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摩訶大大象戯(摩訶大将棋)は、(仮説)大理国大大将棋の拡張か(長さん)

だいぶん前だが、本ブログで、大理国のプロト原始平安小将棋を提案し
た際、それに銅将と鉄将を1交互に、それぞれの競技者に1枚づつ加え、
10升目とした仮説・大理国大将棋を、記載した事があった。
 その後、雲南省には漢代以降、北宋代程度までの、動物の闘争図の
造形物があり、日本の将棋に動物駒として存在する、動物種と、比較的
オーバーラップしているとの旨を見出した。そこで、初期配列図を答え
として、最初に書いてしまうと、
 大理国の王宮では10世紀前後に、上記の大理国大将棋より、更に
盤升目、駒数の多い、14×14升目の、次のような、

大理国大大将棋とでも、命名できる象棋も、作りえる

と言う事になるのではないかと、私には思われた。

五段目:兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵
四段目:口熊口豹口狼口口狼口豹口熊口
三段目:鹿口猿口蛇口牛牛口蛇口猿口鹿
二段目:口猪口羊口虎口口虎口羊口猪口
一段目:車馬木石鉄銀玉金銅瓦土象馬車

ここで、玉、金、銀、銅、鉄、瓦、石、土、木は、それぞれ略称で、
正しくは、玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、瓦将、石将、土将、木将
である。駒の動かし方のルールは、今述べた将駒は、水無瀬の摩訶大
大象棋と同じ、木将は、大大将棋の動きと、仮にしよう。兵は、歩兵
の動きだが、大理国でも、チェスポーンと同じく、相手駒を取るとき
には、ななめ前に動けても良い。虎、蛇、山羊、猿、猪、狼、豹、熊、
鹿は、それぞれここでは仮に、猛虎(平安大)、蟠蛇、羊兵(泰)、
古猿、嗔猪(江戸時代の後期大)、悪狼、猛豹、盲熊(大阪電気通信大)、
飛鹿程度でも、大理国風になるのではと、私は思う。つまり、動物駒で
走りは、角行の動きと仮定する”象”と、羊兵(泰)と仮定する羊、飛
鹿の鹿3種類程度。動物駒以外では、香車の動きと仮定する、車だけ
である。なお、馬は桂馬の動きである。これらの駒は、敵陣の5段目に
入ると、一段目の玉金象以外と、五段目の兵が、金に成る。本ブログ
の”二中歴の大将棋、末備十語”の解釈によると、2段目から4段目の
動物駒は、成らない場合が多い。が例外的に羊だけ、金将になるシス
テムのはずである。なおこれらの動物駒は、象、馬を除いて、雲南
博物館の動物闘争図の造形美術品から、私がそろえたものである。
従って、大理国では、猛、蟠、兵、古、嗔、悪、盲、飛、酔、桂という
修飾詞は無く、動物駒は、山羊を除いて、日本語に訳すと一文字表現
(もともとは大理国・古代ペー族語)である。
 そこでこの仮説の将棋と、現在の摩訶大将棋とを比較すると、

足りない動物駒は、鼠と鶏、龍、驢馬、それに猫程度になるという事

である。なお、上の将棋の総駒数は96枚であるから、摩訶大将棋の、
ちょうど半分である。むろん、摩訶大将棋は14升目ではなくて、
19升目であるから、更に5つ、列を増やさなければできない。
 しかし、19升目を作ろうという動機付けは、

囲碁が19路であり、かつ交点数が361となって、日月星辰の動きに
則る(暦関連である)と言う点から、元から自明に有った

と容易に推定できる。つまり、仮に大理国について、原始平安小将棋だけ
ではなくて、上記のような大理国大大将棋情報も、少なくとも中国北宋の
開封あたりで、日本人が探せば有ったとすると、

他の平安小将棋出発点の将棋、平安大・小将棋の影響も恐らく受けたとは
言え、摩訶大将棋の古型は、小将棋系列ではなくて、(仮説)大理国の
大大将棋であった

という結論に、なら無いとも限らないように、私には思えてきた。
 むろん、上記で提案した、14升目の将棋から、摩訶大将棋を作る
には、四段目と五段目の間に、平安大将棋系と疑われる新五段目として、

新6段目:歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵
新5段目:飛車横行堅行角行龍馬龍王奔王奔王龍王龍馬角行堅行横行飛車

を入れてから、更に鉤行、摩羯、横飛×2、左車、右車を導入して19升
目に変える必要がある。更には、老鼠、淮鶏、驢馬×2を導入し、獅子と
狛犬、羅刹、夜叉、金剛、力士、無明、提婆の仏教駒を入れ、麒麟、鳳凰、
臥龍、飛龍の神駒、更には仲人と反車を加え、偶数升目を奇数升目に入れ
替えて、配列も象を酔象にして、多少入れ替え、不要駒を少し削る等しな
いと、摩訶大将棋は完成しない。
 しかし、そもそも平安小将棋には、上記の仮説大理国大大将棋の2~4
段目に存在すると、ここではした、古代雲南の造形物として出土する

闘争動物(象と馬は入らない)を入れるという動機づけが無い。

そこで、
闘争動物造形古美術品の情報が、大理国プレ原始平安小将棋(酔象1枚残)
とは別に、何らかの形(たとえば、それを入れた、シナ桂製立体駒のある、
雲南大理国王室将棋が、別に存在等)で雲南から、平安時代の日本には、
もたらされていた。そしてあとで、西暦1300年頃に、普通唱導集時代
の大将棋に、”奔王龍王龍馬角行堅行横行飛車”の走り駒配列が、形勢され
たので、摩訶大大象戯は、その”奔王・・”配列の鉤行等を入れた拡張と、
もとの仮説の大理国大大将棋の要素、プラス、デザイナーの今述べた、あ
りったけの知識で、平安小将棋を経由しなくても、作れた可能性も、あった
のかもしれないと、私には思えてきた。つまり、摩訶大大象戯、すなわち
摩訶大将棋は、小から大への進化で作られたにしても、その場合の

”小”は、11世紀の平安小将棋ではなくて、9世紀の牛僧儒の宝応将棋と、
考えたほうが適切である

という可能性も、有り得るかもしれないと、言う事だと思う。(2018/03/07)

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