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摩訶大大将棋の玉将は何故成るのか(長さん)

日本将棋連盟が作成した日本将棋用語辞典にも書いてあるが、摩訶
大大将棋の特徴に、玉将が”自在王”に成るという点がある。今回
は単純に、その理由を論題にしてみた。
 先ずは何時ものように回答を先に書く。

小駒の成り駒が、小駒の字に奔を付けた駒という”系統付け”を
成りに対してしたために、玉将の成りが問題になってしまい、
摩訶大大将棋についてだけ、玉将の成りを考えざるを得なくなった

ためだと私は考える。なお、この点については、
仏教関連の駒が多い、摩訶大大将棋では、自在王も、さいしょから
仏教駒として導入されたとの意見も多い。先行研究例の一つとして、
大阪電気通信大学、高見友幸氏の摩訶大将棋のブログに、薬師如来
の分身の一柱である、自在王如来の説が載っている。が、さいきん

私は、良く考えてから、これらには反対の立場を取る事にした。

理由は、考えてみるに最初から

ダイレクトにその仏教の菩薩・天部等の仏神の名前にしない根拠が、
特にこれといって見当たらない

と思うからである。つまり、仏教としては同じなため、少なくとも
わが国の場合、特定の如来・菩薩・天部等が、ある宗派では神だが、
他の宗派では、悪魔とされるといった事は、基本的に無い。だから、

その仏教の神様の名前を、玉将の成りの名前にしたいのなら、その
通りの名前に、最初からすれば良いだけのはずだ

と、私は思うようになったからである。つまり自在王は自在王如来
等で、良かったのではないのか。
 なお、象棋六種図式では、自在王ではなくて、摩訶大大将棋の玉
将の成りは、自在天王とされている。シバ神の仏教式呼び名、大自
在天の別称(稀)である。
 しかし、シバ神は仏教では、形はあっても欲望の無い色界で、
三千世界のコントロール装置の一部の働きを、しているだけと、私
は聞いている。
 だから仏教では、シバ神には、活動するための”自身の活発な動
き”というイメージが余りなく、

自在天王には、経文用語で言う”大自在”の動きのイメージが無い。

だから、私には象棋六種図式の著者が、水無瀬兼成の将棋纂図部類
抄の中の、摩訶大大将棋の玉将の成りを、自在王から、自在天王に
変えたのは、間違いだと思っている。つまり、水無瀬兼成が正しく、
象棋六種図式の著者の考えは、間違いだと、ここでは考えていると
いう事である。恐らく、

摩訶大大将棋の作者は、玉将の成りは、本当に自在王にした

と、私は考える。これを、”自””在””王”という3つの漢字が
入っている、仏教の如来、ないし菩薩、ないし天部と、棋士等が考
えたのは、摩訶大大将棋の成立よりは、少なくとも後の時代なので
あろう。
 なぜなら、これが特定の如来、菩薩、天部と作者がしたいのなら、

自在王ではなくて、最初からたとえば世自在王にしても、玉将駒は、
多少大きめな造りなため、三文字でなく四文字駒でも五文字でも、
それでもOKのはず

だからである。
 そもそも摩訶大大将棋の成りが、小駒について、奔を付けると
成りになるようにしたのは、最初からそうだと私は思う。その結果、
玉将も小駒であるため、本来なら奔玉や奔王に成るべきと、棋士は
だれもが感じたのであろう。しかし、奔玉にしてしまうと、摩訶大
大将棋には、元駒としての走り駒、奔王が存在したので、奔王を、
玉駒扱いに、しなければならなくなるため、矛盾が生じた。その
結果、摩訶大大将棋の作者は、実は

さいしょ奔王と同じ動きで、取られたら負ける玉将の成り駒として、
奔王の言い換えのつもりで、自在王という名前を作った

のではあるまいか。しかし、自在が”超越”と同じく、束縛がなく
遠くへ行くという意味であるという概念が、室町時代の末には、無
くなって、しまったのだろう。そのため、盤面に行けない所が無い
と解釈されるようになり、現在の摩訶大大将棋の、自在王ルールが
できたのではないか。実際には駒枯れになってから、玉将が成ると、
盤面の大きな摩訶大大将棋では、奔王でも自在王でも、捕まえに
くいのは、ほぼいっしょなので、自在王のルールが、もともとの
奔王から、盤面行けない所の無い現在の自在王のルールに、その
うち、変わってしまったのだろう。
 また作者は、仏教駒を多く、摩訶大大将棋に導入している事や、
経典にしか、驢馬が当時無い事から、仏教関係者には違いないのだ
ろう。従って、自在王が世自在王、自在王如来、大自在天の別名と
して、稀に使われていたとされる、自在天王という、如来や天部の
何タイプかに近い名前で、語呂が良いので、自在王に、した事も、
確かかもしれない。
 そのため、実際に少し時代が下がると、自在王は、摩訶大大将棋
には最初から有る、提婆や夜叉等と同様、特定の仏教上の仏神と、
同一視も、されるようになったのだろう。
 しかし、作者は本当のところ、

元々は”奔”の類似語を探して”自在”にしただけ

だったのではあるまいか。そう考えないと、避ける理由の特に見当
たらない、特定の仏神の名前に、最初からしたいのならしない理由
が、どうしても説明できないように、私には思えるのである。
(2018/06/06)

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