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興福寺出土1058年木簡。酔象の象が”像”なのは何故か(長さん)

目下、興福寺からは、酔象に関して、2つの資料が出土している。その
うち駒としては、西暦1098年前後のものとみられる、不成り酔象駒
があり、もう一つは、木簡に”酔像”と書かれたと、されるものである。
 問題の木簡を見ても、正直な所”酔像”の字を探すのは、私には出来
ない。一回他人から、位置を聞いた事があったが、忘れてしまった。そ
こでその後、木村義徳氏著書の”持駒使用の謎”の図を見直したが、良
く判らない。ここではひとまず、酔像と書いてあるは、正しいと仮定し
て論を進める。
 この酔像は、象駒の一種が、現在の定説であるが、象が像になってい
る事に関しては、過去、1098年裏不成り酔象駒が、発見される以前
に、当然かもしれないが議論になった事がある。当時は、ひょっとする
と、シャンチーが成立していたのではないかと匂わせる、相手の馬や、
車に、にんべんを付けて区別する、中国の象棋駒表現の、相/象表現に
当たる変種、像/象表現と、見ているらしい、木村義徳氏の説も有った
が、もっと良く知られた説が有った。それは、

玉将と同じく、玉駒の類ではないかという説であった

と、記憶する。ただ現在私の手元に、その説の書かれた文献が見当たら
ない。
 従って情け無い事だが、誰の説だったのか、私には判らない。その後、
本物の、酔象駒発見のインパクトに消されて、この説自体が、余り注目
されなくなって、しまったようである。なお、木村氏の像・象同一説は、
木村義徳氏も言及して居るが、当時の酔象が、シャンチーの象等、外国
のゲームのルールを取ると、示唆しているという点で、興味深いもので
あると私は思う。
 以上のような、先行研究はあるものの、本件は1098年酔象の発見
の興奮に隠れてか、今は忘れ去られつつあるような、存在になっている。
そこで、ここでは再度、興福寺の西暦1058年木簡の字が、酔象では
なくて、なぜ”にんべん(人偏)”のある酔像になっているのかを、再
度問題にしてみる事にする。
 最初に回答を書くと、

伝来した将棋の、玉将、金将、銀将等が、立体駒、つまり”像”であっ
た事を、示唆しているのではないか

と、私は現在では考える。つまり、立体ネフライト駒、立体金駒、立体
銀駒、立体シナ桂製馬駒、立体シナ桂製なので、ほのか香りのした車駒、
が、本ブログによれば、大理国から、北宋交易商人の、周文裔の船
に乗って伝来した、最初の日本の将棋駒という事であった。そしてそれ
は、周文裔が、玉将、金将、銀将と説明したから、前三者が将の姿と
見られた物であり、後2者は、材質としては、香りのする桂でてきた、
馬と車の、こちらは造形の駒ではあったので、馬、車に、それぞれ桂と
香が付いたと、本ブログでは推定したのであった。が、厳密にはこれら
の立体将棋駒は、

玉製の何らかの像、金製の何らかの像、銀製の何らかの像、桂製のなん
らかの像、良い香りのする何らかの像と呼ぶのが、公平に見ると正しい
ような、姿を実際していた事

を、示しているのではないか。そこで実際には、一旦日本に来ても、
周文裔が船に乗せたまま、北宋に持ち帰ったとみられる、象駒を、

”行ったり着たりした(酔った)、どんな造形なのか、日本人は今では
誰も知らない像”を略した名称で、酔像と敢えて表現することによって、
暗に日本の将棋の伝来時に、立体駒が存在した事を、ほのめかしている

のではないかと、私は見ると言う事である。
 なお、その立体駒群の中で、特に玉・金・銀および、ひょっとすると
車の具体的な意匠であるが、
ミャンマーのシットゥインや、大理国遺跡、三塔主塔の像のような、
仏像である

「ミャンマー型」か、

タイのマークルックの仏舎利や、日本の埼玉県児玉郡美里町広木上宿
遺跡の、宝塔型のような、仏塔類である

「タイ型」かの、どちらか

が、有力なのだろうと、私は今の所見る。
 また他の根拠としては、玄怪録の宝応将棋を記載する部分で、軍隊の
長(王)を、金象将軍と、表現しているのも、同じようなパターンの、
思考で、誰でも考える程度のシャレ、なのかもしれないと思う。
大理国より前の、南詔国の将棋の玉駒が、

”金の像であり、将である”というのと、像の字に近い象が、一般に、
チェス・チャトランガ・シャトランジ類ゲームには有り、”象も有る”
との、ひっかけた洒落表現が、金象将軍

のような気が、私にはするのである。なお、更にこの引っ掛けは、金銀
将軍を、語呂で連想させるので、”金将と銀将がある”という意味の、
3重引っ掛けに、なっているのであろう。
 また玄怪録では、像や象が、相や上にも近いと牛僧儒には見られた
らしく、構成駒では上となおされ、それに修飾詞の将が付与されて、
上将と表現されたと、私は見る。
 ただし酔像が、玉将と並ぶ、相手の玉駒であるとの説も、私は否定は
しない。せいぜい、相手の副官が、金将、銀将なのに、玉だけ、仏像系
に変えたのかを、説明しなければならないという程度であろう。そもそ
も、大理国から来た、玉製の何らかの像、金製の何らかの像、銀製の何
らかの像等が、公平に見ると仏像だったので、玉将だけ玉像に変え、
たまたま酔という修飾詞を、やや不自然だが、像駒に、付与して居無い
とは、限らないとは思う。
 以上のように、仏像としての酔像の説での、酔という修飾詞が、猛の
類似語であり、力を誇示すると、先に取られて負けてしまってまずく、
玉駒にはやや付与しにくいのではないかという、本ブログ管理人の、
主観的な見解により、このかつての有力な説は、とりあえず採用して
いないだけである。つまり本ブログでは、たまたま、

酔像表現は、”酔像として闇に葬られた、立体将棋駒の略称”であると、
今の所、仮に仮定している

という程度のものである。(2018/03/10)

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