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五角形将棋駒に、行き所ルールの印を付けた出土駒は、全部教育用か(長さん)

本ブログでは、先に述べた通り、日本で最初の五角形駒は、経典の整理
のための札、経帙牌であり、その第1号は、原始平安小将棋のルールの
防忘録のための、メモ用紙の機能を持つ物だったと、推定されている。
つまり、五角形将棋駒の第一号は、将棋具の一要素である、駒ではなく
て、ルールブックに近いものだったという事である。なお、これが遊具
としての将棋駒に、思考の上で進化するのに必要な時間は、私の推定で
は、唐物・金銀装飾品・珍鳥・経典等を主な物とする輸入品の、日本側
検査担当者の求めに応じて開かれたとみられる、北宋商人による説明会
の中の、”金銀装飾玩具将棋具のルール説明のセクション”が終了した
瞬間から、発明者の僧侶の本来業務である、輸入経文の整理・処理業務
が完了し、発明者の寺に、寺で写経等の作業をする分の、経文の束を持っ
て、寺にたどり着くまでの、2時間ないし、数時間程度の後であっただ
ろうと考えている。つまり、

経帙牌が道具としての将棋駒になる前に、ルールの忘備録であったと
言う状態が、最大数時間位は、あったという事である。

 他方増川宏一氏は、著書、ものと人間の文化史、将棋Ⅰ(1977年)
で、出土将棋駒等に、その駒の動かし方ルールの、記号をつけたものが
有る事を指摘している。一番有名なのは、そこに書かれているように、
戦国時代、一乗谷朝倉氏遺跡の、裏龍馬角行駒であろう。増川氏は、こ
のような遺物を、教育用と特定し、他に、江戸時代の中将棋の駒を描い
た小謡本の、中将棋駒の絵、近代のドイツの遊戯書に書かれた、日本将
棋の「蛸島女流対石橋女流の解説図」等を例として挙げている。つまり、
少なくとも、増川氏は、

一乗谷朝倉氏遺跡のような、行き所記号の有る裏龍馬角行駒は、単純な
書駒より派生した、教育用のより新しい時代に発生したものである

と、ほぼ断定していると言う事である。これは、冒頭のべた、

経帙牌メモ用紙としての使用説とは、基本的に時間的順序が逆であって、
合致していない。

そこで、今回の論題は、どちらが正しいのか、何らかの方法で推定でき
るかどうかを、論題としてみた。回答を書くと、
今の所、行き所記号のある出土駒は全部、教育用に記号をつけた物であ
るという説を、はっきりと否定する材料は、発見されていない。ただし、
100%全部そうである事を、証明する事も困難なので、

全部が教育のために、後世成立したものであるという先入観を、持たな
いほうが良い

と、私は考える。
 そこで、まずは事実認識から始める。そもそも、将棋駒第一号と、本
ブログが目している、九州博多付近から”いろいろ将棋のルールの書き
込みのある、西暦1015製の経帙牌”は、2018年の3月末時点で
は、発見されていない。最も古い五角形の将棋駒は、西暦1058年の
興福寺出土駒である。だが、行き所の記号があるかどうかまでは、はっ
きりとは判らない。
 その後、中尊寺付近の平泉町の遺跡や、京都府等の近畿圏、博多付近
には、比較的古い時代の出土駒や、遺物が出土した記録がある。それら
でも、ルール記号は、はっきりとは確認できない。
 行き所ルール記号の有る出土駒で、最も古いものは、鎌倉時代とみら
れる。すなわち鎌倉の鶴岡八幡宮境内から発掘された、何らかの大将棋
系の駒であると疑われている、裏奔王鳳凰駒の、鳳凰側に付けられた、
白い打点が、それだとするものである。
 ついで増川氏が紹介した、戦国時代、一乗谷朝倉氏遺跡の裏龍馬角行
の、両面走り線記号駒や、長野県塩田城遺跡の同じく裏龍馬角行の、
両面走り線記号駒、兵庫県姫路市の御着城遺跡の裏飛鷲(?)龍王駒の
表面龍王部分の走り線、斜め打点記号駒の3例が続く。
 最後に、江戸時代には、仙台城本丸遺跡から八方打点付きの玉将駒が
出土している。
 少なくとも、「天童の将棋駒と全国遺跡出土駒」(2003年)から
の情報を頼りにすると、出土駒の状況は、以上のようである。
 以上の結果から、次のように考えられるのではないか。確かに、初期
の時代の出土駒には、行き所記号が、はっきり書かれている例が、まだ、
見当たらない。だが、大将棋、中将棋の駒は、出土例が稀であるにもか
かわらず、ルール記号を付けた駒の例が、2例もある。よってこの事か
ら、より使用頻度が低い駒種には、初心者ではなくても忘れないように、
駒の行き所ルールを付けるケースが、多かったと疑われても、否定しに
くい状況なのではないかと、言う事であろう。それは、

将棋駒であるはずの五角形木片を、忘備録メモとして使っている事を、
一応は疑わせる

と思う。残念ながら、平安小将棋については、駒種数が少なかったので、
忘れにくいのであり、一旦、ボードゲームの駒として用途が固定される
と、ルールブックとして、記号をつける習慣は、短期間に消えたのであ
ろう。しかし、初心者で無くても、覚える事柄の多い、大将棋系では、

五角形の将棋駒の第一号は、ボードゲームの駒としてではなくて、メモ
用紙代わりに使うものであったという記憶が、ある程度の期間は残って
いた

事を、打点等の書き込み行為の正当性の根拠に、しているのかもしれな
いと疑われる。従って、確かに日本将棋の初期の駒らしい、一乗谷朝
倉氏遺跡の駒や、日本将棋が、既に充分に盛んだった、江戸時代の仙台
城玉将駒の記号は、教育用で間違い無さそうであるから、

教育用の、行き所ルールを書いた五角形駒は、意外に多く出土している

と表現しても良いと、私も見る。しかしながら、もともと複雑なルール
を覚える事自体に慣れている、ベテラン棋士用のはずの、大将棋や中将
棋の駒に、まるで入門者や初心者に、使わせるためのような、駒の動か
し方の、ルール記号の有る駒の出土割合が、若干だが高い事から、

冒頭に述べたように、日本の五角形駒には、ルールブックとしての、
最初期の将棋駒の歴史が、隠れている可能性も、完全には否定出来ない

のではないかと私は疑う。従って、駒の行き方記号の書かれた出土駒を
見て、

100%、初心者用の教育・普及用の記号であると、決め付けるまでに、
思考パターンを定型化させるのは、歴史解明作業にとってはかなり危険

な事なのではないかと、私は以上の出土駒の状況から、一応は疑ってい
るという事なのである。(2018/04/07)

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