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日本の大将棋の牛駒の元駒は、なぜ”猛牛”という名前なのか(長さん)

容易に入手可能な漢和辞典で、最も詳しい内容の全書に、大修館書店の
「大漢和辞典」(1958)というものがある。それには”猛”と付く
各種の単語が記載されているが、”猛牛”という記載は無い。猛の付く
動物名で代表的なものは、虎である。その他この辞書には、馬、犬、狗、
猪と、結構な数の動物名が載っている。なお、猛猪は、正確には猛諸の
誤用で、中国の鬼人(妖怪)の名のようである。現代では、日本のプロ
野球のあだ名にまで使用されている”猛牛”だが、南北朝時代より前の
将棋の駒名に、この単語が使用され得るという根拠を示すのは、実は容
易な事ではない。たとえば、その先行研究として、大阪電気通信大学の
高見友幸氏による、源平盛衰記の、木曽義仲による、平家、火牛攻めに
関連した、牛の字使用の研究が、webで公開されている。それによる
と、源平盛衰記には単に「牛を集めて、いわゆる火牛攻めを行った」と
の旨の記載(火牛の単語も無い)しか、現われないとの事である。では、
鎌倉時代中後期の、普通唱導集の大将棋に、未確定ではあるものの、
猛牛という駒が有るとしたら、どこからこの単語を、普通唱導集大将棋
のデザイナーは、持って来たのだろうか。これが、今回の論題である。
 実は最近、私はさんざんこの問題を考えたのだが、結論を先に書くと、
次のような答えになった。

猛虎の猛をそのまま、牛に付けたのであり、作者は陰陽師か、ほかなら
ぬ普通唱導集大将棋のデザイナー自身とみて、どうやら間違い無さそう

である。
 つまり、

現在のプロ野球チームのあだ名等にもなっている、猛牛という単語は、
鎌倉時代中に作成されたボードゲーム、大将棋が起源である疑いが、
極めて高い

という事である。
 では以下に、その説明をする。
 まず、猛牛という単語を、より普遍的な、猛虎から持ってきた、動機
は、以下のように推定される。ずばり、

鬼門の方向を中心に、猛のついた動物を、左右に2頭置くため

である。鬼門は、丑寅方向なため、平安大将棋の猛虎だけでは、片方が
足りない。そのため、牛駒を加えたというのに、間違い無さそうだ。
そう考えられる根拠として、私が推定した普通唱導集大将棋には、
平安大将棋の

飛龍と、嗔猪という2種類の駒が更にある事が、確定している

からである。これらは、陰陽道の、十二支で方位を現すシステムに於い
て、龍は兎を挟んで虎の一つ跳び先だし、猪は鼠を挟んで牛の一つ跳び
先になる。だから、

牛駒を入れさえすれば、鬼門方向を中心に、対称的に動物が取り入れら
れる

という事である。つまり、牛駒は、五将制を取る等、陰陽道の影響が
たいへん強いと、かなりの数の将棋史研究者が賛成する、大将棋(平安
大将棋系)に於いて、

牛駒は、絶対に必要な不足駒

だったのである。またそれは、虎と共に、鬼門の左右を守るためのもの
であった。既に将棋の虎には、代表的な修飾詞”猛”が付いていたので、
守り神の力に、左右で寸分の差が出て、守りが崩れないようにするため
に、修飾詞を揃え、

普通唱導集大将棋のデザイナーは躊躇なく、造語の”猛牛”を選択した

と、いうわけであろう。その結果、私が13升目制と推定する、
普通唱導集時代の大将棋の2段目は、私によると、以下のようになった
とみられる。

二段目:反車、飛龍、嗔猪、猛牛、猛虎、麒麟、酔象、鳳凰、猛虎、
猛牛、嗔猪、飛龍、反車(以上13枚)

ちなみに、冒頭でも述べたように、猪駒が嗔猪であって、猛猪にならな
かったのは、正確には猛猪が猛諸だった為であり、中国の妖怪は使用せ
ず、日本書紀の、雄略天皇に関する故事に出てくる、嗔猪(いかりゐ)
から取ったのであろうと、今の所私は推定する。
 以上のように、”牛が猛獣である”という、通常の感覚からすると少
し違うのではないかと思われるような、”猛牛”という単語が、恐らく
日本の中世に発生した主な理由は、

普通唱導集時代の大将棋に、他の動物駒として、12支の猪、虎、龍が、
その前に存在し、鬼門方向を固めるためには、不足が牛だけだったため

というのが、私の現在の考え、というわけである。(2018/04/10)

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