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平安大将棋と後期大将棋と摩訶大大将棋。隣接駒数差が定数の理由(長さん)

前に、大阪電気通信大学高見研究室の摩訶大将棋のブログに出ていたが、
平安大将棋と後期大将棋は各々一方の駒数が、34枚と65枚で31枚差、
後期大将棋と摩訶大大将棋の、それは65枚と96枚で同じく31枚差で
ある。高見研究室の摩訶大将棋のブログでは、これを、進化の順番と
解釈した。摩訶大大将棋→後期大将棋→平安大将棋と進化した証拠だと
主張している。しかし本ブログでは、以前述べたように、

これに反対

である。

平安大将棋の方が、後期大将棋よりも成立が先

とみているからである。順番は、平安大将棋→後期大将棋≒摩訶大大将棋
と言うのが本ブログの見方

である。特に、後期大将棋と摩訶大大将棋の成立間隔は短く、平安大将棋
はずっと先と見るので、高見研究室の指摘する、2種の大将棋間の駒数差

”31枚ルール”は、たとえ、後期大将棋が3番目だったとしても、
後期大将棋が成立した頃には、考慮に入れられなかった疑いが強い

というのが、私の考えである。

 しからば、なぜ平安大将棋と後期大将棋と摩訶大大将棋の駒数差の
第一階差が31で定数なのかについて、本ブログの見解を述べるべきと
いうのが、今回の論点である。
 いつものように、最初に答えを書く。本ブログでは、
(1)平安大将棋がゲームデザインをする過程の初期に、11升目で
3段配列で駒が、隙間無く詰まった原案が存在したのが、こうなった主な
原因
とみる。そして、
(2)後期大将棋については、同じくゲームデザインの初期に、15升目
で4段配列で駒が、隙間無く詰まった中間種、普通唱導集大将棋を経由し
て、成立した。摩訶大大将棋の成立時には、後期大将棋の形成過程に関す
る記憶が残っており、摩訶大大将棋に関しては、同じくゲームデザインの
初期に、19升目で5段配列で駒が、隙間無く詰まった原案を経由して、
成立した。
(3)(2)と(1)から、平安大将棋と後期大将棋と摩訶大大将棋の
駒数差の第一階差は、27と35になるが、27と35という数には、
互いにさほど差が無く、微調整の過程で、31という定数になる可能性
が存在した。
(4)(3)に関して、実際には、大将棋が獅子・麒麟・鳳凰分の重なり
の増分で、階差を30と32に変化させ、摩訶大大将棋が、獅子・麒麟・
鳳凰・2枚の悪狼分の重なり5枚の増分と、飛龍と猛牛と桂馬の外隣接升
に空白を作った事による6枚の減分の相殺で、1枚分の減を生じさせた結
果、階差を30と31とするように作用した。またたまたま平安大将棋の
注人だけが元々一枚だけで2枚無かったので、階差は31で定数になった。
ようするに、(1)と(2)に述べたように、

プレ平安大将棋の 11×3段配列=33枚
プレ後期大将棋の 15×4段配列=60枚
プレ摩訶大大将棋の19×5段配列=95枚
というゲームデザインの過程での、中間試作種が、差をだいたい31枚に
してしまう主要因と、ここでは見ると言う事

である。
 では以下に若干の補足を加える。
 最も大きい原因は、西暦1110年頃に、9×9升目のいわゆるポピュ
ラーな、平安小将棋に対抗して、第2標準を作ろうとしたのが、平安大将
棋の正体だったという事になると本ブログでは考える。そのため、実際に
は結果的に13升目の平安大将棋が成立したとみられるが、本ブログでは

原案の段階では、平安小将棋よりも少し広い11升目の将棋が検討された

はずと見るのである。その将棋は、本ブログの見解では、駒はびっしり詰
まって、桂馬が2段目に有る等で難が有り、最終的には採用されなかった
と、前に本ブログで説明している。後期大将棋と平安大将棋との駒数が、
片側31枚と大きく、平安大将棋がスカスカなのは、その為であると言う
のが、本ブログの見方である。本ブログでは、平安大将棋の成立の動機が、
根幹中の根幹の議論なので、以上の論は本ブログでは、最重要である。
 なお、そのとき仮定された、11升目の将棋例は以下の通り。

四段目:口口口口口口口口口口注人口口口口口口口口口口
三段目:歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵
二段目:奔車桂馬酔象飛龍猛虎横行猛虎飛龍酔象桂馬奔車
一段目:香車鉄将銅将銀将金将玉将金将銀将銅将鉄将香車

 次に、本ブログでは後期大将棋は、普通唱導集時代の、駒が13升目で、
4段までびっしり詰まった将棋の、15升目化が成立の正体だと見ている。
なお、本ブログの推定だが、13升目が15升目になったのは、中将棋盤
が4×3升目の12升目なので、5×3升目の15升目が、尤もらしいと、
南北朝時代の終わりごろまでには考えられたからである。
 従って、駒がびっしり詰まった将棋を経由しているという点で、平安大
将棋と同じだが、

そうなる動機に、平安大将棋と後期大将棋との間に、繋がりは全く無い

と見る。しかし結果として、どちらも駒びっしり型だったので、
11升目が15升目に、段が3段が4段に変わっただけで、関連性が、

たまたま出てしまった

とみる。そして、摩訶大大将棋は後期大将棋と、どちらが先であるにせよ、
同じパターンで作られたものなので、15升目が19升目に、段が4段が
5段に取り替えられて作られただけと見る。そこで、

全く偶然に升目が11、15、19、段が3、4、5と、どちらも直線に
乗る形になった

と、本ブログでは見るのである。しかし、これでは、注人、仲人を更に
1、2、2枚と入れる事にすると、片側駒の数は、

平安大将棋が34枚、後期大将棋が62枚、摩訶大大将棋が97枚で、
階差は28と35で、同じになるわけでもない。結局31で定数になった
のは、結論(4)で述べたように、後期大将棋と摩訶大大将棋では、
中央には駒を詰め込むような、ゲームデザインの微調整の過程での

偶然と言えば、偶然というだけの事であるというのが、本ブログの立場

である。なお、摩訶大大将棋と大大将棋の片側駒数が、どちらも

96枚なのは、本ブログの見解では、24節気+72候の数で同じを目指
したから

だからと、以前表明している。
 それはともかくとして、以上のように13升目で確定した平安大将棋が、
実は11升目ゲームを経由しているために、後期大将棋の中将棋よりも、
3升目づつ大きな15升目、摩訶大大将棋の囲碁盤に対応する19升目と
の階差4と同じ階差、一辺升目数の階差4に、平安大将棋と後期大将棋の
間で初期の段階でなっていたというのが、駒数の第一階差が31で同じに
なった、そもそもの主な原因だったと、ここでは考えているのである。
(2018/08/04)

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