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埼玉県久喜市の鷲宮神社を調査した(長さん)

前に、埼玉県加須市の東武伊勢崎線花崎駅付近にある、小山義政の
祈祷寺、円満寺へ行ったとき、小山義政が、小山義政の乱で残した
遺物が、社宝として保管されているという、看板が存在するという
話をした事が有った。小山義政に関連する遺物として、栃木県小山
市神鳥谷曲輪遺跡の、出土将棋駒、裏一文字金角行駒があり、彼の
遺物が有りそうな場所は、元より調査する必要があると見られた。
所で、加須市の花崎駅付近の円満寺の社宝以前に、小山義政に関し
ては、表題の埼玉県久喜市の、鷲宮神社の太刀の方が有名である。
そこで最近、その鷲宮神社に調査に行ってみた。実際に、鷲宮神社
に行って感じたが、小山義政の

太刀が良く残っていたものだと、大いに感心させられた

ので、以下にざっとだが報告する。
 東武伊勢崎線の鷲宮駅の北200m位の所に、いわゆる久喜市の
鷲宮神社があり、神社の前鳥居は、下の写真のような様子で、久喜
市では、一番大きな神社とみられた。実際、建物は有名な割には、
やや小ぶりだが、敷地が広い大きな神社として、今もしっかり残っ
ている。

鷲宮神社.gif

参道に立て看板が下の写真のようにあり、社宝として、小山義政奉
納の太刀が存在した事を、文面より、明らかにトップで掲げている。

鷲宮太刀.gif

なお、上の写真では、左隅に切れて写って居無いが、小山義政と
小山よし姫が、”神社が七回倒壊したときに、社殿を建てる費用を
出して再興した事”等を記した、棟札を含めて古い記録も、この神
社には残っている事が、この立看板には書いてある。
 そこで、今は市のコンクリの建物である、埼玉県久喜市郷土資料
館にこれらの史料は有るにしても、元々置かれていた、宝物殿の類
はどこかと、神社内を見て回ったのだが、

宝物を置くような建物は、もともと無い

ようだった。つまり、8回目以降の災害に対し、そう堅固には見え
ない社殿に、もともと小山義政の太刀は、保管しあったのだろうが、
盗難、自然災害等で、久喜市の資料館に、置かれるようになったと
みられる42年位前からは別として、その前の

1376年~1976年までの約600年間、良く無くならずに、
今に伝わったものだ

と、私には痛く感心させられた。なお神社の近くの電信柱に、

カスリン台風で、水が、おとなの胴の辺りまで、浸水した記録

が、赤いビニールテープを巻いた形で残されていた。戦乱で盗まれ
ないにしても、この辺りも関東平野の低地なため、川の氾濫等で、

鷲宮神社が8回目か9回目に、倒壊したときに、小山義政の太刀も
流されて、消えてしまう恐れも、充分に有ったように思えた

のである。なお、見回してもこの辺りには、一時的に宝物を非難さ
せることが、可能と見られる

小高い山等は、特に見当たらない。

昔有った山を、平らにして住宅地にしてしまった話は、埼玉県には
良くあるとの旨も、他所で聞いているので、昔も”鎮守の小富士山”
が、ここには無かったとは、断言は出来ないのではあるが。
 そういうわけで、この神社の周りの地表を、今更見回しても、数
百年前の遺物が散乱しているという可能性が、薄いと感じられたの
で、私は、神社の横の林道も含めて、ざっとみた後、ここは引き上
げる事にした。
 実は、鷲宮神社というのがもう一箇所、ここの東2km強程度の、
JR宇都宮線の東鷲宮駅の北の、久喜市八甫という所に有ると、地
図に出ていたので、そちらにも抜かり無く、今回は行ってみた。こ
ちらの鷲宮神社は、東武伊勢崎線駅前の、いわゆる鷲宮神社よりも、
かなり小ぶりで、町外れにある普通の小さな神社という感じである。

八甫鷲宮.gif

久喜市の建てた看板によると、室町時代に鎌倉公方が作った、鷲宮
神社の分社という事らしい。境内には、瓦がまとめて片付けてあっ
たが、近代の普通の瓦であった。また、庭石の小ぶりの物が、山の
ように積まれていた。これらも、普通の庭石のようであった。その
他には、やはり地表を見ただけでは、この分社にも、何も無いよう
だった。なおこの地域には獅子舞が残っていると、立看板には書か
れていた。何れにしても、南北朝時代に、小山義政が亡くなった後
の分社の為、こちらの方は、将棋とは特に関連が無さそうであった。
 なお、この両方の鷲宮神社の間の道すがらに、久喜市郷土資料館
の、やや小ぶりのコンクリの建物を見かけた。太刀は”写し”だと
言うので、今回は、場所を確認しただけで、中には入らず、私は素
通りした。七回倒壊後の再興の棟札も、写真位は、あるいはここに
は、有るのかもしれないが。旧鷲宮町史、あるいは鷲宮神社社史
といった成書にも、同じ写真が載っていたように、私は認識してい
たので、本物で無いなら、見なくても良いのだろう。何れにしても、
元が南北朝時代と古いため、”日光街道沿いに、小山義政の宝物の
史料館が存在し、『写し』を置いている”という話は、今の時代の
話だけだとは、断言できないように私は思う。昔は、誰でもそれが
見れるという訳には、恐らく、なかなかったのかもしれないが。
(2018/06/23)

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