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本ブログの”二中暦平安大将棋の原案作者”とは具体的に誰なのか(長さん)

本ブログでは、二中歴に記載された大将棋、すなわちいわゆる平安
大将棋は、平安時代の西暦1140年頃までに、朝廷内第二標準の
日本の将棋として、藤原長者の働きかけにより作成されたものとみ
る。そしてもともと原案を、陰陽道関係者が作成し、藤原氏内部で
検討のうえ、決定されたと言って良いような、経緯のゲームである
と考えている。陰陽道関係者が、原案作成を、藤原氏の上層部から
依頼された理由は、中国より、象棋ゲームが、日月星辰の動きに則
るという、将棋が天文暦道に則って作られるべきだとも取れる内容
が、西暦1100年頃に、伝来したためとここではみている。なお、
中国シャンチーは、当時出来たてであり、馬の動き等が八方桂馬と
なって、中国での解釈で言う、星辰の動きに、則ったものであった
と考えられる。
 藤原氏による平安大将棋作成の元々の目的は、9×9升目36枚
制の平安小将棋・標準型に発生した旦代の難点を突いた、その放逐
と、それに取って代わる事が本来の狙いだったはずである。従って、
日月星辰の動きの専門家である、天文博士、暦道の専門家、陰陽寮
の長が、藤原長者の依頼で、”正しい将棋の作成のため”の、そう
そうたるメンバーとして、平安大将棋の作成に、関与したものと
推定される。つまり時期は、台記の藤原頼長が、崇徳上皇の御前で、
”大将棋を指して負け”て、勝負を付けて見せたよりも、20~
30年前の、西暦1110年頃ではなかったかと、ここでは推定し
ている。
 なお初期の平安大将棋は、いわゆる13升目で、初期には3段
配列であり、平安小将棋を充分に意識した、5種9将制の13升目
恐らく68枚制であったとみられる。ただし、陰陽道の関係者は、
複数の原案を準備して、藤原長者等の選択を仰いでおり、盤升目の
広いものの中には、19升目程度のタイプも、有ったに違いない。
 以上、これまでの経過のまとめが長かったが、今回は、では具体
的に何者が、その平安大将棋の原案作成の、少なくとも主導者であ
ったのかを、陰陽道の家系図等より、推定する事を論題とする。
 回答を先に書くと、

安倍晴明の玄孫(4代下)の、当時の陰陽博士で雅楽頭の安倍泰長
という人物の可能性が、かなり高い

という調査結果になった。
 以下、この人物について補足する。
 有能な陰陽道師として特に名高い、西暦1000年前後の、藤原
道長時代活躍の安倍晴明は、加茂保憲の弟子であり、後者は子息の、
加茂光栄に宣明暦の作成を伝授し、安倍晴明には、陰陽道天文博士
の中心人物としての、知識を伝授したと伝えられている。加茂家か
らも、実際には陰陽寮にて、天体の観測(天文道)を行う専門家も、
依然、配出したようだが、陰陽頭としての地位は、安倍晴明の代
から、安倍家(後の土御門家)に移行したと、私は昔、暦学の成書
で教わった。加茂家にも平安大将棋の作成に関与する者があったが、
西暦1110年時点では、安倍晴明の子孫、特に宗家嫡男が、最終
責任者になった可能性の方が、やや大きいように私には予想された。
 もちろん、平安大将棋の成立は、西暦1110年ころと、ここで
は見ており、西暦1000年頃に活躍した、著名な安倍晴明自身は、
首謀者にはなれない。すなわち、プロジェクトの最終責任者は、彼
の子孫に違いない。そこで、具体的な人名を、系図で調べると、
安倍晴明の子が安倍吉平だが、孫の代で4人に分かれることが先ず
判る。安倍晴明の孫達は、西暦1060年ころに活躍したのだろう。
人物名で言う、安倍時親、安倍章親、安倍泰親、僧侶平算である。
なお僧侶平算の孫にも、星占い師が居るとの事なので、4人とも
子孫が、平安大将棋に関与はできる。ただし、政治的な力が合った
と見られるのは、

安倍時親の子孫と、安倍泰親の子孫だけである。

次男(?)の安倍章親は、自身は陰陽頭であったが、子孫が無かっ
たようだ。
 長男(?)の安倍時親の子が安倍有行で、孫が上で回答で述べた、

安倍晴明の玄孫で安倍時親の孫の、安倍泰長

である。それに対し、安倍吉平の3男の安倍泰親の子が安倍親宗で
あるが、安倍吉平の3男の安倍泰親の孫に、安倍宗明という人物も
居る。この人物も、陰陽寮で、当時権威者だったらしい。が、この
人物すなわち、安倍宗明は、将棋からは少し遠い。というのも、
安倍宗明は、更に子の安倍広賢が、陰陽道師として有力になったが、

安倍宗明自身は、天体観測の専門家であった

という情報があるからだ。”暦の精度を比較する、月食の観測に
優れた実績を残した”とあるので、判りやすく現実的に言うと、現
代天文学的な領域の、専門家だったようだ。なお特異な天象が、
天皇等の未来と、どう関係すると結論するのかといった、上奏文書
を作成する技術を習得する手間は、天体観測の技術の習得に比べれ
ば、たいした努力を要しないだろうと、少なくとも私は思う。すな
わち、西暦1110年当時の記録を、wikipedia等で読む
限り、

安倍晴明の玄孫で安倍時親の孫の、安倍泰長は役職の内の、天文博
士(現代の天文学者的な部分)を、親類の安倍宗明に奪われていた

ようである。つまり”余りに仕事の守備範囲が広くなりすぎるので、
天体観測関連等、科学的な部分は、親類の安倍晴明の息子、
安倍吉平の、3男の孫の安倍宗明に分担させるように”と、朝廷か
ら命じられていたという事なのだろう。逆に言うと、ずばり

安倍晴明の玄孫で安倍時親の孫の、安倍泰長が、陰陽道博士の頭目

に間違いないと見て取れる。だからこの人物が西暦1110年当時、

平安大将棋の原案作成の、最高責任者として、名を連ねていた可能
性が、すこぶる高い

ように、私には思えた。なお、この安倍泰長は、西暦1114年に、
陰陽頭に就任したそうだ。そればかりか、”楽器演奏の類の雅楽の
大家だが、将棋もたくみに指す”として、新猿楽紀で描かれている
”十一の君”と類似の人物のようであり、その少し前に雅楽の頭も、
安倍泰長が兼ねていたという。将棋も、当時は楽器の演奏と同じで、
駒の捌きの手つきが、専門家である証拠とされたから”十一の君は、
楽器も将棋も”ということになったのであろう。だから、その類似
人物である

安倍晴明の嫡男系の4代下の安倍泰長こそが、平安大将棋の原案を
作成した、推定陰陽師の具体的な人物、

その可能性が、最も高いように私には思えた。なお、陰陽師として
は、この安倍泰長の息子(3男?)の安倍泰親の方が、平清盛とも
関連するらしく、更に有名であるということを、私は聞いている。
(2018/06/13)

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