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大鏡に後一条天皇が「金銀などで飾りたてた玩具を貰った」との記載(長さん)

本ブログの前回の記載でもさらっと出てきたが、もともと藤原道長の指示と
見られる、京都の三条天皇の住まいの火災で消失した、黄金の飾り付けの補
充のために、北宋交易商人の周文裔が、西暦1015年に持参した、文字通
り黄金駒の、大理国産の原始平安小将棋の将棋具は、後一条天皇が、少なく
とも、刀伊の入寇の直後の、西暦1019年までは、玩具として保管してい
たというのが、ここでの見解である。しかし、この見解には、対応する史料
は、今まで見つかっていなかった。翌西暦1015年の再火災で、短命に
終わった、西暦1014年に立て直された、三条天皇の住まいが、放火に
よるものであり、かつ藤原道長の手の者の仕業、との説に基づき、それなら
後一条天皇は、安全なはずだから、そこに将棋具も少なくとも西暦1019
年までは、保管されたとしようと、私がこの場で勝手した仮定に、過ぎない
ものだったからである。
 しかるに、最近大阪商業大学アミューズメント産業研究所編、松岡信行著
の、「解明:将棋伝来の『謎』」に、表題のように、”大鏡に、『後一条天
皇へは、幼少の折に、金銀などで飾りたてた玩具が、与えられた事があるが、
天皇自身は、これらに余り強い興味を示さなかった』との内容の、記載があ
る”との紹介がされているのを、発見した。なお送り主は、藤原行成以外の
何者かであって、藤原道長等、送り主の人物は、残念ながら特定できない。
 これから、ただちに天皇に与えられた、金銀等で飾り立てた玩具の中に、
将駒が黄金・玉・銀である、ここでは大理国産と推定する将棋具が、存在し
たかどうかは、不明である。が、

金銀で飾り立てた玩具を、後一条天皇が所持していたという、史料自体は
存在する

事が、私にも明らかとなった。

松岡氏は、本ブログとは全く別の将棋起源論の提唱者として、今や著名だが、
上記史料については、彼には悪いが、私にとっては誠にありがたい情報

である。
 更に、松岡氏の上記著書をよく読むと、そこが西暦1015年の再火災で、
消失したかどうか謎であるが、『金銀などで飾りたてた玩具等は、天皇の使
用頻度が低いため、後々住まいに存在すると見られる「蔵」に、しまった』と
の旨も、記載されているようである。なお話の主人公の玩具は、コマである。
 何れにしても、西暦1015年当時8歳前後とみられる、後一条天皇へ、
通常の子供並に、玩具が与えられるのは、史料が無くても自然である。
が、実際に、裏づけ史料があると言う話は、話が約1000年前の事である
だけに、至極存在自体が貴重で、かつ喜ばしいものである。(2018/03/29)

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