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興福寺酔象と京都上久我荘遺跡の酔象の中間時代の酔象は有るのか(長さん)

西暦2018年9月の中旬現在、酔象駒で最も古いのは、奈良県
興福寺の西暦1100年より僅かに前の頃の、不成酔象であり、
次が南北朝時代の、京都市上久我荘跡遺跡の、成り不明と見られ
る酔象である。両者の間には、250年位のタイムラグがある。
なお、本ブログでは、普通唱導集より数十年手前で、酔象が、
大将棋の駒として、成り太子で復活と見る。これは、蒙古来襲の
時代に合わせて、酔象が将棋駒の世界に返り咲いたと、少なくと
も本ブログでは見るからである。
 では、西暦1100年から西暦1250年の間、たとえば、
西暦1225年程度の時代の遺跡、とみられる所から、今後酔象
が発掘される可能性が無いのかを、本ブログのこれまでの論を振
り返って、今回は論題にしてみる。何時ものように結論を先に書
き、説明を後でする事にする。

ありきたりの寺院や、合法的では無いような賭博場といった、
B級遺跡から、西暦1200~1250年頃の、不成り酔象は
今後発掘される可能性がある

と、本ブログでは予想する。
 では、以下に説明をする。
 以下私見であるが、本ブログでは

寺院型平安小小将棋というゲームが存在する

との立場を取っている。これは、

鳥獣戯画に描かれた、僧侶と庶民の将棋である

と解釈する。前に本ブログで述べたが、鳥獣戯画に描かれた将棋
は、7×7升目の将棋に見えるという見方が有力であり、本ブロ
グでは、正しくは以下の、6×6升目の将棋を、デフォルメして
描いたものと見ている。

香車酔象金将玉将銀将桂馬
歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵
口口口口口口口口口口口口
口口口口口口口口口口口口
歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵
桂馬銀将玉将金将酔象香車

 上図で、上の方の2段の駒は、相手の駒であり、下の2段の駒
が自分の駒である。そしてこの将棋は取り捨てで、酔象が角行の
動き。酔象・金将・玉将以外が、相手陣の2段目で、皆金将に成
ると、ここでは見る。ほかは、普通の将棋の動きである。
 さて橿原考古学研究所の清水康二氏は、庶民の将棋という概念
の実存在を、自身の論文の中で、かなり制限している。この点に
ついて本ブログは、

賛成の立場

を取る。しかし、上記で述べた鳥獣戯画が、問題の西暦1200


~1230年頃には、庶民の将棋が発生していた

と考えられる、史料と見ざるを得ないのではないかと、同様に、
本ブログでは見る。つまり、

鳥獣戯画は、”庶民の将棋”の初出史料と見るべき

ではないかとの立場を、本ブログでは取る。そして、上で述べた
ように、

庶民が最初に指した将棋は、寺院型平安小小将棋(仮称)と表現

される、取り捨て型の将棋だったと、ここでは見ている。そして
後に、西暦1300年を過ぎると、恐らく普通唱導集で表現され
た、小将棋(持ち駒有り型)に、”庶民の将棋”も変化したと、
本ブログでは見るのである。
 以上の仮説は、少なくともあらわに否定できるような史料が、
現在の所無い事だけは、確かなのではないかと、本ブログは見る。
 しかし、こう考えると、取り捨て型の、恐らく後鳥羽上皇の御
前で指された、9升目の標準的な平安小将棋や、鎌倉かと見られ
る今小路で賭博に使われたと、本ブログでは文献解釈する、8升
目型の原始平安小将棋を、西暦1300年頃までは、庶民が指さ
なかった理由を、説明する必要も出てくるだろう。
 上記の条件で庶民が居るような所から、将棋駒が出土していな
いから、史料とは矛盾していない事は、確かではないかとは見る。
そして、庶民が、将棋を指し始めるのが遅れたのは、

標準平安小将棋や原始平安小将棋が、玉が詰めにくいと言う点で、
賭博性、ゲーム性が無いのを、庶民および、場末寺院の僧侶も知っ
ていたから

だと、本ブログでは考えるのである。そもそも、6升目型の寺院
型平安小小将棋は、駒種類の構成が、9升目の標準型平安小将棋、
8升目の原始平安小将棋とほとんど共通であり、

更に不成の酔象が、小型であるにも係わらず余分に加わったもの

である。従って、識字の点でハンデの有る”庶民”にとって、
寺院型平安小小将棋も、平安将棋もほとんどいっしょである。
しかし、庶民は、

武家の願掛けが起源の原始平安小将棋や、白河天皇と大江匡房の
指示で上流階級が指していたとみられる、標準型平安小将棋を、
指さなければならない筋合いは、ゲーム性が無いなら特に無い

はずだ。庶民にゲームが広がるときには単純に、面白いので

ゲーム性が高いゲームが、自然に広まるだけ

なのではないかと本ブログでは見るのである。以上のような事と、

大江匡房が使用を禁止したとみられる、酔象を敢えて賭博では
使うという、いかがわしさ、怪しさが、返って庶民の間ではウケ

て、鳥獣戯画に記載されているように見える、寺院型平安小小将
棋は、案外B級寺院や、インフォーマルな賭博施設等では、地味
な形で庶民に指された、最初の将棋だったのではないかと、私は
思うのである。
 そして、この将棋には、本ブログでは興福寺出土の酔象の後継
と見られる、

不成りの酔象が1枚有った

と、ここでは見る。従って、
興福寺のような大寺院や、中将棋用ではないかと疑われる、上久
世荘のような、荘園の荘官等の屋敷ではなくて、ありきたりの寺
院や、中世民家に隠れた賭博場の跡のような、Bクラスの遺跡で、
木製遺物が保存されやすい条件なら、

西暦1200年~1250年程度の不成り酔象が、今後発見され
る可能性がある

のではないかと、本ブログでは見るのである。むろんそうなれば、
酔象の西暦1100年から西暦1350年までのタイムラグの、
ちょうど真ん中の

西暦1225年付近の酔象が有る事になり、

”酔象の存在自体は、連続的であった”と、事実上遊戯史界は、
誰もが認めざるを得ない結果になるのではないか。以上のように
将来なるだろうと、本ブログは予想しているという事である。
(2018/09/16)

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