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奈良県興福寺の、”西暦1098年駒”の公開の続報(長さん)

数日前に、奈良県県庁のページからの情報として、”橿原考古学研究所
のホール(フリーゾーン)にて、5月第二週から13日(日曜日)まで
限定で、2013年出土の酔象駒を含む、奈良県興福寺の西暦1098
年駒9枚の公開が、期間限定である”との旨を、本ブログで紹介した。
なお、同研究所のホールは、月曜はやって居無いらしい。
その後さいきん、読売新聞にて、関連記事が紹介されている。結果、新
聞記事の内容から、

読売新聞のその記事には、酔象駒に対する言及が全く無く、遠方観覧者
は、展示が実際に始まってから、様子を聞いてから見に行くべき

と、本ブログでは、この展示の観覧についてはお勧めする事にした。す
なわち、奈良県県庁と読売新聞の記事の差から、西暦1098年の酔象
が、公開物品に含まれない可能性は、少ないとは見られるが、
橿原考古学研究所自体が、アピールの主眼点を置いているとの情報が、
今の所無いために、

酔象の成り等が、詳しく紹介されているかどうかが不明

だからである。
 なお読売新聞の最新記事によると、”橿原考古学研究所の学芸委員長
は、2013年頃発掘した駒の9枚の中に、と金が含まれる事を、訪れ
た将棋棋士の、加藤一二三氏にアピールした”との旨ある。

web上ではこれまで、興福寺の2013年の発掘将棋駒と言えば、
酔象が著名だったので、”と金が見所”とは、少なくとも私には初耳だ。

 本ブログでは上記の興福寺術度駒の”と金”の件について、これまで
紹介はした事が無い。岩手県の平泉近郊の、中尊寺境内遺跡の出土歩兵
駒が、”と金”のさいしょ位であろう、としていた。金と今とで、字は
違うが、今の崩し字である”と”の字一字でも、ひっくり返すと別の字
に見えるので、敵味方駒の識別能力があるとの、信用を獲得するまでに、
こちらも数十年あれば、足りたと言う事なのであろう。従って、

興味深い情報だが、1098年酔象が成らないよりは、情報の重みは少
ない

とみられる。
 その時点から見て、100年近く前の、平安中期の王朝絵巻の時代風
に、興福寺の将棋駒が作られているという事実が、内在される程度と、
ここではみる。さしずめ、院政時代に成立した、大鏡を見ているような
イメージで、興福寺の1098年頃の成り”と金”歩兵駒は、見るべき
ではないかと、私は考える。なお、史料は無いと思うが、”今”の
崩しとみられる、”と金”という書体は、藤原摂関全盛期の、王朝文学
の華やかしい頃に、女流文学家によって作られた字体とのイメージが、
少なくとも私にはある。
 また、歩兵の成りの金将が、”と”表示にされた理由は、本ブログの
見解では、

元駒が歩兵であるかどうかという点が、西暦1020年頃、原始平安
小将棋の対局中に、九州大宰府の武者によって、自分の姿として特に注
目されたため、香車・桂馬・銀将の成りと、区別する必要があったため

という事になっている。なお他には、日本将棋連盟が出版した、木村義
徳氏著の”持駒使用の謎”等に、

”当時から持ち駒ルールがあり、歩兵の成りである事を、香車・桂馬・
銀将のそれから区別する必要があったため”との説がある。

後者については、二中歴の将棋の記載に、はだか玉ルールが含まれる為、
疑問視、または、その点が指摘される場合が多いと、本ブログでは認識
する。
 将棋を指す方には、釈迦に説法だろうが、以下のような事であろう。
つまり興福寺の出土駒の段階の将棋が、取り捨てだと仮定すと、オフェ
ンスがディフェンスに比べて、平安小将棋系だとすると、ひ弱なために、
途中で玉を取り逃がすと、詰まないため勝負がつかなくなる。そこで勝
負を、それでもつけるには、駒を相討ちにして、最後に玉以外の駒が、
無くなった方を負けにするしかなく、はだか玉ルールの作成は、取り捨
てと仮定すると、一応合理的と見られるようだ。今回公開される、興福
寺今世紀発掘分の駒の、その約100年後に書かれた、二中歴の”将棋”
の、はだか玉ルールの記載は、よって平安小将棋が、取り捨てルールで
あった事を示すと見るのが、今の所定説だと、私は認識している。
 何れにしても、成金の書体については、なんらかの理由で、成りを見
ただけで、元駒が何かがわかるようにした、”優れた日本人による発明”
である事には、間違いない。
 が、と金の出土は”歩兵の成りが、と金である”という、後期大将棋
と大大将棋以外の日本の将棋では、既存の将棋種のルール用に、調整さ
れた駒が、西暦1098年にも存在した事を、示すのみであり、

酔象の成りは、太子か王子に決まっており、”不成りの酔象”という駒
は、既存の日本将棋では目下の所、全く知られて居無い

というほどまでのインパクトは、どうみても無い。
 なぜ奈良県の紹介とは違う事柄について、橿原考古学研究所が力点を
変え、読売新聞に、公開の見所を説明したのかは、私には謎である。が、
少なくとも奈良県県庁のホームページの内容とは、読売新聞記事は、事
実として整合しておらず、

”一週間の期間限定のフリースペースへの展示”で、何に力を置いて公
開されているのかについては、今の所、情報が錯綜しており、中身が謎

と、見ざるを得ないように、私には思われる。
 しかし奈良県民にとっては、奈良県行政の招待があるのであるから、

奈良県民の方は、ぜひこの機会に観覧された方が良い

と、本ブログでは表明しておきたい。前にコメントにも書いたが、問題
は、費用のかかる、遠方の見学者の場合であり、

旅客機や新幹線を使わないと、現地にたどり着けない程度に、遠方から
の方には、実際に展示の内容が、ふたが開いて、様子が明らかになって
から、酔象の成りまで、きちんと公開されていることを、御自分で確か
められた上で、しかる後にお出かけになる

ように、本ブログでは特に今回の件は、御薦めしておきたいと考えてい
る。(2018/05/07)

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