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木村義徳説のインドで発生の将棋が、2世紀後に立ち上るが何故無い(長さん)

現在の定説によれば、二人制チャトランガが、インドのマウカリ国の
カナウジ付近で発生したのは、マウカリ国史から見て、西暦600年~
西暦650年である。そして、玄怪録の岑順物語が成立したと見られ
るのが、西暦820年と約200年後。日本で立ち上がったと、増川
宏一氏が、ものと人間の文化史23-1将棋Ⅰで書き、本ブログでも
同じ見解の時代が、インドの将棋の発生の400年後の、西暦1020
年頃である。
 それに対し、持駒使用の謎の木村義徳氏は、概ね西暦820年には、
将棋が日本に中国と、同時漂着していると説く。現在この説が有力に
ならないのは、

和名類聚抄を初めとして、史料に将棋が見出せない

からである。しかし考えてみると、

インドと日本とは離れているが、200年も有れば、文化は伝来する
のが普通なのではないか

と、単純には見られるのではないか。そこで本ブログでは、何回か答
えを書いたが、そうならなかったという増川氏に賛成の立場に立ち、
何故かを考える。そこで何時ものように、答えを先に書くと、

中国の西暦820年~西暦1020年までの知識人が、日本の朝廷
と庶民に対し、”将棋を指しても無駄である”と、実質宣伝したのが、
ブレーキとなり、木村義徳氏の言うようにはならなかった

という事にしたのである。今回は表題を、以上が答えになるように
書いたのだが、むしろここでは今の所、その

根拠が、玄怪録の岑順物語の記載であり、しかもそれだけである

という点を、わかりやすくまとめておくことにする。
 そこで以下は、いつのように上記の結論の解説であるが、まず、
存在する史料である、玄怪録の岑順の、日本への将棋伝来、遅れ
の原因論の、根拠となる

重要部分の箇所を示し、ついで解説する

事にしよう。
 なお繰り返すが、中国人が、やめさせたとの論の根拠となる史料は、
私の知る限り、以下しか無いと考える。
そこでさっそく書くと、問題の箇所は、
以下、金象軍と天那軍が戦い、主人公の岑順が応援している、
金象軍が勝利した場面の下りである。

(前略)
順(岑順)がうつむきながら眺めているところへ、一騎が
走り寄って王(金象将軍)からの言葉を伝えた。
「陰陽は交錯するもの、その機をとらえた者は栄えるとか。
天威堂々と、疾風のおしよせるごとく、一戦して勝利を
おさめたが、貴殿にはいかが見られたか」
順は答えた。
「将軍には白日をも貫く英気を抱かれ、天の時に乗じてお
られますありさま、神霊のはたらきと愚考つかまつり、
およろこびに堪えませぬ」
 こうして合戦は数日の間続いたが、たがいに勝ったり
負けたりしているのであった。(後略)

以上で、物語を史料としてみたときに重要なのは、
(1)(特に、岡目八目の加勢もせず)”順(岑順)がうつむき
ながら(将棋の一局)を眺めている”だけである
という事と、
(2)(主人公が加勢している側の軍隊の勝利の原因を、)
”神霊のはたらきと愚考つかまつり”と表現し、

プレーヤーとしての金象将軍の特定の将棋戦法や、妙手を
特段褒めても居無い(裏を返せばゲーム性が無く、どうやって
も、そのような物は、誰にも考え出せない)という情報を
実質出している

以上の2点である。
 もし宝応将棋にゲーム性があれば、仮に金象将軍が、宝応将棋
の上級棋士だとしたら、こんな評は、高段者に対して誠に失礼で
あり礼儀をわきまえない、非常識な物だと、怒り出す所であろう。
しかしそれで金象将軍は喜んで、岑順に対して、接待をしている
という話になっているわけであるから、宝応将棋の勝利棋士には、
局後に、この程度の事を言えばよいという、(伝)牛僧儒による
教えがあると、将棋史家は考えるべきなのではなかろうか。
 つまり、背後に存在すると見られる宝応将棋には、ゲーム性が
無い為、上級棋士だけに発見可能な、戦法や妙手を考え出せる
という性質が無く、序盤の駒の出し方は、ほぼお決まりのパター
ン、中盤以降は、上将で玉駒を追いかけるといった、単純な指し
方のコツがあるだけであった。だから、
(伝)牛僧儒のごとくの中国唐代~五代十国時代の、中国人の
知識階級は、日本人から当時の将棋について問われると、
日本人は外国人の指す宝応将棋を、岑順のごとくに眺めている
だけで良く、のめりこんで指しても、稽古事が上達するような、
芸を習うといった効果は薄いと答えた。そして日本人に対し、

西暦820年から西暦1020年まで、将棋には手を出さない事
を、実質的に薦めていた

と考えられるという仮説と、上記物語史料の内容は、よく読むと
マッチしているのではないかと、本ブログでは見るのである。
なお、上の玄怪録の岑順物語は、東洋文庫版の”唐代伝奇集(2)”
西暦1964年発行、前野直彬訳によった。この岑順のセリフ部
分は、概ね日本の将棋史書では、

”中略”の中に含まれ、言及された例が少ない。

 しかし目下の所、私に言わせると、木村義徳氏の仮説が、どう
して日本の史料と、合って居無いのかを説明できる、ヒントに
関する客観的史料は、残念ながら

これしか無い

ように思う。だから、
(伝)牛僧儒作の玄怪録岑順物語の主人公岑順の、上のセリフは、
少なくとも目下の所、

将棋史にとってはかなり重要

なのではないかと、私は見る。つまり繰り返して言うと、ここで
言いたいことは、

主人公の言う”神霊の働きによる勝利”という意味は、高度な
定跡の発見や、上級者にだけ指せる妙手の発見という事柄が、
”誰にも出来ない原理的に不可能な行為”という、唐代の中国人
識者の、宝応将棋に対する一般認識を反映したもの

と、この部分は一度は疑って読むことには、それなりの意味が
あるのではないかという事である。(2018/09/27)

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