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二中歴記載平安大将棋の飛龍の動き「四隅超越」の超越は走りでOKか(長さん)

本ブログでは、表題のように、平安大将棋に関する二中歴のルール記載のうち、
”飛龍四隅超越”について、”飛龍は斜め4方向それぞれに走る”と解釈する
立場を取る。これは、ものと人間の文化史”将棋Ⅰ”の著者、増川宏一氏の漢
文訳を、信用する形となっている。ただし、この訳については”誤訳であり、
飛龍は、斜め四方向それぞれで、1升目跳び越える”であるとの、意見も強い。
たとえば、将棋史研究家の故溝口和彦氏も、後者で解釈していたと、私は認識
する。これについては、今まで本ブログでは、具体的に、辞書を引くなどして、
増川宏一氏の漢文解読を、裏付ける等の作業をした事は無かった。超を”進む”、
越を”任意升目を越える次の升目”と解釈するという意見を、本ブログで以前
表明した。がそれは、漢和辞典の”見出し字”に続く柱書き部分の説明の、私
なりの解釈でしかなかったのである。つまり単なる我流である。そこで今回は、
辞書を当たって、超越が”走る”と言いえる根拠は、増川氏の読み下し以外に、
何かあるのかどうかを、調査してみたので、以下に報告したい。
 結論を述べると、少し前に本ブログで紹介した、諸橋徹次著書、大修館書店
発行「大漢和辞典」(1958)の巻十に、超の字の所に載っている、超越の
例示で、

”軽やかに疾走する”の意味となる事から、これを”制限されずに進む”と
意訳して”走る”と解釈できる、

という肯定的な結果となった。以下に、もう少し詳しく、経過を説明する。
 上記辞書によると、超越には、実質的に5つ程度の別々の使われ方がある。
(1)~より優る。~を立ちこえる。
(2)優れる。
(3)世俗を離れる。
(4)軽やかに疾走する。
(5)~を跳び越える。
の5つである。上記で暗示したように、(1)は他動詞、(2)と(3)は
自動詞、

(4)が自動詞で(5)は、少なくともこの辞書では、例文として、他動詞と
しての使われ方の例だけが載っている。

つまり、

(5)の増川宏一氏訳の批判者の言う、”跳び越える”だったとすると、
目的語が超越の後に、何か必ず書いてあるはず

である。しかし、飛龍四隅超越では、飛龍が主語、四隅は目的語とすると、将
棋ゲームルールとして、”四隅を”では意味不明であるから、”四隅それぞれ
について”であって、副詞と解釈せざるを得ない。そして、超越が自動詞のは
ずである。つまり、英語と同じようなSV形式の、中国語の文と見るべきでは
ないのか。
 なおこの辞書では、それぞれの超越の意味について、例文がある。(4)
については超越を用いて、”舟が海原を、軽やかに疾走する”と表現された
文があって、それを例として引いてある。そして超越が文末なのである。
それに対して、(5)の用法については、”江湖を超越し”という、語句が
中間に挟まっており、超越という他動詞の後に、”江湖”という目的語が書か
れていて、一二点等が打たれて、日本語流に、動詞が後で読めるようになって
いる。
 よって私は、鎌倉時代初期の、中国の書籍の書き方で、文書を書いていた、
二中歴の著者の三善為康の、

この部分の超越使用方法は、”軽やかに疾走する”の意味であろうと、解釈

したのである。
 なお、超越はかな書きにすると、古文では”てうをつ”になるそうである。
しかし、平安時代まで使用の古語辞典を当たってみたが、”てうをつ”は載っ
ていなかった。恐らく、鎌倉時代初期の頃には、中国の伝来書籍に詳しいと
みられる、二中歴の著者三善為康は、当時の日常語ではない超越を、中国の書
籍の漢文の使い方で、使っているに違いないと、私は推定する。つまり
飛龍四隅超越は、

漢文のその部分に、目的語が見当たらないので、「大漢和辞典」に従い
”飛龍は四隅に制限されずに進む”と私は解釈した

と言う事である。ただし、「大漢和辞典」には、中国古典文書の例文が、5つ
の用法について、合計で5例程度しか載って居無い。だから、”軽やかに進む”
であっても、別の中国古典書籍で、目的語が有る場合が、あるかもしれないし、
(5)の”跳び越える”でも、自動詞になっている例が、絶対に出ないとも限
らないのかもしれない。なお日本語古文を載せている、古代から近世まで全て
網羅された、別の古語辞典によると、”明王朝の時代の某人が、山河を超越
して、そこに行った”という意味合いの例文が載っている。が、その例文でも、
目的語の山河等が、超越に付いているように書かれている。この例は、明王朝
の話であるから、出典は、室町時代より後の文書であろう。何れにしても時代
が下ると、日本式漢文では、(5)の”超えてその向こうへ行く”の意味で、
超越は、”飛龍一升跳び越え”論者達の言うように、確かに日本では、使用さ
れるように、なっては来ているようである。
 以上のように、上記の根拠も、漢和辞典や中国語辞典を調査で判った限りの
”今の所”は、という但し書きはつけておく。なお中間的な時代の、室町時代
限定の古語辞典を当たると、

超越(てうをつ)は、(1)~(3)の使い方が多く、物体が運動する様子に
関連する(4)や(5)の意味には、余り使われた例がない

という事も判っている。室町時代には、超越は仏教哲学用語で言う、仏道への
精進や悟りを開いて、より高い位置に登りつめるとか、出世街道で、跳び上が
り出世をしたときに使う用法等に、限定されて、使われていたようなのである。
つまり、鎌倉時代初期に二中歴に書かれた、飛龍四隅超越の(4)の使い方は、
私の調査が正しいとすれば、既に

室町時代には、日常では余り使わない、昔の日本語になっていた

という事らしい。少なくとも、安土桃山時代の後期大将棋の飛龍のルールは、
制限されずに進むの走りの意味ではなくて、増川宏一氏の漢文読みに反対する
研究者同様、1升目跳び越えるに、より近いルールになった事は、事実である。
これは、ひょっとすると、超越の意味が、少なくとも鎌倉時代初期と、室町時
代前後とで、物体のうごきから、仏教哲学用語等に大きく変わってしまった
ために、

二中歴の文書を、室町時代にはもはや、室町時代の日本語として訳せなくなっ
てしまったため

のルール混乱が起こった結果なのかもしれないと、私には想像された。
(2018/04/14)

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