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玄怪録岑順物語。結末の”立体将棋駒”が同じ材質の金銅なのは何故(長さん)

大阪商業大学アミューズメン産業研究所2014年発行、松岡信行氏
著の「解明:日本将棋伝来の謎」にも載っているし、それは東洋文庫
の唐代伝奇集2の玄怪録「小人の戦争」(1964)と同じ物である
事を、私も確認しているが、表題の玄怪録岑順物語には、末備の方に、
著者とされる唐代晩期の牛僧儒および、その時代の中国人には、

立体駒で、成形により駒種が判別でき、かつ材質は単一である象棋種
が、イメージできていた事を証明する下りがある。

 すなわち、玄怪録岑順物語(東洋文庫版「小人の戦争」)には、松
岡氏も「解明:日本将棋伝来の謎」で良心的に、そっくり写して書い
ているように、次のような記載がある。
”(墓の中の瓦でたたんだ部屋の、戦争道具の鎧等の置かれた所)の
前には

金で作った将棋盤があって(1)、
駒がいっぱいならんでいるが、すべて金銅で形を抽出したもので(2)、

合戦の様相がすっかりととのっている。そこで始めて、あの軍師の
言葉は将棋の駒の進め方だとわかったのであった。
 それから将棋を焼きすて、穴を埋めてしまった。(後略)”
 ところで本ブログによれば、宝応将棋は、少なくとも玉駒である
金将と、副官軍師の銀将は、形よりも材質で、駒の名称を区別するも
のと、以前に表明している。そのため、
この”すべて金銅で形を抽出したもの”で同一との物語中の表現とは、

整合していない。

そこで今回の論題は、この矛盾するようにいっけん見える物語上の記
載を、このブログでは、どう解釈するのかという点とする。
 そこでいつものように結論から述べ、その説明をそのすぐ後でする。
立体駒を使用する将棋ないしは象棋種は、唐代の玄怪録岑順の作家は、

宝応将棋とイスラム・シャトランジという様に2種類とも知っており、

駒の態様については、イスラム・シャトランジの黒い石製の地味な駒
を、金銅製に置き換えて、宝応将棋型は止め、ハイブリッド表現した
のであると、本ブログでは、物語のこの部分の表現を解釈する。
 では、以下に上記の結論に至る、説明を加える。
 そもそも、玄怪録岑順のこの部分は、中国の少なくとも華北に住む
人間が、晩唐期に、立体駒で造形によって駒種類を区別するゲームを、
象棋や将棋と認識できたものである事を示すものであり、たいへん
重要な記載であると私は思う。中国人は唐代には、円筒駒に、字で
駒名が書いてある駒を使うゲーム具ではなくて、物語のようなシステ
ムでも、”象棋または将棋ゲームの駒”と認識できたのである。その
ため、”軍師の言葉は将棋の駒の進め方だとわかった”と
(伝)牛僧儒に書かれて、その作り話の類の内容に、晩唐当時の中国
の読者も、納得できたという事なのである。
 すなわち、この事から

中国人は、術芸としては、晩唐から五代十国時代には、象棋と将棋を
指さなかったとみられる。が、イスラムシャトランジと宝応将棋が、
それぞれ象棋と将棋ゲームである事が認識できていた。もしそうで
なければ、自国民に玄怪録岑順は、自国語の話としては理解出来ない
事になってしまう

と、私は考える。
 以上の点から、

玄怪録岑順の物語上の将棋を、当時の雲南の南詔国の将棋だと、もろ
だしに読者にバラさないようにするためには、物語上の将棋駒の形態
を、当時長安等で、移住民の大食人(イスラム教徒)が指していたと
みられる、イスラム・シャトランジの単一材質型に、話をズラせば良
い事は明らか

だと、私には思える。いかにも、南詔国で指された、後の日本の平安
小将棋っぽいと、唐代の中国人の読者には、ミエミエなのであろうが。
材質は単一で、全部形状だけで、駒種が区別されているように書けば、

玄怪録岑順の物語上の”将棋”の王が、実は金将で、軍師が銀将

であるとは、読者には証明できないだろうと、晩唐代の(伝)牛僧儒
は踏んだのだろうと、本ブログでは考えると言う意味である。ただし、
金象将軍というのは、いかにも金銀将軍の言い換えであるのが、当時
の読者にも、見えているのではあろうが。
 なお、玄怪録岑順の作者(伝)牛僧儒は、晩唐代なら、そこの国は、
”東ウイグル”であったはずの国名を、時代の違う”匈奴”という国
名に置き換えて記す等、この物語が実在の地名や、人物に関してのノ
ンフィクションとは、読者に取られないように、複数工夫をしている。
 よって、冒頭近くに述べた通り、物語上では、いわゆるイスラム流
の地味な立体駒を、材質が単一だという点は残して、派手な金銅に置
き換えて表現しても、唐代の中国人の読者に”将棋”の意味が通ると
いう事は、繰り返すと中国人は当時、自分たち自身は、ゲームにどち
らも難が有ると見て、余りシャトランジも宝応将棋も指さなかったが、
イスラムシャトランジと、後に日本の将棋となる、雲南で指された
宝応将棋という、

2種類の将棋類のボードゲームが存在し、ほぼ、どういう外観である
かを、晩唐代や五代十国の中国人が、両方とも知っていた証拠

であると、私は考えるという訳である。
 なお、玄怪録岑順「小人の戦争」東洋文庫では、憑依から逃れるた
めに、金の将棋盤と金銅単一材質型の将棋駒からなる将棋具は、”焼
きすて”たと書いてある。金属ならば、”火の中に放り込んで、熔か
してしまった”の方が、より適切なはずだ。原文もこうなっていると
すれば、晩唐代の中国人には、

将棋盤は金製より、香木等で作られた木製。将棋の駒のうち、将駒以
外の象、馬、車、兵は、同じく香木等の木を彫った彫り物と、本当は
認識していたため、(伝)牛僧儒はうっかり誤って、妙な書き方をし
てしまった

のかもしれない。つまり金属なのに燃えるように書いてしまったのは、

ウソをついたが、つじつまの合わない事をうっかり書いてボロを出し、
ウソである事がばれてしまっていることを示している

ように、私には見えるという事である。なお、木村義徳氏の「持駒
使用の謎」では、”純金の将棋盤(1)だけ焼”いた事になっている。
駒(2)を焼かなくても、憑依から逃れられるのかどうかは、私には
謎だが。
 何れにしても、なまじ西洋チェスを当たり前に知っている我々は、
晩唐代の小説である玄怪録岑順の、将棋具に関連した記載のこの部分
を、自分には判ったつもりで、安直に読み飛ばしては、絶対にならな
いということだけは確かだと、言えるのであろう。(2018/08/24)

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