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摩訶大将棋の王子を真似、チムールチェスの王子は作られた。(長さん)

今回の表題は、すぐ後で書くが、論題の結論そのものとしてみた。
 すなわち、

摩訶大将棋の王子が親で、チムールチェスの王子が子であるという意味、

更に言い換えると、摩訶大将棋の王子を真似て、123総升72枚制
チムールチェスの王子が作られたのではないかと、言う意味である。
つまり、論題は、

摩訶大将棋の王子と、チムールチェスの王子との、親子関係はどうなっ
ているのか

という内容だという訳である。
 ついでに根拠も、とっとと書いた方が早いだろう。

チムール帝国(またはイランの、イスラム・チムール朝)は中国の明代
の王朝、日本で、王子や太子が作成されたのは、元寇の時代、すなわち
中国の元代である

と、少なくとも本ブログでは考えるからである。なお、

本ブログの王子(太子)の起点に対する推定は、将棋史界の現在の定説
よりは、実はたいへんに遅い。

興福寺の1058年酔像木簡等のイメージから、王子の日本での出現は、
更に早く、中国王朝の北宋の時代と見る意見が、今の所は根強い
からである。つまり、

日本の王子や太子の起点が、ペルシャのチムール帝国程度にまで下ると
いう説は、たてても現行は、たいへんに不利な状態

なのである。
 では、説明の順序が逆になったが、以上の議論が出る、背景について
以下に述べる。
 大阪商業大学アミューズメント研究室発行(2014)の、解明:将
棋伝来の「謎」に、将棋史研究家の岡野伸氏の作成したとされる、世界
のチェス・将棋のまとめ図が載っている。この中で、今のイランの所に
書かれている、チムールチェスについては、

いっけんして、中将棋の形に似ているために、私は前から、かなり気に
なっていた。 

 そこで今回、少なくともwebで、チムールチェスについての情報
を、ざっとだが、拾ってみる事にした。結果、

高見研究室の摩訶大将棋のブログ、194の記載が、最も判りやすい

ことに気がついた。高見友幸氏には、幾ら感謝しても、感謝のしようも
無い所である。理由は、
イスラム文字で上記サイトに図が出ているが、冒頭で述べた、総升目数
123升目72枚制チムールチェス(駒ぎっしり型)の駒名の内容が、
高見研究室のサイトで表示した図では、良く判り、それと英語で、
総升目数123升56枚制チムールチェスの、ルールを書いたサイトと
を比較すると、高見研究室のブログの写真から、私にもだいたいルール
が判るからである。
 また、高見研究室のブログには、”
総升目数123升72枚制チムールチェスが、総升目数123升56枚
制チムールチェスから派生した、後者より少し、後の時代のものであり、
他方英語のサイトには、総升目数123升56枚制チムールチェスは、

早くて西暦1336年、遅くとも西暦1405年までには存在したもの”

と出ている点も、私にはありがたかった。つまり、中国では明の時代に
存在した、チムール帝国(王朝)のゲームという事になる。
 ところが、高見研究室の摩訶大将棋のブログには、

”チムールチェスの王子駒が、摩訶大将棋の王子の起源であり、前者が、
後者の親である”かのように書いてあったので、私にはクエスチョン

となった。本ブログでは、摩訶大将棋の起源を1443年より、少し前
と、学会でも、最も遅く見ている。が、それでも”仲人型の4段目駒が、
特徴だ”と、高見研究室が指摘する、

総升目数123升72枚制チムールチェスが、それより古いとは考えに
くい。どっこいどっこいなのではないか

と、年代からは認識するのである。
 そして、本ブログでは、摩訶大大将棋の王子は、太子の言い換えにす
ぎず、その起源を、

西暦1230年~1260年の間としている。

これは、総升目数123升72枚制チムールチェスより少し早いと、高
見研究室の、摩訶大将棋のブログ、194から察せられる、総升目数
123升56枚制チムールチェスの1336年~1405年よりも、更
に早い。
 そもそも、本ブログの推定によると、太子に成る酔象が、1260年
型大将棋で導入されていたとみているのは、

皇族出身の鎌倉将軍である王将より、釈迦の方が、蒙古に対する、日本
の守り神として権威があると、当時の大将棋を指すような知識人の間で、
陰口がささやかれていた事の、反映と見て間違いない

という事からだった。実際、時の鎌倉将軍であった、鎌倉第七代将軍の
惟康親王は、後に蒙古来襲がひと段落すると、執権の北条氏によって、
籠に逆立ちに乗せられて、追放される程度の存在で有る事は、著名であ
る。よって、上記の釈迦駒導入の動機付けは、日本の鎌倉時代には、
充分にあると、少なくとも私には思われたのである。なお、太子が釈迦
であるという説は、さいきん、大阪商業大学アミューズメント産業研究
所主任研究員の古作登氏により、盛んに主張されている説で、本ブログ
も、この説には賛成している。
 以上の事から、

単純に年代の後先からだけ考えると、ペルシャ人が日本人のゲームのア
イディアを、室町時代前期に真似た

としか、考えられないのである。恐らく、日元貿易の時代に、日本の
風俗・文化に関する情報が、西洋ルネサンス少し前の、当時の第一線の
文明国、イスラム・チムール帝国にも、かなり流れていたのであろう。
その速度は現代社会の、西洋発のweb情報の流れの速度からみると、
桁外れに遅く、ごくゆっくりだったのだろうが。しかし、数十年という
タイムスパンでみると、チムール帝国には、中国や、日本の情報が、
すべて伝送されていたとみた方が、尤もらしそうだ。
 ところで話は少しそれるが、以前故溝口和彦氏のブログで”中国シャ
ンチーの砲駒は、私には特定できないが、総升目数123升72枚制
チムールチェスの駒起源である”と書かれていたのを、見かけた事も
ある。当時は、そんなものかと、私は見ていたが、これも変だ。

なぜなら、中国シャンチーの砲の導入は、北宋象棋の時代であり、
チムールチェスは、チムールのゲームだとすれば、中国の明の時代の
ゲーム

だからだ。これも、時代の後先が逆であり、どのような情報に基づいて、
中国の砲駒の起源を、チムールチェスにしているのか、摩訶大将棋ブロ
グの王子起源説とともに、謎

である。何か別に、総升目数123升72枚制チムールチェスが、古い
という根拠があるのであれば、

総升目数123升72枚制チムールチェスをチムールチェスと呼ぶのは
止めた方が良い

と、私には思う。この72枚制、駒ギッシリチェスの4段目と3段目の
兵駒のうち、中央の兵駒の”でっぱり”は、確かに王子の導入に、起因
するものである。

従って、この72枚制のチムールチェスは、大型チェス、
総升目数123升56枚制チムールチェスをペルシャ人が作ったのちに、
中国シャンチーの砲と、日本の太子、西洋流に訳すと、王子の情報を入
手してそれらを加え、その少し後に、同じくペルシャ人が、作成したよ
うに、見えるものである。
これが、摩訶大将棋の起源を、平安時代と、比較的早く見る高見研究室
の論理で、摩訶大将棋より古いと見るなら、どういう思考で、そう結論
するのか、溝口氏の中国シャンチーの砲の説といっしょで、

私には、さっばり判らない。

今の所は、ペルシャ人が鎌倉時代の大将棋を見て太子を、彼らの、ビッ
グチェス、チムールチェスに、たまたま室町時代に導入したので、彼ら
のビッグチェス、

すなわち72枚制のチムールチェスは、日本の普通唱導集時代の大将棋
に、見た目も内容も、結構似てきてしまったようだ

と、本ブログでは、はっきり表現しようと私は思っている。(2018/05/17)

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