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京都一条サロンで作成された木製将棋駒。最初期は長方形だったのか(長さん)

最近、たびたびこのブログで引用した、松岡信行氏の2014年の著作、
「解明:将棋伝来の謎」(大阪商業大学アミューズメント産業研究所)
によると、一条帝宮廷サロンで作成された、最初期の木製将棋駒は、
五角形ではなくて、四角形だったと見ているようである。そして、五角
形に変化した原因は、敵味方を区別するという、機能的な理由とされて
いる。そこで今回は、この松岡説を支持する遺物が、どの程度現実に存
在するのか、出土将棋駒をチェックした結果を紹介したいと、考える。
 簡単に、結果から述べると、

長方形的な駒は全部、近世(江戸時代)のものとされており、4枚程度

ではないかと、私は認識する。なお、五角形の駒で最も古い駒は、言う
までも無く平安時代中期、西暦1058年前後作と見られる、興福寺出
土駒である。ここからは2003年時点で、四角形駒等、五角形駒以外
は、出土して居無い模様である。
 次に、出土物から、松岡初期駒に結びつくとみられる、遺物の抽出
基準を述べる。ずばり四角形の駒は、東京都港区の愛宕下から1枚と、
大阪城下町遺跡から1枚の計2枚と認識される。なお前者は「天童の将
棋駒と、全国遺跡出土駒」には、記載が無い。が前に、本ブログで紹介
した、東京の港区愛宕下遺跡発掘の「裏金将鉄(新字体)将遊戯駒」が、
四角形であるため、ここでは四角形将棋駒としてカウントしている。
 がその他に、四角形の頭の両角を切り落とした形の、

六角形駒も、松岡説の範疇に入るものとして、ここではカウント

した。理由は、敵味方の区別をするためであれば、五角形ではなくて、
四角形の頭の両角を、切り落として六角形にしても、ほぼ同じ機能があ
ると、私は考えるからである。なお、その類の六角形の駒は、東京都港
区の汐留遺跡と、京都府の妙心寺境内金牛院遺跡から1枚づつ、計2枚
出土している。その他に、五角形の駒が崩れて、四角形や六角形かもし
れないものは何枚かあるが、どうもはっきりとはしないので、ここでは
除外した。

すると、古代・中世の長方形駒類は、今の所見つかって居無い

と結論できると、私は考える。
 以上の結果から、表題の論題についての結論を述べる。
今の所、松岡氏の将棋駒の最初期の

形に関する考えを、支持する出土史料は、まだ発見されていない

と、私は認識する。
 そこで、次に出土駒の史料を、どう解釈するか、本ブログの見解(私
見)を以下に述べる。結論を先に言うと、今の所、兆候が全く私には感
じられないのだが、

京都から、興福寺出土駒よりも古い、四角形駒が出土すれば、それは、
松岡氏の、日本の将棋一条帝宮廷サロン生成説にとっては、かなり有利
な材料になるだろう

と推定する。私見だが、今の所の史料の解釈としては、

現実の出土駒の状況は、江戸時代に、都市部だけで別目的の長方形木札
の使用がある程度は”はやり”、その流行に引きづられて、長方形駒等
が、幾らか作られる事があった

でつじつまが合うように、私には見える。ただし、私には、お茶の種類
を当てるゲームや、香の種類を当てるゲーム、あるいは将棋以外の絵双
六等のボードゲームも、都市部では盛んに行われたせいなのか、賭博の
札なのか、何が元だったのか、詳細は良く判らない。逆に言うと、本ブ
ログの言う、九州博多の最初期、五角形駒将棋具は、

後発地の京都では、比較的その通り真似られて、かつ後世まで良く保存
されたと、今の所は、考えざるを得ない状況

なのではないかと、私は思う。こうなってしまったのは、恐らく
(1)唐物の荷揚げ港の文化を真似るのが、長い期間流行だったのと、
(2)五角形の形に、威厳や呪術性(願掛けの成就等)を感じる感性が、
古代から中世の日本人にはあったため、五角形は親しみやすい形であっ
た、ためだろうと私は理解する。
 何れにしても、日本の将棋が、京都を発祥の地としているとするなら
ば、

一条帝宮廷サロン作成の四角形駒を真似た、かなり多数の、平安時代後
期の将棋駒が、京都府近辺から、将来出てくる可能性が有るはずだ

と私は考える。
 なお、松岡氏は、前記の「解明:将棋伝来の謎」に於いて、江戸時代
の古文書、「二見之字羅」(1773年)に、”将棋の駒は、貝の形を
かたどったもの”と書かれているとされる例があると、指摘している。
しかし残念ながら、これは、

最初期の将棋駒として、長方形型の駒が有ったのではなくて、貝型の駒
が含まれていた事を、示唆している

のではないかと、私は思う。すなわち、後一条天皇に与えられたとみら
れる、

金や銀の将棋駒で飾った将棋盤が最も目立つ、将棋用の玩具の歩兵駒が、
現タイ国将棋のポーン駒型と同じ、貝型であったのかもしれない、

と言う、”伝来立体駒が意匠として、タイ国仏塔型”であった可能性を、
むしろ示唆するものなのではないか。伊勢貞丈の「二見之字羅」の記載
は、わが国では朝廷内に於いてだけ、西暦1010年代から1080年
代頃まで存在した可能性が高い、金・銀等の製品である

立体駒将棋具時代のから、五角形駒将棋具時代へ、移行するまでの混乱

を、示唆している記載なのかもしれないと、本ブログでは見ているので
ある。(2018/04/08)

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