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江戸時代(1653年頃)の将棋書「中古将棊記」の伝説は無意味か(長さん)

ここでは以下、江戸時代(1653年頃)の将棋書「中古将棊記」の旧版
序文のうち、

将棋の中国人伝来者が、”日本の国に十のうち四つの駒を引きわたした”

と記載された箇所に、意味があるのかどうかを、問題にする。
 つまり、本ブログの見解によれば、西暦1015年に、北宋の交易商人
の周文裔が、日本の国の藤原道長を通し、後一条天皇に引き渡した、
雲南・大理国将棋の駒数が、運んで来た数よりも少なかったのかどうか、
という点が、問題という訳である。そこで、回答を書くと、

”十のうち四つの駒”ではなくて、「六十のうち五十四の駒」が、引き
わたされたのかもしれない

と、私は推定する。つまり、

江戸時代の記録は微かで正確ではないが、単なる作り話では無い

と言う事である。なお、実際に引き渡した駒の内訳は、

もともと、必要な52個に、予備に兵の、比較的小型の立体駒を2個加え
たもの

だったのかもしれないと思う。他方、周文裔は、このほかに、次の6個、

象駒を2個と、金将駒を4個を予備に持参しており、その6個は持って帰
った

のではないかと、私は思う。なお、元々の引渡し予定枚数は、54個より
も2個少なくて、52個のはずだった。”引き渡した数が、持参した数と
は違う”という事がけしからんといわんばかりの話は、元々正確ではなく
て、元々引き渡すはずだった数と、実際に引き渡した数が違う(むしろ、
最初の予定より、2枚増えている)という、象駒という一種が伝えられな
かったという主旨の話が元ネタであり、その話が、変形したものと私は見
る。なお、

そもそも、貰った駒が少なく、中国のゲームよりも、劣っているのが不満
で、中国並みのゲームをしたいのなら、松岡氏の一条サロン将棋自作説の
ように、自分で道具を足せばよいだけなので、そのせいで、大陸より劣っ
たゲームしかできなかったという話との、イメージを持つのは、そもそも、
冷静に考えれば妙な話

なのである。なお興福寺では、伝来より30年後には酔象を足して、中国
雲南流の将棋が、実際に指されたと、みられる。
 では、本ブログの見解に沿って、以下に、その経緯を詳しく見てみよう。
 すなわち、当初の予定の52枚とは、
ネフライト玉駒、銀の将駒が、各2個で4個、金の将駒は当初、初期配列
用が2個と、成り駒用が18個で、ここまでで24個。馬と車駒が各4個
で、ここまでで32個。更に兵駒が16個で、ここまでで48個。そして、

当初は象駒2枚を引き渡す予定だった

ので、計50個。更に、予備に兵駒を2個足すとすれば、52個である。
なお、当初は、銀の将の立体駒2個と、成り金将用の金の将の立体駒6個
を、元々多めに予備として、持ってきていたので、これら計8枚を周文裔
は、持ち帰る予定だったとみられる。
 所が象を知らない、大宰府の護衛兵と写経所の僧が、荷揚げの港で物見
に来ると判った事。象のルールが角行動きの大理国ルールで、この1種類
だけ不成りであるという説明が、めんどうな事。実戦で象に小駒が喰われ
て、中盤・金の駒が盤面に残りにくく、盤上がやや地味になる事。更には、
金の将駒は10%増量、銀の将駒は倍に増やせば、藤原道長等の機嫌も良
いだろう(特別増量商法)と気が付いた事。以上の事から、周文裔は、
この52枚から、象2枚をマイナスし、逆に銀の将立体駒、その銀の成り
用の金の将立体駒を、2枚づつ増やして、

当初用意した60個のうちの、恐らく54個を、日本側に、駒を引きわた
したと見られる

というわけである。ようするに、

興福寺出土駒の状況から見て、”酔象不伝来の語り草話”以外、この序文
の”十のうち四つ”話の元ネタの候補は、ほぼありえない

と私は見る。
”日本の国に十のうち四つの駒を引きわたした”という言い回しも、十を
60に、四を54に変えてしまうと、何かの受領の、事務処理古記録文書
を、そのまま、書き写しただけのような感じに見える。江戸時代、
西暦1653年には、将棋の伝来の言い伝えは、このように、かすかな
ものに、なってしまっていたようだ。
 つまり、

「中古将棊記」の旧版序文の指摘する数に、それぞれ50を加えれば、
実際の引渡し数になるのではないか

と、私はざっとは見る。よって、
持ってきた数より、実際に引き渡した数の方が少なかったとの、中古将棊
記旧版序文の記載も、単にそれ自身は、予備駒があったと常識的に考えれ
ば、通常の仕事の仕方であり、それ自身は中国側の周文裔の悪意ではない。
つまり、

わざわざ遠いところから日本に時間をかけて来るのに、予備駒が、不測の
事態に対応するために、多少余分に、用意されて居無いというのは、むし
ろ不自然

という事である。だから、象駒のトラブルも、実際には楽に、吸収できた
のであろう。
 なお、予備に持ってきた2枚の兵のおかげで、金の将駒は、元からだぶ
ついていた、成り用の分を回せば、後に

9升目制の標準的な平安小将棋も、宮中では、この立体駒を使って、8升
目盤は使わずに、国産9升目将棋盤を新たに調達すれば、やろうと思えば
出来た

のかもしれない。すなわちこの潤沢なゲーム材料が、後の院政期の、日本
の小型将棋の標準化にも、恐らく繋がった可能性が、充分に有り得るので
はないかと、私には疑われる。(2018/03/17)

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