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栃木県小山市神鳥谷(しどとのや)曲輪裏一文字金角行出土地の調査(長さん)

11年前の春に、南北朝時代の下野守護の小山義政館跡と伝わる表題の地で、
裏一文字金角行駒が出土した。個人的には、JR宇都宮線の車窓から、遠巻
きに、遺跡の場所は、何回もチェックしている。だが、土塁の回りを調べた
事は、個人的には無かった。ので、久しぶりに小山駅で下車して、この日本
唯一の”摩訶大将棋の角行駒”の出土地点も含めて、周囲を再チェックして
みた。
 角行出土地点は現在、下の写真のように、原っぱではあるが、草刈がこま
めに行われているらしく、きれいな空き地になっている。

角行駒出土地点.gif

また、JRの車窓からは気が付かなかったが、下の看板が建っていた。

神鳥谷看板.gif

なお、この看板の内容については、webの一部のページで、

疑念の声が出ている。
ここは小山氏の”宿城”という名称の城跡ではなくて、室町時代前期・最後
の鎌倉公方足利持氏の頃から江戸末期まで存在した、栃木県小山市神鳥谷の

古尼寺、栃木県小山市の青蓮寺という寺の寺跡ではないか

という内容の疑念である。なおこの点については、本ブログでは、

基本的には出土品は全部、南北朝時代に相当するものと見て、問題は少ない

と考えている。本ブログでは、鹿沼市中粕尾の粕尾城の様子や、小山市の中
心部の広さから見て、いわゆる小山市宿場領域は概ね全て、南北朝時代には
城内だろうと見ているからである。ただし青蓮寺の存在によって、情報が薄
まったり、出土品が出る、全部で20個有る井戸の、井戸毎の出土品目や量
に、本来なら存在しないはずの偏りが出来る等の、間接的な影響が有り得る
かもしれないとは考える。

ようするにこの遺跡の遺物だけを頼りに、論を立てないようにする事が大事

だと私は思う。つまりは、あまりシビヤに、この遺跡の遺物の情報だけを、
たよりにして、議論を進めないほうが、良いという事である。具体的には、
この将棋駒については、

裏一文字金角行駒の存在は、南北朝時代には、龍王・龍馬に成らない飛車・
角行が有ったとの情報を、確定させるためには、少なくとも役立っている

可能性はかなり大きい。が具体的に、8号井戸という、特定の井戸から出
てきた事には、栃木県小山市の青蓮寺の存在が、影響しているのかもしれな
いと、私は思う。
 すなわち本ブログでは、この裏一文字金角行駒は、江戸時代の中期頃に、
将棋纂図部類抄を、青蓮寺の住職が調査の上、また寸法や寸胴5角形型の駒
形は、恐らく栃木県小山市の青蓮寺自体に、残っていた記録に基づいて、
できるだけ忠実に、記録を再現した上で、オリジナルと

似た形だが、金の書体の崩しが足りない形で、寺で作成した、復刻駒である

と考えている。根拠は、以前にこのブログで述べたように、麒麟抄の記載と
異なり、

成りの金の書体が、水無瀬兼成の将棋纂図部類抄の、摩訶大大将棋の右香車
の成りの金の、崩しが弱い書体等に似ている

という点からである。またこのように、出土した裏金一文字金角行駒を、
栃木県小山市天神町の廃尼寺青蓮寺の、いわゆる”宝物と伝承されるもの”
の一品と特定すれば、

駒が、一枚しか出土しないという謎も、元々それしか無いと考えれば自然

に、説明できるのである。
 なお、本ブログでは、実物の裏一文字金角行駒が、冒頭の写真の、ほぼ
真下に存在すると見られる、神鳥谷曲輪遺跡8号井戸跡に廃棄されたのは、
近代冒頭、明治維新の廃仏毀釈の折に、当時は男の真言宗系の僧侶が、ま
だ居たとみられる、栃木県小山市の青蓮寺が、廃寺になった為と見ている。
 さて調査の方であるが、原っぱの西に、畑が出現しており、耕した後の
残土に、2~3個、極めて小さな、カワラケの破片が見られた。どうやら
今も、発掘作業の痕跡は、地表にさえ、僅かに残っているようだ。
 次に今回の主な目的である、神鳥谷曲輪の土塁の残る、将棋駒出土地点
からJRの線路を渡って、向こう側(100m東)の場所へ言ってみた。
もともと、土塁の方が地表からは見出しやすいので、こちらに、写真の
ように神鳥谷曲輪の石柱が、立っている。

土塁石標.gif

上の写真の背景が土塁である。栃木県鹿沼市中粕尾、粕尾城の土塁よりも
斜面が急である。近代になって裾野が削り取られて、変形したのであろう。
試しに、登ってみると、標高下から2mの尾根は、次のような感じである。

土塁頂上.gif

周囲に、ゴミが散乱し、また、陶器の破片も含めて線路近くだからだろう
か、石ころが多いが、地表を見た限りは、特に何もないようであった。
 今回は、いわゆる神鳥谷曲輪遺跡をチェックできたので、これで引き上
げた。角行出土地点250m北の、白幡一揆関連旧家ではないかと、本ブ
ログでは疑っている、天神町の小野塚イツ子記念館は、前のまんまで、庭
も公園になっていた。また、角行出土地点西100mの、栃木県小山市の
青蓮寺の、かつて寺持ちであった、小山市天神町の天満宮入って直ぐの、
”青蓮寺住職による、幕末攘夷打戦争反対活動等の史実が記載された石碑”
は、白いペンキが、前に見たときよりだいぶん剥げてきているようである。
(2018/03/27)

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