ゲームと比較しても、玉の守りが、
もとから、ばらばらな感じがした。そのため油断すると、

かなり駒が余った状態で、帥がトン死するような展開が多い

ゲームのような気がする。ゲーマーにとっては、その方が爽快かもしれ
ないが。この点でも、比較的堅陣の、後期大将棋とは正反対である。
 なお、仕に、自由な仕と、九宮から出れない仕があるのは、不自然な
ようだ。

将の後ろ升目の自由な仕(士)と、帥の斜め後ろの九宮内の二つの仕
(士)は、別の名前にした方が良い

ような気がした。
 以上繰り返しになるが、”複雑なために廃れた”と言われるものの、
戦術は、枚数が元々多い砲と車の、差し回しが中心になり、展開が単調
なので、むしろ現在では、高度に洗練された普通のチャンギよりも、こ
のゲームの方が指し方が、簡単になる可能性もかなり有ると、私は思う。
(2018/01/29)

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朝鮮広将棋。”奇”駒の動かし方ルールは、たぶん狛犬(長さん)

少し前に紹介した、18世紀版の朝鮮広将棋について、復刻に向けルール
の推定を少ししてみた。伏が横に走れないと、相手の砲で、中央部が撃た
れやすいので、伏が、前3方歩み、残り五方走りの雨龍の動きでも、
構わない事は明らかなようだ。
 しかし、”騎”が、七国将棋の騎だと、まずいことが起こりそうだ。
右端の最前列の相手の騎が、初期配列で左辺の左側の騎に、当たって
いるからである。
 なお、奇の動きを未知数として除外すると、この将棋では、端筋最前列
駒には、もともと繋ぎ駒が無いように見える。

15・・・・
十十十游十十十前十十十游十十十・一
車仕象十車象仕十仕象車十象仕車・二
十将十奇十十十帥十十十奇十将十・三
砲十馬十十馬砲十砲馬十十馬十砲・四
十十十伏十十十後十十十伏十十十・五
騎騎騎十歩歩歩十騎騎騎十兵兵兵・六
十十十十十十十十十十十十十十十・七
十十十十十十十十十十十十十十十・八
歩歩歩十騎騎騎十兵兵兵十騎騎騎・九
十十十伏十十十後十十十伏十十十・十
砲十馬十十馬砲十砲馬十十馬十砲十一
十将十奇十十十帥十十十奇十将十十二
車仕象十車象仕十仕象車十象仕車十三
十十十游十十十前十十十游十十十十四

つまり、上図で下の方の駒を持つ先手が、▲15六騎(11九)と進め
ると、後手の端の騎が只取りできるのである。従って、端筋の15六位
置の後手”騎”には、奇で、もとから繋ぎがあるとしか思えないのであ
る。そうするためには、12三位置の

奇のルールは、表題のように将棋纂図部類抄の狛犬型の跳び越え駒の類

だと考えざるを、得なくなる。しかし、それでも、まだまずい。
 ▲15六騎△同奇の後、先手▲同砲となり、余りにも駒の討ち合いが
早く起こりすぎる。これでは、象棋ゲームとしては、あまり良くなかろ
う。

 以上の事から、騎を七国将棋の騎にすると、恐らくまずい事が判る。

恐らくこの騎は、七国将棋の騎ではなくて、西洋チェスの八方桂程度の、
馬と異なり、塞馬脚の無い西洋式のナイトの動き程度が、穏当なのでは
ないだろうか。
 ざっとではこの”複雑すぎて廃れた”とされる、チャンギ系広象棋は、
以上程度のルールの付与・変更で、帥をチャンギ九宮動きの玉駒にすれ
ば、そこそこ楽しめるゲームなのではないかと、だんだん私には思えて
きた。何れにしても、これはチャンギの類であって、後期大将棋からは
遠い。特に奇が、獅子ではなくて、狛犬になってしまったため、更に
遠くなったように思える。(2018/01/28)

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徳島県徳島市川西遺跡出土駒の内訳(長さん)

個人的にうっかりしていたのだが。現時点で、2009年前後に
奔横駒が出土している、徳島市近郊の川西遺跡で、将棋駒が何枚出土し、
内訳がどうなっているのか、私は個人的に、正確に把握できていなかっ
た。
 前に調べた事があり、かなり多数の小将棋の駒の中に、奔横が一枚
混じって出土したという話のような印象を、私は少し前まで持って居た。
しかし、さいきん江戸東京博物館で公開された、川西遺跡の出土駒出展
の記録等によると、

奔横駒一枚、恐らく裏無地の金将駒2枚、無地駒1枚の、合計4枚だけ

であると、大概のwebサイトには記載されているようである。歩兵駒
等も有ったような記憶が、うる覚えだがあったが、私の勘違いだったら
しい。が結論として、こんなに枚数が、少ない話だったのかどうか、
私には8年前頃の話を、良く思い出せない。
 駒の写真の載っているサイトの、その写真を見ると、無地駒はだいた
い金将位だが、金将よりも少し大きく、それに対して奔横駒は、跳び
ぬけて大きい。

無地駒については、私のぱっと見では、玉将を製作しようとした

ように、たとえば中尊寺近郊の、出土駒のパターンからは見える。
出土駒の数が少なすぎて、はっきり断定するのは、とても無理だが。
一応江戸東京博物館出展品を、見たとしたら、枚数がこれだけだと、

小将棋とその当時の大将棋の兼用品

だと、私はイメージとして作るに違いない。大将棋の駒は、やや大きさ
が釣り合わないが、後から付けたしのイメージである。ちなみに、

金と奔横の間の大きさで、金に近い大きさに作る駒は、玉将位

しか、思い当たらないので、玉将は、小将棋をするときだけ、最大の
大きさの駒になり、私の”付けたし説”が成り立つ。

飛龍、横行、猛虎等は、有ったとすれば、やや小ぶりに、細長く作る
ような感覚

が、他の場所から出た駒から、個人的には有るのである。
 なお、ここでイメージしている大将棋は、本ブログの見解によれば、
徳島川西大将棋とでも言うべき、歩兵が四段に配列され、奔横が中央
の、平安大将棋の横行の前の升目に、加わった仮説でしか無い未知の
将棋を指す。従ってここでは、平安大将棋が、後期大将棋へ少しずつ
進化して、到達した事を示した、

”奔横”駒は、大将棋研究史上、跳びぬけて重大な史料の発見

と、本ブログでは、位置づけられていると、言う事である。
 なおマスコミの一部には、この”奔横は奔王の当て字だ”との、現在
有力な説が書いてある場合がある。本ブログでは、川西出土駒の時代に、
奔王駒は存在しないと見る。根拠としては、

”当て字”で駒名を書く例は、少なくとも元駒に関しては他に例が無い

という点が挙げられる。
 また、今では余り聞かない説だが、川西出土駒が”中将棋の駒である”
と書いてある、マスコミ記事があるようだ。これについては、舌足らず
な記事だと、私は思う。なぜならその文面の中に、共出土した

金将の裏が、どうなっていたのかについて、記載が見当たらない

からである。中将棋なら金将は飛車に成り、草書体で飛車と、2枚の
金将の裏に書いてないと、おかしいからである。
 ともあれ、この4枚だけだとすれば、

これらが川西遺跡時代(鎌倉中期、西暦1230年前後か)の大将棋
専用の駒群

だと言われても、余りに奔横以外の駒枚数が少なすぎて、はっきり否定
もできない事に、なっているように思う。(2018/01/27)

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大局将棋の北狄。何故成りは鳩槃なのか(長さん)

日本の将棋の駒には、2~4つで、一つのグループを作るというケー
スが、幾つかある。ポピュラーなのは、これから述べようとしている
①四つで一組の、東西南北民族名駒、のほか
②四つで一組の、青龍、朱雀、白虎、玄武の四神駒、
③二つで一組の、獅子と狛犬、
④二つで一組の、堅行と横行、
⑤二つで一組の、堅兵と横兵、
⑥二つで一組の、前衛と後衛、
⑦五つで一組(?)の、大旗、前旗、中旗、後旗、小旗、
等である。これから述べようとしている①の東西南北名駒は、大大将棋と
泰将棋、大局将棋にある。ここでは、成りを話題にするので、その成
りを示すと。
イ.大大将棋では、東夷が獅子、西戎が狛犬、南蛮が白象、北狄が
香象に成る。なお、wikipedia等では、香象は斜め前走りの、
その他方向2歩、白象が斜め後ろ走りの、その他方向二歩の動きである。
ロ.泰将棋は、少なくとも水無瀬兼成の将棋纂図部類抄流では、全部
不成りのはずである。江戸時代には、大大将棋と同じと見なされたよ
うだ。
それに対して、以下が今回の論題の内容なわけだが、
ハ.大局将棋では、東夷が獅子、西戎が狛犬、南蛮が金翅、そして

北狄が、表題のように鳩槃(”くばん”ないし”きゅうはん”)に成る。

今回の論題は、成りの理由を問題にする。すなわち、南蛮のパターンから
北狄が、大龍に成らないのは、大局将棋の大龍が金翅に比べて、見劣
りがするのは当然として、なぜ奔鷲とか、孔雀とか、鳩槃以外の別の駒
を選択せずに、鳩盤を鳩槃に、

右の駒だけ不自然に変えてまで、鳩槃を北狄の成りとして選択したのか

という事である。
 なお、鳩槃(右鳩盤)は鳩盤(左鳩盤)より強く、”斜めに隣接駒が
有っても、その先の升目へは行けないが、その先の先の3升目先の升目
へは跳べ、さらに、そこで止まってもよいし、更に先の4升目先の升目
と5升目先の升目へは、6升目以上はだめだが、走りができる”という
ルールになっていると、私は認識する。金翅の斜め前の強い動き(世界
の将棋では、駒を3つまで跳び越せる)と、同等にするためとみられる。
 そこで話を多少、見えやすくするため、結論から先に書く。

 大局将棋の作者は、中将棋の堅行と横行の成りが、普通唱導集時代の
大将棋という、有る決まった一つのゲームの駒から、飛牛、奔猪に決ま
った事を、何らかの理由で知っていて、特定の将棋種、このケースは
大大将棋の駒から、成りを選ぶのにこだわったから

だと、私は考える。そう考えられる根拠は、次の一点である。

中将棋の堅行と横行の成りをどうしたのか、というケースしか、実は、
北狄の成りを大龍に出来ずに、困ったときに、成りを鳩槃にするという
選択をする根拠が、全ての日本の将棋に関して、一通りのそのケース
についてしか、存在しない為

だと私は見る。
 一通りしかないのは、

2~4で1組という駒種は、日本に将棋駒の種類は多数有っても、その
ようなケースが、そう、多くは無い事に起因している。そして、そもそ
も、駒が他の、いろいろな駒に成るケースで、単に奔という修飾詞を付
けて、成りにしてしまう、摩訶大大将棋のようなケースは、参考になら
ないので、はすずと、大局将棋の作者にとって参考になる将棋種は、
中将棋と天竺大将棋、大大将棋、和将棋、そしてもしかすると荻生徂徠
の広将棋に限られるのである。なお後期大将棋や泰将棋は、成りがそも
そも無いので、大局将棋の成りを考える際に、参考にならないために絞
れるのである。
そこで、実際に、各将棋を当たると、
元駒、たとえば堅兵と横兵とか、前衛と後衛とか、獅子と狛犬とかの、
少なくとも一方の元駒と、関連性の無い成り駒名を、それぞれの駒の、
成りに付けているケースは、それぞれの場合について、細かく当たれば、
明らかになるのだが、現実に、たまたまだろうが、

中将棋の堅行と横行が、飛牛と奔猪になっている他には、例が見当たら
ない

のである。この点に関しては、

ここでの主張が正しい事を、読者に実際に調べてもらって、確かめて
もらうしか、信用してもらう方法は無い

とは思う。
 という事は、大局将棋の作成者は、中将棋の堅行と横行の成りの作成
の経過が、両方ともに、牛が猛牛として、猪が嗔猪として、
普通唱導集の大将棋に有ったため、その修飾詞を猛牛は飛牛に、嗔猪は
奔猪に変えた上で、中将棋の堅行と横行の成りとして、使用したものであ
ると、何処かに、情報が残っており、かつどうやってか知らないが、その
事を知っていたのだろう。そして、その前例を

自分が作成しようとしている大局将棋にも、適用する事にこだわった

疑いが強いという事である。なお大局将棋の作成者は、恐らく江戸時代の
将棋の家元、大橋本家の人物だとみられる。
 彼は、東西南北民族名駒の成りで、南蛮と北狄は、大局将棋の香象と白象
が、水無瀬の泰将棋の八方2歩の小駒に、大大将棋からは変更されていて、
結果、成り駒として、使えないと見ていた。そこで、まずは南蛮の成りを、
金翅に変えた。ところが、金翅とペアの大龍は、江戸時代の将棋本では、
斜め前に動けない、横走りの6方駒に変わってしまった。そのため、大局
将棋では、”江戸時代大龍”を採用したくなく、大局将棋ではやはり、
水無瀬の泰将棋の大龍の、角行+前後3目歩に変えた。が、これでは金翅と
のつりあいで、大龍(泰将棋・水無瀬の将棋纂図部類抄)では、弱すぎて、
北狄の成りには使いづらかった。
 そこで、大大将棋の中に現われる駒で、成りになりそうな、鳩槃に目を
つけた。すなわち、左鳩盤を鳩槃(右鳩盤)に、前例が無いが、左右で
不規則にルール変更し、動きを強くして、北狄の成りにしたのである。
 他方、もともとの(左)鳩盤は、変狸と、驢馬の成りにも用いていた。
これらの成りが、現在の左鳩盤なのは、もっともらしく、この鳩盤も残した
かった。そのため元駒としても、北狄の成りである鳩槃(右鳩盤)と、
変狸と驢馬の成りである、鳩盤(左鳩盤)が、

別々にあったまま、大局将棋では左右に、不規則的に放置されるという、
奇妙な事

になったのではあるまいか。
 そんなへんな事になるまでして、北狄の成りを、別の駒、たとえば大大
将棋ではなくて、天竺大将棋の奔鷲や、泰将棋の孔雀といった、大局将棋
の南蛮の成りの金翅と、これらでも、つりあいの取れる駒にしなかったのは、

ペアとなる駒の成駒は、一定の、より昔の将棋種の、2種の駒より選ぶべき

という、方式にこだわり、かつその前例が、

今では初期配列の記録の残って居無い、普通唱導集時代の大将棋である
可能性がある

事を、ひょっとしたら示しているのかもしれないと、私は大局将棋のルー
ルを見て、思うようになった。すなわち、

現在では記録がほとんど無い、鎌倉時代中期の大将棋に関する情報は、
江戸の中期、将軍徳川家治の時代の頃には、まだどこかに残っていた疑い
があるのではないか

と言うわけである。(2018/01/26)

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朝鮮広将棋の初期配列はwikipedia外国版で紹介されている(長さん)

前に、岡野伸氏の自費出版書”世界の主な将棋”(1999)よりの情報
として、14段×15筋の朝鮮広将棋が、高麗国の頃より有り、雷淵集に
記載があるという話を、本ブログでも紹介した。ただし、雷淵集自体が、
現在の北朝鮮の文献らしく、それ以上の情報の無い、少なくとも本ブログ
では謎のゲームであった。
 しかるに最近、wikipediaの外国版に、その雷淵集の朝鮮広将棋
の、18世紀に於ける初期配列が紹介されているのに、検索していて私は
気がついた。それによると初期配列は、次のように記載されている。
 各6段組で、上の方が相手側の43枚の駒、下の方が自分の駒である。

十十十游十十十前十十十游十十十
車仕象十車象仕十仕象車十象仕車
十将十奇十十十帥十十十奇十将十
砲十馬十十馬砲十砲馬十十馬十砲
十十十伏十十十後十十十伏十十十
騎騎騎十歩歩歩十騎騎騎十兵兵兵
十十十十十十十十十十十十十十十
十十十十十十十十十十十十十十十
歩歩歩十騎騎騎十兵兵兵十騎騎騎
十十十伏十十十後十十十伏十十十
砲十馬十十馬砲十砲馬十十馬十砲
十将十奇十十十帥十十十奇十将十
車仕象十車象仕十仕象車十象仕車
十十十游十十十前十十十游十十十

朝鮮広将棋初期配列(駒は交点置き)

なお、上の図で、”兵”は”歩”と書かれているが、チャンギ系は横にも
歩めるケースがありうるので、”兵”に私が直した。十には駒は置かない。
”仕”は実際には”士”と書かれているが、上では見難いため変えている。
ちなみに、岡野氏の世界の将棋で記載されている、”中軍”とは、中央筋、
第3段の帥駒を中心とする、9筋5段の駒のうち、内営から出られないと
見られる、帥と仕を除いた残りの、進軍できる駒を指すと見られる。その
領域をwikipediaでは、赤い線で囲っているように見える。また、
”上軍”は、それに比べてはっきりとはしないが、袖の”将”を中心とす
る隣接9升目に在る駒や、6段目の駒を指すのかもしれない。なお、
そこにも仕があるが、チャンギ系のゲームなので、将と将の後方隣の仕は、
ひょっとすると自由に、相手陣まで動けるのかもしれない。また”将”は、
恐らく玉駒では、無いと、みられる。
 なおwikipediaの今紹介したサイトは、広将棋の英訳である、
”Gwangsanghui"という語句で、容易にヒットする。
 そこで、そのサイトを見てもらえれば判ると思うが、wikipedia
外国版の、朝鮮半島の古将棋(チャンギ類)の説明に有るように
”朝鮮広将棋については、駒の動かし方のルール等、詳しい事は、欧米
でも良く判っていない”とされる。
 とは言っても、この14段×15筋86枚制朝鮮広将棋の、駒の動かし
方で、幾ら考えても判りそうも無いもので、かつ重要なのは、帥・将し同じ
段に有って大駒っぽい、”奇”位なのではなかろうかと、私は思う。
 そもそも、中国シャンチーと同じ名前の駒は、玉駒が八方動きのチャンギ
系、象がチャンギの象であるのは別として、同じと見てよかろう。
 蛇足だが、朝鮮広将棋の作者は、特に玉駒を漢・楚には、変えなかった
ようだ。
 また、騎、前、後は、七国将棋の騎、荻生徂徠広将棋の前衛、後衛に、
近いのではないか。また、ひょっとすると”游”は七国将棋の行人と、同じ
ルールなのかもしれないと思う。”伏”は、あてずっぽうだが、試しに
大局将棋の、”雨龍”の動きにしてみると、良いかもしれない。すると、
獅子の動き等、何か、特殊な動きをすると、懸念されるのは、”奇”位では
なかろうか。なおチャンギ系の象棋であるから、たぶん皆、成らないと思う。

 この程度の駒数であれば、復刻も、さほど困難ではあるまい。

 何れにしても、この将棋が、たとえば日本の

 後期大将棋に、あんまり似て居無い事は、どうみても確か

だと思われる。また、はっきりした記録が、日本の江戸中期、荻生徂徠の
広将棋の成立期と、同じ頃のものしか残って居無い事から、曼殊院文書
に記載された、各種の日本将棋に影響を与えたとの、確たる証拠は、無
くなってしまった。
 恐らく、新安沖沈没船の、15×15升目将棋盤(?)の時代には、
朝鮮広将棋は、ひょっとするとまだ、確立もされておらず、有ったとして
も、全く別系統のゲームなため、日本の駒数多数系将棋への影響度も、
江戸時代の古文書の予想とは違って、実際には低いのではあるまいか。
 やはり、新安沖沈没船の、15升目盤が意味するのは、
大将棋が15升目程度の朝鮮広将棋の仲間であるべき、という主張ではな
くて、15升目の盤の、5段目外の線に聖目を書いた遊戯盤は、見栄えが
よいので、

一般にその程度の升目を必要とするボードゲームは、できれば15×15
升目盤でするべき

という、中国元朝時代のゲーマー達の主張のコピー、なのではないかと、
私は推定するのである。(2018/01/25)

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大局将棋のフラッシュ・プレーヤー・ソフトサイトのチェック(長さん)

たぶん、10年位前から、有るのではないかと思われるが、web上
で、対人で大局将棋が指せるサイトがある。たぶん立ち上げて、同一
画面を2人で見ながら、マウスの操作を一手毎に交代して、指すと言う
使い方なのだと思う。ソフト指しのモードは、たぶん今も無いので、
余り使用されている形跡は無く、操作は軽い。
 さいきん久しぶりにアクセスして、一局一人指しをしてみた。
 以下のような、大局将棋の棋譜を得た。
▲11二四仲人(11二五)△26一三仲人(26一二)
▲11二五飛鷲(13二七)△26一二飛鷲(24一〇)
▲15二四吼犬(18二七)△22一三吼犬(19一〇)
▲16二五大師(19二八)△21一二大師(18九)
▲22二四狛犬(19二七)△15一三狛犬(18一〇)
▲6二四犬(6二五)△31一三犬(31一二)
▲1二五歩兵(1二六)△36一二歩兵(36一一)
▲1二六横猿(2二七)△36一一横猿(35一〇)
▲2二五飛鷲(11二五)△35一二飛鷲(26一二)
▲3二五歩兵(3二六)△34一二歩兵(34一一)
▲4二五車兵(1二八)△33一二車兵(36九)
▲26二四仲人(26二五)△11一三仲人(11一二)
▲26二五飛鷲(24二七)△11一二飛鷲(13一〇)
▲31二四犬(31二五)△6一三犬(6一二)
▲2一一吼犬成(15二四)△2一一左車(1一〇)
▲2一一飛鷲成(2二五)△35二六吼犬成(22一三)
▲2一七大鷲(2一一)△36二七狛犬(35二六)
▲18一大鷲(2一七)△18一太子(19一)
▲36二七車兵(36二八)△36二七大師(21一二)
▲36二七横猿(35二七)△22一三狛犬(15一三)
▲2二三車兵(4二五)△36二七狛犬成(22一三)
▲36二七土車(36二九)△25一二角鷹(25一〇)
▲2一一車兵成(2二三)△16一七飛鷲(11一二)
▲16一七大師(16二五)△35二六飛鷲成(35一二)
▲2一七四天王(2一一)△19一太子(18一)
▲17一六飛鷲(26二五)△35二〇大鷲(35二六)
▲2一六飛鷲(17一六)△19三六大鷲(35二〇)
▲19三六太子(18三六)△1一〇車兵(1九)
▲12二一大師(16一七)△12二一車兵(1一〇)
▲2一一飛鷲成(2一六)△2一一車兵(12二一)
▲2一一四天王(2一七)△17一二歩兵(17一一)
▲25二五角鷹(25二七)△15一三大旗(19九)
▲22二二角鷹(25二五)△33一三車兵(33一二)
▲2二二角鷹(22二二)△34一三歩兵(34一二)
▲4一三四天王(2一一)△35一二角鷹(25一二)
▲2一一角鷹成(2二二)△18一太子(19一)
▲4一五四天王(4一三)△19一太子(18一)
▲16二五大鷹(2一一)△35二一大将(18四)
▲18二五大鷹(16二五)△18一太子(19一)
▲18一四天王(4一五)まで、79手で先手の勝ち。

少し前に述べた、先・後手共に、四天王・大鷲を作って、玉・太子
を、八方に自駒が配置されていて、身動き出来ないうちに、倒すと
いう戦略で、先手はまじめに、後手はやや、気を抜いて指してみた。
すると、上記のように一般には、3000手以上必要と、マスコミ等
で放映されている大局将棋は、本来はむしろ急戦型のゲームで
ある事の、有力な証拠が今回初めて得られた。すなわち79手で、
後手は玉将・太子共に、先手に討ち取られて負けた。
 なお先手も、終局の時点で、自玉は後手に討ち取られている。

やはり大局将棋は、両者が最初から相当に、慎重に指さないと、簡単
に終わる将棋

の類に、ほぼ間違いが無い事が、web上に恒常的に解放されている、
このソフトを使っても、一応確かめられうるように思う。(2018/01/24)

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中国シャンチー。広まらなかったのは、日本将棋の先普及からだけか(長さん)

九州のある場所で、中国シャンチーの古駒が少数出土したという話を、
webサイトのどこかで、前に私は読んだ記憶がある。しかし結局、
日本では11世紀から、日本の将棋は隆盛したが、中国シャンチーや
その変形ゲームが、本土で普及したという事実は無い。
 一般には、”日本の将棋が普及したので、指す人間がおらず、中国
象棋は流行らなかった”が、定説のように認識している。当ブログで
も、

原始平安小将棋の、歩兵の金将成りが、ウケた

という論を繰り返し書いてきた。
 しかし、そもそも、ゲームとしては当時、日本の平安小将棋よりも、
進化していた中国シャンチーが、

知識人の間でも、記録として、余り指されて居無いように見えるのは
何故なのだろうか

と、思う。
 他方前回、中国晩唐の政治家、牛僧儒の編集した玄怪録の将棋であ
るとの、意見がある(普及した仮説)宝応将棋は、原始平安小将棋の
プロトタイプであるのだが、

物語に出てくる、敗軍の天那国が天に昇って星座になった、日本の飛
鳥時代の、任那国を連想させるため、駒名を真似る事を、日本人に拒
否される等、評判が悪かった

との、このブログ独自の論を述べた。冒頭に述べた謎につき、以上の
事から、先に結論を書いてしまうと、中国シャンチーと宝応将棋は、
全く別であるにも係わらず、

中国人の紹介した将棋は総じて、日本の敗戦となる国際紛争を模した
ものである、との噂が立った

とすれば、シャンチーの普及が、日本国内で立ち遅れる、少なくとも
要因の一つになる

のではないかと、ここでは見る。つまり、私に言わせれば、現在でも
唐王朝時代に中国には、2種類の将棋状のゲームがある事を、知る者
は、このブログの世界以外では少ないが、

平安時代にも、まさか2種類中国に、日本の奈良時代に将棋があった
とは、ほぼ誰もが想像はしなかった

と、疑われるのではないかと思う。そのため、長安に移住したアラブ
人(大食人)が、現地で指していた、アラブシャトランジの進化品で
あると言うのが、本ブログでの説である、中国シャンチーと、当時雲
南の、南詔国で指されていたと、本ブログでは独自に見る、宝応将棋
は、今も昔も

誰もに、いっしょくたんに見られている

のではないか。
 以上の論の証拠としては、

江戸時代の将棋書に、しばしば各将棋種類が、どんな時代のどんな国
同士のどの戦闘だったのかが、記載されている点

を挙げる事ができると思う。これは、その時代の歴史に思いをはせ、
その将棋種をプロモーシュョンする狙いも、あるのだろうが。

”この作品はフィクションであり、現実に存在するいかなる、国とも
一切関係がありません”

と、場末に断る映画といっしょで、ゲームという娯楽ツールが原因で、
隣国との関係が、悪化するのを防ぐ意味も、あるのではないかと思う。
なお、それはその時点で見て、昔からの習慣に、江戸時代の将棋本が
則ったという事なのであろう。
 逆に言うと、宝応将棋をプロモートした、玄怪録の物語は、

その失敗例であり、日本対中国の朝鮮半島南部での、飛鳥時代の
国際紛争、白村江の戦を模したゲームである

との印象を、平安時代の日本人に、与えてしまった疑いが、あるの
だと私は思う。そしてそれが、実は全く別種類のゲームである、

中国シャンチーに対する、平安時代中期~末期の日本人の印象にも、
繋がってしまった

のではないか。そのため、中国シャンチーが後代輸入されても、将棋
としては、余り遊ばれず、

単に鳥羽上皇が、駒を占いの道具にする程度で終わってしまった

のかもしれないと、私は思う。
 なお、その様子を、実は李氏朝鮮のチャンギ盤駒業者は、見ていた
のではないのだろうか。彼らは、それを見て、ひょっとしたら

以前のチャンギでも玉駒が、将や帥で有ったものを、古代中国王朝で
その時点で、実際に有る国との関連の少ない漢・楚に変えて、日本へ
の輸出用に回した

のかもしれない。本来輸出用のチャンギの道具であったのだが、性能
や意匠がよかったのであろう。のちに、韓国国内等でも普及して、

現在のチャンギ駒の玉駒として定着

したのかもしれない。以上のような、やや淡いが証拠から、
ひょっとしたら中国シャンチーが、韓国等と違って、歴史的に日本で
は普及しなかった理由は、

玄怪録の敗戦国の名称に、問題があったからというのも、一つはある

のかもしれないと、私は疑うようになったのである。(2018/01/23)

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玄怪録の将棋駒の名、上、天、輜。不採用理由の負け戦は白村江の戦(長さん)

以前”日本の平安時代の一条天皇の頃に、日本の奈良時代の中国晩唐代
怪奇小説、玄怪録の文書を参考に、日本で原始平安小将棋が作成された”
という、大阪商業大学の研究者の説の、批判として名高い、”作成され
た将棋の象、馬、車の修飾詞が、表題のように、上、天、輜ではなくて、
酔、桂、香と、違う字にした事が説明困難”が、大阪商業大学の研究者
の”日本の将棋一条サロン発生説”にとって、否定的な材料には、なら
ないと、

このブログで大阪商業大学の論文を、擁護した事

があった。そのときには、玄怪録の”宝応将棋”物語の中で、戦に負け
た国となっている、

天那国が、実質日本軍である疑いがあるための、忌避

とは述べた。がしかし、確かにこれが玄怪録式の修飾詞、上、天、輜を
避ける理由とは、のべたものの、具体的に、暗々裏に述べられている、
実際に有った戦争が、例えば飛鳥時代の、

白村江の戦であるとは、証明できる材料を示す事ができなかった。

しかしその後、中国の星座、すなわち、日本の平安時代の一条天皇の頃
にも、日本の朝廷組織内の陰陽寮の天文博士も、使用していたとみられ
る星図に書かれたそれを良く調査した所、

天那は、”(敗戦の日本府で著名な)任那を星座にしたもの”との証拠

があるのに気がついたので、以下報告する。
 中国古代からの星図は、近年の日本の天文学史の成書にも、しばしば
そのコピーが載っている。しかしながら、中国の古文書等のコピーは、
劣化していて

たいへん見難く、中国星座の作成規則がどうなっているのか、正直私に
は、良くわからなかった。

しかるに最近、1970年代に作成された、ふつうの88星座と、中国
古式星座を混ぜたような文書が中国にあり、更にそれを書き直して、
きれいにした、天の南極付近を除く全天星図が、天文系の雑誌、

天文ガイド2013年6月号(誠文堂新光社)に、早稲田大学文学部の、
近藤二郎氏の作成した星図として載っている

のを、偶然発見した。内容で特記すべき星座は、

現代星座の”やまねこ(山猫)”座を、中国の天文関係者は”天猫”座
と訳している

と、言う事である。なお、同じく現代星座のこと(琴)座は、天琴座、
うさぎ(兎)座は、天兎座、はと(鳩)座は、天鳩座と訳す。ようする
に、中国人は、天に上げられ、星座になった文物には、我々の直訳と違
い、天を余計に付ける習慣が昔からあると、考えてよいと言う事だろう。
その事は、図でダブって示されている、中国古来からの星座の、名前の
パターンを見ると、良くわかる。しかもこの場合、やまねこ座の例の
ように、

修飾詞で、絶対に必要とまでは言えない字は、削除してしまう傾向が
ある

と、言う事である。なお、図中に”猫”の中国星座は、他には無く、や
まねこ座は実は、星を線で結んでも、まず山猫には見えないほど、不明
瞭な星座である事で、設定者のヘベリウスの時代から、有名である。
 他方、玄怪録に話を戻すと、物語の中で敗戦する天那国は、実在する
ある地方の国名を、星座風の言葉で表現したもの、ととれる。死後の世
界と宇宙とは、昔から繋げられる傾向が強いので、怪奇録の時点で、
あの世に行ってしまった、晩唐期基準の亡国を、”○那国の星座”の
ように、表現するのは、文学上の手法としては、自然であろう。
 そう考えた日本人の、原始平安小将棋の棋士等には、朝廷の陰陽寮の
天文博士が所持している、星図を恐らくチェックした者が居たに違いない。
そして、その時点で日本政府が採用した、”星座”を見れば、

天の○那国は、白村江の戦のときに、日本府がおかれていて、敗北して
壊滅した、任那国を星座にしたものと、当然解釈するだろう

と、私は考えるのである。
 そこで、以上の思考経路を辿って日本人棋士等は、仮に平安小将棋と、
玄怪録とが関連するものであると認識しても、物語上で、唐の軍隊に負
けて、日本軍が壊走する敗戦を表す任那国が、実質出てくる小説に
示された将棋、すなわち宝応将棋の、将棋駒名の修飾詞そのものは、
大理国の将棋を、日本風にする際には、

自国日本の壊滅を暗示するので、上、天、輜を、輸入大理国将棋の象、
馬、車には、つけたがらないと考えるのは自然

と、見るのである。
 日本将棋を伝来させた中国人の貿易商、恐らく周文裔親子も、玄怪録
は読んでいて、桂馬や香車を天馬、輜車に、駒の敵味方の向きが2文字
の方が判りやすいからと、日本人へ彼らからも薦めたのかもしれない。
しかしそれは、上記の理由で、日本人は採用しなかったのだろう。そし
て将棋盤の、カツラ板が良い香りがしたので、桂馬、香車にするという
方を選択し、結果現在の、日本将棋に繋がったのではないか。
 つまり以上の事から、

上象(将)、天馬、輜車という駒名が、日本の将棋駒として初期には
採用されなかったのは、具体的には玄怪録の天那国が、白村江の戦で
壊滅した任那日本府を、日本では連想させたのが原因

との立場を、今後このブログでは取って良いという事であると、私は
考えるようになったのである。(2018/01/21)

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