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禽将棋の鷹成りの鵰。象戯図式の泰将棋の朱雀に動きが似ている訳(長さん)

今回は、駒数の少ない日本の将棋であるが、駒の動かし方のルール
が駒数多数将棋と関連する、禽将棋の、特定の駒についてのみ話題
にする。
 禽将棋は西暦1790年前後に、将棋の者三家のうちの大橋分家
の当時の当主で、江戸時代将棋家の、第9代の名人と言われる大橋
宗英によって作られた将棋である。時代は、徳川家治から家斉に
かけてとみられる。ここで問題にするのは、前に述べたが、禽将棋
で、朝倉小将棋の酔象のような位置に配置されている、表題の鷹と
いう駒が、鵰(しゅう・くまたか)という、
斜め前と後ろに走り、上に一歩、斜め下に2歩(恐らく)制限され
た走り型および、隣接升目でも止まるルールで歩む、ここまでは、
松浦大六氏所蔵の象戯図式の朱雀と同じで、かつ、横にも一歩動け
ると、象戯図式の朱雀から、多少変化をつけた駒である点である。
つまり、

江戸初期作の将棋書、象棋図式の泰将棋の、朱雀の動きを含みかつ、
横にも一歩動けると、多少は、お愛想に変化をつけて意図をぼかし
ている

鵰のルールについてである。この点をなぜ問題にするのかと言えば、

ごく小型の将棋にしては妙に、複雑な動きの駒を入れているという
点で、明らかに不自然感がある

からである。特に、斜め後ろは狛犬型の踊りが、正調かもしれない
ので、問題が起きそうだ。
 ともあれ、なぜこんなルールにしたと考えられるのか、先に答え
を、いつものように、書いてしまおう。

禽将棋を作成した大橋宗英が実は、水無瀬兼成作成とここでは見る
泰将棋に関して、江戸初期に、象棋図式でそのルール整理を行った、
伊藤家宗主の伊藤宗看の仕事自体に、興味を持っていたから

と、本ブログは見る。更に、はっきり言うと、
泰将棋の拡張について、西暦1790年頃、大橋宗英は興味を持っ
ていた。ようするに、もっとはっきりいうと、

大局将棋の作成に、江戸期第9代名人の大橋宗英が、実は関与して
いた疑いが、かなり強い

と、私が疑っているという事である。今まで、私は以下の主張を、
将棋史家の誰かが、しているという話を、聞いた事が余り無いが、

新作将棋を作成するという点では、禽将棋も大局将棋もいっしょ

なのではないかと疑う。つまり、将棋将軍、徳川家治の時代の少し後
に、禽将棋を作成した大橋宗英は、新作将棋を作るという点で類似の、

大局将棋の作成との関与も、徳川家治トレードマークの七国将棋類似
駒が、大局将棋に入っている点等からみて、疑われて、そもそも当然

なのではないかと、私は考えるという事である。
 では、その疑いの目を持って、大橋宗英が作成した、駒数少数
将棋の構成駒なのに、踊るのではないかとさえ疑われる”鵰のルール”
と、将棋三家の伊藤宗看が作成した、象戯図式の泰将棋の朱雀のルー
ルについて、以下比較して考えてみる。
 もともと、水無瀬兼成は、
右前と左後ろに走る玉将のような朱雀を、将棋纂図部類抄の泰将棋の
図で書いていた。これでは、同じく水無瀬兼成の将棋纂図部類抄の、
玄武、白虎、青龍と類似の動きなのだが、大大将棋の白虎と、泰将棋
の白虎が、全く違う動きになり、かつ大大将棋の青龍と泰将棋の青龍
も、違う動きになってしまっていた。そこで江戸時代になると、駒の
種類が同じならば、将棋種が違っても、なるべく同じ動かし方のルー
ルが良いと考えたと見られる、将棋御三家の伊藤宗看は、自身が幕府
に献上したとされる、象戯図式の中で、泰将棋の白虎と青龍を、大大
将棋の白虎と青龍の動きと、同じにした。ところがそうすると、泰将
棋では、玄武が白虎と左右対称位置に配列され、おなじく朱雀が青龍
と左右対称位置に配列されているため、玄武と朱雀の動きが、白虎と
青龍の動きに対して、アンバランスになってしまう。そこで伊藤宗看
は更に、

水無瀬兼成の、泰将棋の玄武と朱雀の動きを、将棋纂図部類抄から、
自身作の象戯図式で大きく変え、その結果朱雀の動きは、横に動け
ない点を除いて、禽将棋の鷹成りの鵰と同じになった

のである。
 ところで、鵰は、”くまたか”だが、”おおわし”、”おおとり”、
”鵬”と類似の概念である。鵬は音読みが”ホウ”なので”鳳凰”の
”鳳”と音が同じであり、その結果、中国の神獣である”金翅鳥”、
さらには”孔雀”、”朱雀”が連想されるようになる。つまり、

熊鷹や鵰といった、鵬(おおとり・ホウ)の類の名前の、将棋駒の
ルールを考えようとしたときには、朱雀の駒の動かし方ルールが、
比較的イメージされやすい

とみられるという事である。つまり、鵰のルールを考えるときに、
伊藤宗看の象戯図式の中の、朱雀のルールが連想されるということは、

江戸中期の大橋宗英には、水無瀬兼成の泰将棋の改良というカテゴリー
の、江戸初期の伊藤宗看の仕事に関しては、もともと関心がある証拠

と私はほぼ、断定できると思う。
 前に述べたが、本ブログでは、大局将棋は、新作将棋の作成や、
既存の六将棋の、36×36升目盤でのプレーへの興味等ではなくて、
水無瀬兼成が豊臣秀次に献上したとみられるルールの、水無瀬の泰将
棋の作成の継続作業が動機とみている。水無瀬兼成の将棋纂図部類抄
の泰将棋の駒の動かし方のルールと、大局将棋の駒の動かし方のルー
ルとが、等しくなるケースが、割合として多いからである。
 なお、大局将棋の玄武、白虎、青龍、朱雀は、結局水無瀬のオリジ
ナルに近い形で、走りの左右が尤もらしくなるように、整備された。
その他関連しそうな駒として、林の鬼類の、森鬼が、禽将棋の鵰と
類似の動きとして作成され、森鬼と対になる林鬼は、前走りで、
鵰とは少し違うが、その成りの名称が、禽将棋の鵰に近い、大局将棋
の右鵰(あるいは古鵰とも)になっている。禽将棋の”鵰”は、
大局将棋では、意識されているのである。
 ともあれ伊藤宗看の泰将棋のルール整備は、その動機に基づく、
大局将棋作成への、実質的な出発点であり、大橋宗英には

大局将棋を作成するというプロジェクトに興味が有ったため、全く別
の小型の禽将棋という新作ゲームを作成するとき、徳川家治時代の直
ぐ後の、大橋宗英の、その自身作の新作ゲームには、江戸時代初期の
伊藤宗看の泰将棋の、改善作業の駒ルールが、自然に入ってしまった
のではないか。

私は今、以上のように、疑っているというわけである。(2018/06/09)

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