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曼殊院所蔵古文書「将棋馬写」。成り角行の龍馬の馬の崩しが軽い訳(長さん)

2~3年前に、将棋纂図部類抄の15世紀半ばの元将棋図の所持で
名高い、曼殊院で、中将棋の将棋駒の字を習字して、製本した文書が、
公開された。「将棋馬写」という題目で、将棋纂図部類抄の成立から、
そう遠くない、江戸時代初期のころのものかと言う、古文書である。
 中将棋の駒を書写しており、中公新書の「将棋駒の世界」(増山雅人・
2006年)によると、この頃で、中将棋の駒と言えば、水無瀬兼成の
加藤清正保持駒が有名だと言う。そこで「将棋馬写」と、熊本市本妙寺
宝物館保存の水無瀬中将棋駒の、書体を比べてみた。
 成り駒の崩しが、少し違っていて、加藤清正中将棋駒の方が、少し
崩しが強いが、だいたいは同じで、書体のバランスからみて、将棋馬写
の元手本駒は、水無瀬駒と関連のある将棋駒のように、私には思えた。
ただし一箇所、「角行」の成りの”龍馬”の、しかも”馬”の書体だけ、

将棋馬写の龍馬の”馬”が、ほとんど崩されて居無い点が、際立って
加藤清正所持水無瀬駒とは違う

ように見えた。

龍馬.gif

 これが、何を意味するのだろうかと言うのが、今回の論題である。
そこで、何時ものように回答を先に書くと、

将棋馬写の手本となる中将棋の駒は、日本将棋の道具を所持しないよう
な、駒数多数将棋だけ指す専門家のものだった

のではないかと、私は個人的に疑う。理由は、本来

日本将棋を指す人間にとって、この角行の成りの龍馬の字は、桂馬と
紛らわしいはず

だからである。
 しかし、将棋馬写は、恐らく、

桂馬という駒とは、縁の薄い人物の所持品

だったのではないのだろうか。そのため実際に、書道の稽古で、彼の
将棋駒を写したときに、正直に、余り崩されて居無い龍馬が、将棋馬写
の作者によって、書写されたのではないかと私は推定する。
 それに対して加藤清正は、恐らく日本将棋も指したのではないか。
そのため、水無瀬兼成ないし、彼の一族の駒師が、加藤清正用の駒を
作るときには、当時は逆に注意して、今では普通となった、

”馬”がひらがなの、”る”の字のように見える、成り角行の龍馬にした

のかもしれない。
 何れにしても、曼殊院に、中将棋より駒数の少ない将棋を指さない、稀
な駒数多数将棋の専門家が居て、将棋駒を書道用に貸し出す状態だったか
ら、安土桃山時代の末期から江戸時代の草創期頃に、曼殊院には、水無瀬
兼成の将棋纂図部類抄の元になる、曼殊院の将棋図が、保持されていたの
だろうと、私は思う。
 今後も将棋馬写のタイプの中将棋の古文書が出てきたときには、馬の字
に注意してみる必要がありそうだ。(2018/01/18)

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