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”庭訓往来”と”異制庭訓往来”とはどう違うのか(長さん)

南北朝時代の異制庭訓往来は、現在の有力な説では”泰将棋の存
在が示唆された文献”として著名である。ただし今回は、

将棋史の話ではなくて、異制庭訓往来という史料の解説

をする。異制庭訓往来には、類似名称の古文書として”庭訓往来”

という書物がある。
 個人的にだが私には、正直に言うと両者の違いが、これまで、
正確には判っていなかった。
 別史料という事は判るのだが、”庭訓往来には、書写や、改題
版が多数ある”とのweb情報もあり、両者が関連するものであ
るかのような心象が、個人的に有ったのである。そこで、今回は
両者の違いについて、web上でしっかり調べてみた。判ってい
る人には、答えが明らかだろうから、この論題については特に、
結論から書く筋合いでもないかもしれないが、習慣で、いつもの
ようにそうする事にしよう。

異制庭訓往来だけ、玄恵が西暦1386年頃に著作した庭訓往来
とは全く別の、類似形式の文書である。他方、庭訓往来○○、
○○庭訓往来という名の古文書は、異制庭訓往来を除いて、他は
すべて庭訓往来が元の文書

である。
 では、以上について以下、いつものように、補足説明をする。
情報は、

”往来物解題”

とweb検索すると、トップでヒットするサイトに、
少なくとも西暦2018年8月末までは、詳しく記載されていた。
 以下は、その内容の受け売りである。
異制庭訓往来は、西暦1358年から始まって、少し時間を使っ
て、虎関師錬が著したものとされている。記述形式は、私が解説
を読んでも、以下の庭訓往来と、区別がつかない。しかし、
庭訓往来とは、基本的に関連しない別の古文書である。こちらの
方に、将棋の項目があり、360枚ないし、360升目の将棋を
示唆する記載や、獣駒の存在、”将棋を知らない、王(天皇・皇
帝)運命はどうなるものかは判らない。”という旨の記載が有る。
 それに対して、庭訓往来には、その解題本が古文書として多数
あり、本家の庭訓往来は、虎関師錬の弟との説もある、玄恵が、
西暦1386年に、著した別物とされる。そしてこちらには、
○○庭訓往来、庭訓往来○○という史料が多種類有り、変形して
本家とかなりズレたものもあるものの、元々は庭訓往来の内容を
解説しながら、コピーした類のものである。しかも、

○○庭訓往来および、庭訓往来○○という表題の史料の中で、
庭訓往来が元でないのは、上記のwebサイトを、私がチェック
した限りにおいては、異制庭訓往来という書ただ一種

だけである。異制庭訓往来と庭訓往来は、書の項目の組み立て方
がほぼ同じであるが、”将棋”について説明してあるのは、国会
図書館の”庭訓往来”の公開文書を、私がチェックした限り、
異制庭訓往来だけであって、

庭訓往来とその系列に、”将棋”の項目は無い

と見られる。
 なお、庭訓往来の著者の玄恵は、”太平記”の出だしの方の
著者ではないかと、されていると聞く。
 また、冒頭の方で述べたように、虎関師錬と玄恵は、兄弟との
説があると言う。両者はともに、中国の古典史料に共に詳しいと
みられ、人格に類似性の有る人物同士のようである。そのため、
両者とも

日本の天皇を、中国の適当な王朝の太祖、即ち徳川家康のような
イメージに、なぞらえる傾向があるのかもしれないと、私は個人
的に想像

している。日本は王朝が交代するイメージではなかったが、中国
は古代より、王朝交代が繰り返された。そのため、太祖となった
武将として中国国内を平定した各王朝の初代皇帝が、日本で言う、
神武天皇以外にも複数人イメージでき、任意の王朝の初代皇帝を、
将棋の大将としての王や後醍醐天皇にも、中国史観という色眼鏡
で見て、当てはめる事が可能になったとみられる。
 太平記が”平清盛になぞらえられる、後醍醐天皇”という、
万世一系の天皇制をイメージしやすい、我々から見ると違和感が
ある調子で描かれているとされるのは、虎関師錬・玄恵兄弟の、
古代中国寄りの知識で、日本の南北朝時代の歴史を見る傾向に、
起因しているのではないかと、素人考えだが、私にも理解できる
ような気がした。”将棋駒の動かし方ルールを知らない王の未来
は、保障できない”と意訳できる、異性庭訓往来の将棋の説明の、
末尾部分の特徴的な記載も、初代皇帝は、中国では、日本人の感
覚では一人しか居無いはずの神武天皇よりも、徳川家康のような、
国を統一した武将に近いイメージで、中国史観的に、南北朝時代
の後醍醐天皇を、見ているためなのであろう。
 以上のように、庭訓往来(西暦1386年成立)の玄恵と、
異制庭訓往来(西暦1358年)の虎関師錬とが、兄弟と言われ
るほど関連し、思想まで関連していたために、異制庭訓往来は、
庭訓往来なのかと、間違えてしまう要因が有ったのかもしれない。
しかし、実際には以上の説明のように、

庭訓往来に書いてない全く別の内容が、著者が別だし、その方が
古いために、異制庭訓往来には、別の文書内容として記載される

と、認識しなければならない事が、webの上記サイトの存在の
おかげで、私にもようやく判った。異制庭訓往来は庭訓往来とは
異なり、”極端に普及した書物”では無く、たとえば豊臣秀次が、
その内容を知っていたとみられるのは、彼が勉強家だったからだ
ろう。
 なお最後に私がこのように、無知だった言い訳を簡単に書こう。
 異制庭訓往来の内容について、いろいろな項目を記載したサイ
トが、web上で、簡便な検索で、どんどんヒットする割りに、
異制庭訓往来とは何者かという、言葉を定義したサイトが、今回
紹介したサイト以外には、なぜか余り、web上に見当たらない。
 つまり、

異制庭訓往来には、かくかくしかじかの事が、書いてあるという、
紹介サイトは複数見受けられるのだが、異制庭訓往来とは何者で
あるのかに関して、往来物であるという以上の正体を、補足説明
するサイトが、今回紹介したサイト以外には、余り見当たらない

ので、庭訓往来系列と、間違えやすかったという事である。
 こうしたwebの簡易検索ヒットサイトの現状を見るにつけ、
異制庭訓往来を、これまで誤解していたのは私だけだったと、
祈らずには居られないように、私には思われる。(2018/09/09)

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