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小山評定跡(市役所)の発掘作業の様子見をした(長さん)

前回述べたように、現在栃木県小山市では、市役所の立替え予定地
の、遺跡発掘調査をしている。小山市には、いわゆる小山城と言わ
れる小山市の祇園城、および神鳥谷曲輪遺跡という、有力な遺跡が
あり、市役所の場所は、やや小山城寄りの、中間地点にある。神鳥
谷曲輪遺跡は、鎌倉時代後期から南北朝時代の遺跡であり、特に、
西暦1349年?~1382年に存命し、小山氏の頭領であった、
小山義政の名を冠した館の記録が古文書にある。そしてそこからは、
今の所、摩訶大将棋の駒としか同定されない、裏一文字金角行駒が
出土しているという訳である。また、小山城の方は、鎌倉時代から、
江戸時代初期まで存在した城と考えられている。従って、新市役所
の建設現場は、鎌倉時代から、江戸時代にかけての遺物の出土が、
かなりの確率で期待できるとみられる。なお元々、新市役所の建設
現場は、安土桃山時代最末期の史料から、徳川家康の小山評定の地
との説も有力で、史跡として、この点を栃木県小山市が、従来より
アピールしている所でもある。
 以上の理由で、前に述べたように、この”小山評定跡(市役所)”
遺跡の発掘現場の様子を、今回見て見る事にした。なお、小山評定
跡の説には、この他”小山評定跡(須賀神社境内)”説がある。ど
ちらにも、立て札が立っているらしいが、栃木県小山市の市役所前
の、”小山評定跡”の立て札は、以下の写真のような感じである。

小山評定跡.gif

 奥に見えるのが、現在の小山市の市役所で、新市役所は、この写
真から見ると、右手の奥に建設される予定である。遺跡の発掘現場
には、下の写真のような看板が立ててあり、回りは現在柵で囲われ
ていて、発掘現場への立ち入りは、困難なようであった。

小山評定工事.gif

 なお、立て看板には”休工中”のレッテルが張ってあるが、剥が
し忘れであり、実際には工事が現在進行している。また、小山市の
ホームページには、”ボーリング調査”の文字が見えるが、これと、
遺跡発掘とは無関係なようである。ボーリング調査の方は、地盤に
関して、高層建築物の耐震性に、問題が無いかどうかのチェックと
みられる。
 さて、今回は発掘現場の周りを2回ほど巡回して、何か出土して
いる感じかどうかを、見てみた。その結果、現在の所、表土を取り
去り終わった所であって、何かあるかどうかの調査は、これからだ
という所であった。以下に、現場の様子の写真を示す。

小山評定発掘.gif

写真は、柵の高さが低い、国道四号(日光街道)側から、撮影した
ものである。50cm程度掘り進んだ所だろうか。近代の客土を剥
がして、元々の地面の所まで行ったという感じである。ゴミを撤去
した後だろうか。表面に何も遺物は無い。ちなみに、写真の向こう
側の建物が、”小山評定跡の写真”と同じく現在の市役所である。
 客土部分の土砂は、撤去せずに、南側に3m位の高さまで、野積
みにされていた。何か無いかどうか、念のためにそこも、柵の外か
ら、私は遠巻きに観察してみた。

大型の”瓦の破片”のようなものが1個、山の表面に見えた。

しかしながら、その瓦には塩化ビニールのような色の付着物があり、

明らかに近代の粗大ゴミのよう

であった。他には、目ぼしい物は、やはり見当たらなかった。
 小山市の市役所内に、教育委員会が入っているので、念のために
”粗大な遺物の出土が、目撃されていないかどうか”だけ聞いてみ
た。そういう話は、今の所余り無いようだった。
 教えてもらった礼も兼ねて、神鳥谷曲輪遺跡発掘調査報告Ⅰの
第二分冊を600円にて購入した。というよりも、予備で置いてあ
ったのを、私が無理やり、横取りした。ちなみに、神鳥谷曲輪遺跡
発掘調査報告Ⅰの第一分冊は既に、だいぶん前に私は入手済みであ
る。本ブログの将棋駒の遺物に関する情報は、実物を私自身が2度
目視もしているが、第一分冊の情報も参考に、ここでは書いている。
 なお私は知らなかったが、神鳥谷曲輪遺跡からは、上で少し述べ
た瓦類に文字が書いてある、いわゆる”墨書瓦”が、2枚ほど出土
している事が判った。小山評定跡(市役所)の発掘は、成果がまだ
のようなので、次回以降には、この神鳥谷曲輪の”墨書瓦”につい
てを中心に、神鳥谷曲輪遺跡発掘調査報告Ⅰ第二分冊の内容の紹介
を、少ししてみたいと考える。(2018/07/15)

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