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日本将棋史界。中国シャンチーの交点置き・九宮形成は砲発生より先(長さん)

本ブログでは、岡野伸氏の”世界の主な将棋”(1999)で紹介
されている、中国の中国シャンチー史研究書、朱南鉄著「中国象棋
史叢考」(中華書局出版・1987)を参考に、(1)円筒駒・
交点置き・士の2枚化・九宮発生という、道具の変更による視覚上
の変化よりも、
(2)砲発生・兵の減少・9×10路・兵の中央成りという技術上
の改良の方が、むしろ先行との見解を取ってきた。
 ところが最近、橿原考古学研究所の清水康二氏が、西暦2013
年に公開し、web上にpdfの形で見る事の可能な「将棋伝来再
考」から、これとは順序が、全く逆の情報が有るのに気がついた。
その情報は、私も愛読している日本将棋連盟2001年発行の「持
駒使用の謎」が元であり、

著者の木村義徳氏の説なのであるが、中国の象棋史に関して日本で
は、どうやら、見栄えの(1)が先、中身の(2)が後の方が優勢

らしい。我ながら、木村義徳氏の成書に関する

ひどい読み飛ばしが、有ったものだ。

 ちなみに清水康二氏の「将棋伝来再考」には、朱南鉄著「中国象
棋史叢考」の、(1)駒は円筒で字書き駒、士はあるのかもしれな
いが、九宮も、駒の交点置きも無いまま、

駒は升目置きであって(2)砲があり、兵は減少して11升目の
北宋象棋

という主旨の紹介が、全く無い。
 以下著名だと思うが、
(1)士の2枚化は別として、”円筒駒・交点置き・九宮発生”と
いう現在の中国シャンチーの特徴は、将棋の歴史(平凡社・201
3年)にあるように、

将棋の伝来の東南アジア説を取る、著者の増川宏一氏の、中国伝来
説攻撃の際の、絶好の攻撃材料となっている項目

である。従って、(2)を先に持ってきて、日本に伝来させてから
(1)が中国で発生したと考えた方が、その逆の

(1)が先で、(2)の技術的改良を後に持って来るより、
中国伝来説にとって、かなり有利

である。そのため本ブログでは、どちらかと言うと、岡野伸氏の
”世界の主な将棋”の中国の中国シャンチー史研究家、朱南鉄氏の
説を採ってきたのである。しかし、日本では、将棋の中国伝来派の

清水康二氏の「将棋伝来再考」を読む限り、中国伝来派にとって
むしろ不利に見える、木村義徳氏の中国シャンチー進化説が主流

なようであった。
 なお、木村義徳氏の「持駒使用の謎」の該当箇所には、(1)の
円筒駒・交点置き・士の2枚化・九宮発生という、道具の変更だけ
が行われ、(2)砲発生・兵の減少・9×10路・兵の中央成り
という技術上の改良が、まだな状態を”現行直前の象棋(推定)”
と称している。それが、橿原考古学研究所の清水康二氏が、西暦2
013年に公開し、web上にpdfの形で現在見る事の可能な
「将棋伝来再考」にも採録されているのだ。
 ただし、木村義徳氏の「持駒使用の謎」を読むと、(1)と(2)
は”道具のつくりやすさ→流行→(棋士の棋力が上がって)技術の
進歩→行き詰まり→改良という工程で進んだ”との旨記載されてい
るので、

(1)は直ぐにできたが(2)は、それ相応の長い年月が掛かった

との印象に、文面が少なくとも私には取れる。つまり、
宝応将棋が9世紀初めなら、木村氏の言う”現行直前の象棋”は
9世紀末、日本に伝来したのが10世紀中から11世紀初、中国
シャンチーの成立が11世紀末との心象を、少なくとも私には抱か
せるという事である。
 だから”中国から将棋が10世紀中旬から11世紀初に伝来した”
と、例えば橿原考古学研究所の清水康二氏のように考えると、
日本の将棋駒は交点置きで、九宮も無ければならず、本ブログの説
とは異なり、皮肉な事に

増川氏の批判は、ずばり的を得て居る事になる

という結末になるように、個人的には危惧されると言う事である。
 もっと中国伝来派にとって有利なように、日本の将棋史界は、推
移しているのかと思っていたのだが。将棋史研究会の集まりで私が、

我流で他の著名な研究者に、妙な論題を発して恥をかいてしまう

前に、清水康二氏の正調中国伝来説である、「将棋伝来再考」を、
きちんと読んでおいて、本当に良かったと、この部分から最近私は、
しみじみ感じるようになったのである。(2018/09/14)

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