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平安小将棋「裸玉ルール」。玉詰め勝ルールが無かったらどうなるか(長さん)

本ブログでは、二中歴の小将棋の末尾の記載の裸王ルールは、「玉詰めに
失敗しても、相手の玉を裸にすれば勝ちである。その際、相手最後の一枚
の駒を、自分の玉で取ったとき、相手玉が、最後の駒に利いていて、自分
の玉が次に取られる場合でも、相手の負けである」の意味であるとの、
見解を取っている。
 しかしながら、先行研究の中には「玉詰めで勝ちというルールそのもの
が、平安小将棋には、そもそも無いのではないか」との、疑念の見解を、
表明している例が多い。というより、その疑念をきっちりと否定した見解
を、更に表明している例を、私は今の所、個人的には聞いた記憶が無い。
そこでせめてここで、もし平安小将棋に、”玉詰め勝ちというルール”が
そもそも無いとすれば、実際に、どんなゲームになるのか、今回は考えて
見たい。
 そこで何時ものように、結論から述べると、

独立したゲームの一種にはなるが、将棋系らしい、合戦のシミュレーショ
ン(合戦を模したもの)には、たぶんならないのではないか、

と私は思う。理由は、将棋系とは真逆で、

そのケームに於いて最適な戦略が、自玉を早く相手に取らせる事

だと私は思うからである。なぜなら、

自玉が裸になって、負けないようにする、最も有力な方法は、自玉をなる
べく早く切って、そもそも自玉が存在しないので、”裸玉で負ける”とい
う局面自体が、作れないようにしてしまう事

だと、私は見るからである。逆に言うと、この場合、

玉に関して、どんな本来の自殺手を指しても、相手はその玉を取ると
負けになるため、玉は事実上、取られる事の無い、とてつもなく強い攻め
駒になるはず

である。従って、その平安小将棋での指し方は、
玉で相手のどれでも良いから駒を、ひたすら追い掛け回して取ろうという
手を繰り返して指す事であろう。あるいはまた、逆に相手から、玉で味方
の駒に対して、しばしば、互いに当たりで、相手にとっては、それでは本
来、自殺手になるはずの、”一般駒の取り”を、相手の玉で掛けられたと
きには、その相手玉は、取れても取れば、取ったほうの負けなので、なる
べく消耗しないように、狙われた自駒を、ひたすら逃げ回らせるだけの、
将棋をもまた、指す事になると思う。恐らくそれでも、ゲームとしては、
成立すると、私は見るのだが。そのゲームは、

合戦の雰囲気とは似ても似つかない、むしろ玉を牛と見立てたときに、牛
が闘牛士の群を退けて勝つことが、予め定めとなっている、やや不自然な
闘牛ゲームになる

ような気が、私にはするのである。二中歴に書いて無い事は確かなので、
敢えて「絶対に、平安小将棋には、玉詰めルールは有る」とまでは言わな
いが。少なくとも、以上で述べた裸玉ルールしか無いゲームが

異制庭訓往来の、「合戦を模したもの」との意味での、将棋の定義とは、
毛色が、かなり違う事だけは確か

なように思う。なお、現在のチェス型ゲームには、ルールブックで裸玉に
言及のある、普通に玉駒詰めルールのものが複数有る。800年前と今と
で、状況が違うと言われれば、それまでだが。少なくとも、ゲーム系統樹
で、孤立して来るのが、玉詰めと裸玉の両方があるゲームではなくて、裸
玉ルールだけしか無い方である事は、事実としては確かであると認識する。
(2018/02/08)

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