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”安土桃山時代の駒師は、王将駒を書かなかった”との話がある(長さん)

少し前に、本ブログで、安土桃山時代の駒師で、将棋纂図部類抄の著者
水無瀬兼成の作駒に、王将が有るとの情報が見あたら無いとの旨を記した。
 その後、webをざっと見ていると、今年(2018年)の2月19日
に、現在の将棋駒の作家として知られる、熊澤良尊氏が自身のブログで、

安土桃山時代の少なくとも著名な駒師による作駒に、王将は無い

との旨の、記載をしているのを発見した。

熊澤さん、ありがとう。それはとんでもない話

だ。なぜなら、一乗谷朝倉氏遺跡からは、安土桃山時代よりも前の、

戦国時代の王将駒が、玉将駒と共に、複数発見されている

からだ。むろんもっと前、平安時代最末期には、大阪の四条畷市の遺跡
からも、ほぼ王将駒と見られるものが出ている。それにwebに一部有る
ような、”若干の不明な点”があったとしても、鎌倉時代に入ると、
京都鳥羽離宮から王将駒が出る。なお、京都府と滋賀県については、古代・
中世に、今の所、玉将の遺物が見当たらない。よって、安土桃山時代に

王将駒を、水無瀬兼成だけが個人の事情で作成しないのは、ほぼ確定的だ

と私は見る。なお近代になると、私もちょくちょく行く、奥野かるた店
の創始者の駒師の奥野藤五郎が、ほとんど王将駒を、書かなかった事で
知られるらしい。なお奥野氏は、江戸時代の旗本の子孫なら、源氏筋だ
から、王将駒を作成しても、特におかしくは無さそうだが。何れにしても、

やはり、藤原氏系の水無瀬家には、大江匡房という、藤原氏排除の初期
院政派勢力が、西暦1080~90年頃に、作ったとみられる王将は、
西暦1580~90年の時点から見ても、藤姓の者は、本来普及すべき
とは言えない

という、我々歴史の解明を目指す者には、とてもありがたい、言い伝え
のようなものが、恐らく家には家訓として、口頭等で伝承されて、残って
いたのではないかと、私には疑われる。この情報が、本朝俗諺誌等の痕跡
を除いて、ほとんど消えたのは、やはり江戸時代になってからの、事なの
だろうと、私は王将・玉将の件については個人的に思う。(2018/03/16)

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