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水無瀬兼成将棋纂図部類抄の序。最下段地理駒列に銅が無い理由(長さん)

水無瀬兼成の将棋纂図部類抄には、「将棋図一巻の序」という前書きが
あり、概ね次のように、始まっていると私は認識している。
 ”将棋というゲームは、周の武帝が発明したものである。
 上段は、天を占う観測対象である、日月惑星の動きのように駒が移る
ものである。また最下段はその形に関して、地層物質の名が使われてお
り、その駒の並びは、

金、銀、鉄、石の名前になっている。

すなわち最下段の駒の名は、陰陽の根本に準じており、五行の音階の
旋律の気のバランスが保たれている。従って、将棋を正しく指す事は・・”
 ところで、日本将棋、中将棋、大将棋、摩訶大大将棋では、最下段
列に、地層物質の名前が並んでいる事は、将棋纂図部類抄の序にある
通りである。が、具体的な物質名は、玉、金、銀、銅、鉄、瓦、石・・
と並んだ系列であって、特に将棋纂図部類抄の序で、

銅将が抜けているのが目に付く。

今回の論題は、この将棋纂図部類抄の序の出だしの、最下段地層駒の
中に、銅将が抜けている理由とする。
 そこで、その理由について、本ブログの回答を最初に書くと、以下の
通りである。すなわち、水無瀬兼成は、各種の日本の将棋のうち、

陰陽五行説の影響が最も強かったのが、平安大将棋と見ているから

だと、考えられる。なお水無瀬兼成が、二中歴を知っていただろうと
言う事については、水無瀬兼成、将棋纂図部類抄、中将棋後の注釈の
”仲人”の記載、”横に行かず、聖目を越えて相手陣に入ると、酔象に
成る”というルール説明が、”注人は、横に動かず、実質前方一方歩み
なので、成りの規則は、歩兵と同じとする”を連想させるため、私は
個人的には、二中歴を読んでいたに違いないと思っている。
 では、以下に回答についての説明をする。
 ようするに、金、銀、鉄、石と並べたと言う事は、以下の水無瀬兼成
の将棋纂図部類抄内の将棋種の中では、

陰陽五行説と最も関連性が大きい将棋が、後期大将棋であると、表明
していると言うのと、ほぼ同じ

である。でないと、

銅将を除いて、わざわざ石将を加える、動機付けが全く無い

からである。つまり、水無瀬兼成は、駒数多数将棋の系列の中で、記録
が古いゲーム種ほど、陰陽道との関連性は強いと、将棋纂図部類抄の序
で、ほぼ表明しているに等しいと、私は考える。

後期大将棋の最下段を、主に問題にしようとしてので、それが判るよう
に、石将を入れた結果、文章の調子をつけるために、銅将がたまたま
抜けただけ

という事だと、私は考える。平安大将棋の玉、金、銀、銅、鉄の数が、
五行とか五色宝塔とかいう文物概念と、ピタリと合うというのは、
水無瀬兼成にとっては、当然の認識と、受け止められたのであろう。
なお平安大将棋の上段について、平安大将棋の猛虎、飛龍が、十二支の
虎と龍であったとしても、四神の白虎、青龍であったとしても、後者は
春夏秋冬で、日月暦に関連するので、天文道博士が観天する天空に、
関するものである事には、変わりが無いとみられる。
 以上の事から、平安時代に”小将棋は外国から、与えられたもの。

大将棋は陰陽道師が絡んで、西暦1110年頃、日本で作成されたもの

である”という事を、水無瀬兼成が、家伝か何かで知っていた可能性は、
相当に高いと、考えられるという事になる。(2018/06/19)

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