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鬼門思想。日本の鎌倉時代に、確かに盛んであったと言えるのか(長さん)

お隣の国の韓国の国旗には、巴マークの周りに方位の八卦の一部が
書かれている。方位を示したものだが、そのうち通常の地図での右
上の記号が、今回の題名の、鬼門に関連する”うしとら”の”艮”
である。が”艮”は2番目ではなくて、筮竹を使った、八卦占いの
(n mod 8)+1番号では、7番目が艮である。つまり、
方位の八卦は、北から時計回りに北東、東・・と行くに従い、
坎、艮、震、巽、離、坤、兌、乾と並んでいて、同じく筮竹占いの
(n mod 8)+1番号で行くと、順番は複雑で、
6、7、4、5、3、8、2、1と、なっている。これが、例えば
8、7、6、5、4、3、2、1となっていれば、何を根拠に、
方位に割り当てたのかは自明だが、実際には半規則的であって、
一見するとルールが良く判らない。
 永田久著”暦と占いの科学”(1982)によれば、結論から書
くと、坎、艮、震、つまり、出だしが(n mod 8)+1番号
で6、7、4、の順になっているから、”艮”すなわち、

”うしとら”の北東方向は、鬼門になる

という事だ。6番が7番を、7番が4番を嫌っているとのことらし
い。しかしこれでは、6、7、4、5、3、8、2、1という謎の
番号列で、1番目が6、2番目が7、3番目が4で無かったら、
北東方向は、鬼門にならない事を、意味していると言える。鬼門に
なるように、6、7、4、の順にしていたとしたら、循環論法だ。
従って問題は、上記の

6、7、4、5、3、8、2、1という、いかにも人工的で一見す
ると無秩序に作ったようにも見える番号列が、いったい何者なのか

という事になる。
 そこで今回は、このような妙な数列が、

日本の鎌倉時代の、普通唱導集大将棋の駒の種類に、影響するよう
な時代には、本当に確立されていたと言えるのかどうか、

以上を論題とする。
 答えから書くと、

数列6、7、4、5、3、8、2、1は、魔法陣を変形すると出来、
他方、八卦の1、2、3、4、5、6、7、8番すなわち、
乾兌離震巽坎艮坤(けんだりしんそんかんごんこん)の五行対応は、
木火土金水を、単に明るさのイメージだけで、順番に対応させたも
のなので、亀の甲羅に書いてあった魔法陣が、八卦占いの起源とい
う話が、充分に古いとみれば、鬼門の概念の成立は、日本の鎌倉時
代より、ずっと以前と言える

という結論になった。
 では、説明は、順序を入れ替え、乾兌離震巽坎艮坤(けんだり
しんそんかんごんこん)の五行元素対応から、順番に以下してゆく。
 そもそも八卦占いの史料を幾ら当たっても”八卦占いは、アジア
に黄河文明が発生した頃から有った”としか、古文書には書いてな
いので、そこから成立期を確定するのは無駄であろう。
 そこで鬼門思想が、日本の鎌倉時代よりも、古いものである事を
示すには、八卦の方位対応や、五行(木火土金水)との対応が、
中国唐代に有った文物で、容易に製作できるものである事を示すし
かない。まず、木火土金水の五大元素について、そのイメージから、
金火木水土の順に、明るいイメージから、暗いイメージが
並ぶ事は、中国唐代より古く、古代には簡単に考えつけただろう。
だから、乾から坤に向かって、連続的に陽から陰の方向となる、

乾兌離震巽坎艮坤(けんだりしんそんかんごんこん)の五行対応は、
金金火木木水土土と、幾ら遅く見ても、唐代には決まっていた

のではないかとみられる。
 だから、問題は、韓国という特定の国家の国旗にも、象徴的に含
まれている方位の八卦が、北から時計回りに
坎、艮、震、巽、離、坤、兌、乾と並んでいて、
(n mod 8)+1番号で、北から時計回りに、

6、7、4、5、3、8、2、1番という、不可解な数列である理
由を解くというのが、中心的課題、

という事に、必然的になるものと思われる。なお、土が水に勝ち、
木が土に勝つという思想も単純なので、唐代までには確立できただ
ろう。永田久氏の”暦と占いの科学”(新潮選書、1982年)に
よると、6番、7番、4番が、互いに相克になっているのが、
北東、うしとら(艮)が鬼門になった理由とされ、これが、北東が
ずば抜けて、悪い方向になるという事なのだが、それが説明として
は、一番尤もらしいと私は思う。
 そこで、6、7、4、5、3、8、2、1が、どうやったら思い
つけるのか。これは今回、易の文献で捜索するのも、かえって、
種明かし本は少ないと予想され、手間と感じたため、私は専門書を
調べず、自力で解読を試みた。
 結果次のようにすると、この数列に近いものができそうだ。
 まず3行三列の魔法陣を、前の中央が9、右上が2、左上が4に
なる向きで、書き、外側の8個の数字が、起点はさておき、ともか
く方向を示していると考える。
 まず、もともとの、古代に亀の甲羅に書いてあったとされる
魔法陣自体は、
4、9、2
3、5、7
8、1、6

の形である。
 次に、九星占い術の星回りと、逆向きだが、1のところには9を、
2のところには1を、3のところには2を、というふうに、一つ少
ないか、1の場合には9を入れて、数字を入れ替えると、上の魔法
陣の数の列は、次のようになる。
すなわち、
3、8、1
2、4、6
7、9、5
である。なお、この状態では、もはや魔法陣ではない。
 次に、もう一回だけ、同じことを繰り返す。すると中央が3に
なって、次の3行3列の数字の列になる。

2、7、9
1、3、5
6、8、4
 この3行3列の、外の部分の6から、裏返しなのがやや難点だが

反時計回りの数字の列は、
6、8、4、5、9、7、2、1となっていて、方位の八卦の
(n mod 8)+1番号、すなわち、
6、7、4、5、3、8、2、1番に、かなり近い。
 魔法陣の中央が5であったために、二つ減らすと3になり、9に
なっている所で、それと取れかえるべきだと、考えられるのと、
7と8とが逆だが、結局の所、

方位と八卦の記号の対応付けは、もともと以上のようにしてできた

のではないかと、私は疑っている。理由は今述べたとおり、9と3
は、単純に取り替えるだけだし、

7番の艮と、8番の坤は、ほとんど同じような陰であって、五行で
は、土に対応付けられているという点で、同じ

ではないかと私は思うからである。7と8は私には理由は不明だが、

単に、あとでひっくり返しただけ

なのではないかと疑う。艮が坤であったとしても、どちらにしても
五行元素の対応が土には変わらないので、”うしとら”と読まれて、
鬼門になったはずだ

と思われるのである。
 以上の魔法陣が、亀の甲羅の落書きが起源で、唐代より、はるか
以前にあった事は確かだろうし、九星占いも鎌倉時代に無いはずは
あるまい。だから、北東が艮で”うしとら”で、陰性で土に対応し
て、北隣の水と戦って勝ち、東隣の木と戦って負け、何れも仲が悪
い、水と木に挟まれていて

北東が鬼門

だというのは、西暦1300年頃の普通唱導集大将棋の時代よりは、
ずっと早くに存在しえた事だけは、確かだと私は考える。
 ただし魔法陣の数値の2回という、随意性の強い入れ替えと、
”五元素”の明るさのイメージだけで創作出来る、この鬼門の概念
はいかにも迷信臭く、普通唱導集大将棋の類に、虎、牛、猪、龍が、
全部居なければならない理由に、少なくとも近代以降、たとえば
2017年型普通唱導集大将棋では、全然なり得ないだろうとも、
私が感じた事は確かである。(2018/06/15)

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