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玄怪録岑順「小人の戦争」。六甲とは宝応将棋のルール上の何を表す(長さん)

以下玄怪録岑順「小人の戦争」に書いてある内容だが、物語上の、
軍師の次のセリフは、将棋の駒の進め方の事だという話になって
いる。
「天馬は斜めに跳んで3升目先に行け。
 上将は縦横に走り、横行せよ。
 輜車は突入し退くことなく、
 六甲の順序は乱れること無かれ。」
以上は、将棋の駒の動かし方のルールっぽくなるように、私の方
で、少し脚色して書いてある。なお、「さらに攻め鼓が(2回目
に)鳴ると、それぞれに歩兵が一尺を進む。」と、東洋文庫版の、
㈱平凡社1964年発行、前野直彬訳の玄怪録「小人の戦争」に
は書いてある。ので、上記のルールに加えて、歩兵または兵、卒
が、前一歩動きである事も判る。
 ただし、六甲という種類の駒については、少なくとも日本の将
棋史研究家の中で、いろいろ言われていて、何を指しているのか
確定していないと、私は認識している。玄怪録、岑順「小人の戦
争」に言及した将棋史家は、たいてい六甲にも言及していて、そ
れぞれに尤もらしい解釈を、昔から別々に色々述べている。その
中で、どの解釈が正しいのかだが、

全部一理ありと、本ブログでは見る。

そもそも、玄怪録岑順「小人の戦争」は、将棋書ではなくて、文
学であるから、

よほど曲がった解釈をしない限り、その解釈が間違いだと証明
できるような性質のものではない

と、私は思うからである。
 そこで、ここでは諸説の優劣を判定するのではなくて、未だ表
明が遅れてしまった、本ブログの見解を、述べる事にしたい。
何時ものように結論から、ずばり先に書く。物語上に現われる、

王、軍師、上将、天馬、輜車、歩卒の、以上6種類のキャラクター
をひっくるめて、六甲と表現している

と、本ブログでは考える。なお、なぜ駒の種類数を1甲、2甲と、
玄怪録で数えているのかだが、これは”六甲”座という中国星座
が有って、それのひっかけだと、私は考える。甲の字は兜の数と
も対応し、兜の数は馬や棋の数とが、一対一対応するので同じ意
味という事があるので、それを利用したのだろう。なお怪奇小説
では、読者に、あの世を連想させる必要があるので、星空に有る
星座を文中に使うから、六甲が出てきたという主旨の説明を、本
ブログでは、だいぶん前にしている。
 では以下に、以上の結論についての補足説明をする。
 こう考える場合のポイントは、

”王”を六甲のうちの一甲に数える

という事である。
 妙な話だが、私の解釈では、この場合、軍師が自分に対して、
着手の順序を間違えるなと、命令しているばかりか、上司の王に
対しても、将棋の手筋通りに動けと、命令しているのである。
 なお、次に”王が「よし」と答えると、攻め鼓がとどろき”と
文面が続くのであるが、この”王は「よし」”は、将棋ゲームの
対局開始の合図の事だと、私は考える。
 つまり、玄怪録岑順では、王は対局棋士であると同時に、ゲー
ム駒の一種でもあると、私は解釈する。このケース対局者は、
金象将軍と天那国の将軍であり、将棋の駒種類の中にも、彼らを
表現する、王駒が計2枚存在すると、解釈しているという事であ
る。つまり、このように”エコロジーの根本にある思想”風に解
釈するとき、何を示すかについては、

参謀本部は、危なくなって来たら、別の場所に移すという手も、
”小人の戦争”で描写された、将棋の着手には含まれる

と考えれば、判りやすいだろう。これは、

実際に戦争をしながら、参謀本部で戦略を練っている、本当の
戦争が、宝応将棋ならずとも、チェス・象棋・将棋ゲームの場合
には、始原的な本来の姿

という事が、(伝)牛僧儒にも理解出来ているから書ける、文章
なのだと思う。しかも良く考えてみれば、恐らく誰にでも、それ
は時代を超えて

正しい解釈

であると、認めざるを得ない事なのではないのだろうかと、私は
思う。
 つまり、”六甲の順序は乱れること無かれ。”とは、王が軍師
の意見も参考にしながら、作り上げた戦略に、

王も軍師も含めて皆が一丸となって、戦術手筋にそって戦闘せよ

という意味にとるのが自然と、私は考える。従って”六甲の順序
は乱れること無かれ。”の六甲は、最初に述べたように、将棋の
駒の動かし方ルール等で現われた、物語の戦闘に関与した全ての
駒、王、軍師、上将、天馬、輜車、歩卒の、以上6種類の事を指
すと、本ブログでは解釈すると言う事である。(2018/08/31)

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