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将棋纂図部類抄では”猫股”が、なぜ”猫叉”と書かれているのか(長さん)

今回の論題は、水無瀬兼成の将棋纂図部類抄の”猫股”は、なぜ”猫叉”
と書かれているのかである。すなわち、諸橋漢和辞典では、猫叉の正字
は、豹の辺に苗と書くネコに股である。ここで、猫が獣辺なのは、日本
での習慣での俗字あるとみられる。これは中国とは違う、昔からの日本
の習慣なので仕方が無いが、股が叉または又、あるいは江戸時代の将棋
書で、刃になってしまい、そもそも”ねこまた”ですら無いのは、全部
中国語には無い、日本での変形である。特に、現在では”猫又”と
標準的に表示されるが、元々は股と書くのが本来なのに、股の右下部分
だけで、済ましているという訳で、現代人は、単なる略字を、正解と
勘違いしているという、でたらめな例という事であろう。
 ともあれ今回の論題は従って、

安土桃山時代の水無瀬兼成が書いた、将棋の駒の猫叉が、猫股でも、
猫又でもなくて、猫叉という字になっているのはなぜか

と言う事になる。そこで回答から、いつものように書くと、
水無瀬兼成が猫叉を猫股、猫又と書かなかったのは、

たまたま、曼殊院の元の将棋図で、猫叉の字が当てられたから

だとみられる。
 まず、現代のように、猫又と書くのは、股が正しいとすれば、猫の
マタぐらを、”猫再び”と言い換えたことになってしまい、こんなのは
論外である。さすがに、西暦1443年に曼殊院では、今流の、そのよ
うな、でたらめな”あて字”は、行わなかったと言う事だろう。
 では、股が叉になった理由だが、フタマタに分かれるという意味で、
両方いっしょだったので、股が体の部位として、

品が良くないという、恐らくそれだけの理由

で、藤原定家に逆らって、叉を曼殊院等が選んだのだと私は見ている。
 前に、武蔵七党の猪俣党の話題を出したが、地名に使われる俣も、
叉と一緒で、”分岐する”の意味があるので、”猪の危険な体の部分”
の意味が、品の悪さから避けられて、猪俣という漢字の地名表記に、
なったと見られる。しかし考えてみれば”猫のマタぐら”を、”猫の
どこかが、二またに分かれいる”と漢字で、表現変えをしたからこそ、

”尾が2つに分かれた猫”という、それまでには無かったイメージを、
考える事が出来た

とも、言えるのではないか。
 他方吉田兼好の徒然草では、少なくとも成書の解説書では、皆、
猫股の股は、平仮名になっている。理由はわからないが、”猫また”
にしたので、徒然草も品良く、笑い話になったのは確かである。しか
し、将棋の駒の名前としては、仮名は使え無いので、敢えてそれまで
には、仮名で書くのが慣わしだったものに、漢字を当てるとすれば、
将棋の駒名にするため、猫叉が出来たというのが、そもそも尾の分か
れた猫が発生した原因だとも、考えられるのだろう。
 しかも、水無瀬兼成の将棋図が出来た、安土桃山時代の末と言えば、
”江戸時代の猫また”が発生する、100年以上も前の事である。

踊る猫の化け物を発生させたのが、将棋の駒名であると疑われても、
しかたのない早さ

なのではないか。
 従って、”九尾の狐”の古い姿を、猫股のイメージとして発生させ、
本来の猫股を”謎の姿”に変形させてしまった犯人が、元をただせば

実は、曼殊院の将棋図が、水無瀬兼成の将棋纂図部類抄として、普及
したのが、そもそもの発端だった

という事も、全くありえない話では無いように、私には将棋纂図部類
抄を眺めていて、最近思えてきたところである。(2018/05/13)

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