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小山評定跡の発掘状況(9月中旬)(長さん)

以前本ブログでも紹介したが、市役所の立替に伴い、栃木県
小山市の、小山市役所前の小山評定跡(市役所)で、遺跡の発掘
作業が進行中である。年内いっぱい位、やる予定だったと、私は
記憶する。以前7月の梅雨明け直後に、一度見に行ったが、夏の
暑さも和らいできたので、最近再び確認に行った。なお、栃木県
小山市では、この地点より南に約1キロ行ったところの、小山市
神鳥谷曲輪遺跡より、裏一文字金角行駒が、西暦2007年春に
発掘されている。小山城群の近辺である事はいっしょなので、井
戸跡が有れば、特に木製遺物の出土は、市役所前の地点でも大い
に期待できそうだ。
 実際に発掘現場へ再度行ってみると、下の写真のように、部分
的に2m程度、数箇所、深堀りが行われている状況だった。

小山評定9月.gif

深堀している所が、井戸跡なのか、昭和の時代の市の施設跡から
外れているので、試験堀りしているのか、詳しい事情は判らない。
 また特に、発掘の進行をアピールしている表示や、途中経過の
成果を示す、立て看板等は無いようであった。
 初期の新聞記事には、”めぼしい遺跡の存在は期待されない”
との、市のコメントが載っていたようで、小山市の考古学の学芸
員が総出で、この遺跡の発掘をやっている訳でもないと、個人的
に聞いている。しかしこの地点は、他の遺跡と異なり、市民の出
入りが、極端に多い所であるから、人の目にもつきやすく、

小山評定跡という、遺跡名称が付けられた場所から、”遺跡の痕
跡の出現は期待できない”では、特に発掘に素人な、栃木県小山
市の市民は、皆クエスチョンであり、それでは納得しない

だろうと私は疑う。”徳川家康が、評定会を開くために作成した、
シンポジウム用の会場の、舞台の支柱を刺すために掘った跡位は、
判るのではないか”と、普通の小山市民でも、考えるのではない
かと、私は懸念する。そもそも、ここから何もでないと、小山評
定の小山も、開運の小山も根拠が揺らぎ、市の伝統的な観光政策
にも、陰りが見えてきてしまうのではないか。同じく新聞記事
によると、ここに存在した、昔の市の施設を建設する際、遺跡の
チェックをしなかったという経緯があるようなので、その瑕疵を
かばっているという事も、有るのではないかと、私には新聞記事
の、書きの調子が感じられた。
 他の遺跡のパターンから見て、例えば静岡県の今川館の発掘の
ように、近代に客土した地層が表面に乗っているので”2m位掘っ
た所までは何も出ないが、水脈にからんだ特定の場所を3m前後
掘り進むと急に遺物が出だす”というパターンが、小山城付近の
発掘では、どこを掘っても穏当な結末のような気がしてならない。
 何れにしても、まだ期間が有るようなので、特定の地点を数メー
トル程度は堀って、遺物が無いかどうかを徹底的に探してほしい
ものだ。かなり耐用年数のあるだろう、市役所の新ビルが建った
後、実は遺跡がかなり未調査のまま、破壊されていたという話が
発生すれば、新しい市役所の建設を決めた、栃木県小山市のお偉
方の、末代までの恥になる事は確かだろう。従って、埋蔵文化財
の法令の、そもそもの精神のように、このケースは徹底的に調査
して、以降破壊される懸念があっても、新市役所敷地の再調査は
不要なようにしてしまうのが、実は最も利口なやり方のように、
私には思える。つまり少なくとも、

以後調査不能になるのが判っている場所の遺跡を、調査不足のま
ま少なくともその一部を残すという考えは、私には理解できない

と言う事である。
 くれぐれも、法令に違反しない、形だけのような発掘で終わら
せないようにしてほしいものだと思う。井戸を掘ると、木製遺物
だらけの、この重大な遺跡に関しては、本ブログでも、小山市の
新市役所建設現場の遺跡に関する、本発掘での完全解明を、せつ
に願う次第である。(2018/09/13)

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