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静岡県焼津市小川城出土、裏飛口竜王駒。飛口はやはり飛鷲(長さん)

前に、図説・静岡県の歴史(河出書房新社、永原慶ニ編集、
1987年)という成書に、表題の焼津駒の鮮明な写真
が掲載されているが、竜王駒の成りの、飛口の口の部分は、
判読がかなり困難とのコメントを、本ブログでした事があった。
 さいきん、電柱の看板に”鷲”の字が書かれているのを眺め
ているうちに、不意に、次の事に気がついた。

 鷲の鳥の部分で、頭の部分だけが仮に残ると、白や日のよう
に見える。

実は、出土駒を見て、少なくとも私に謎に思えたのは、2文字
目の”下部分”が”日”のように”天童の将棋駒と全国出土駒”
のスケッチ図には、描かれていた事であった。これは、
鷲の字の最下部は、鳥のはずであり、もしそうなら鳥の下部の、
馬の下部のような形とは、かなり様子が違う。飛口の口は、
”智”のようでもあり、これでは”鷲”からは、かなり遠い。
従って、焼津竜王中将棋駒の成りは謎だったのである。
 しかし、良く考えてみると、この出土駒の下端部分の墨跡に
ついては、飛口と書かれた字の、

本当に、最下段が見えているのかどうか、確実とは言えない

のではないかと、考えるようになった。良く見れば、この駒
は割れており、もともと形が歪んでいるから、

下部も少し、擦れているとも考えられる。

つまり、この飛□成り竜王駒の裏の墨跡で、最下段に見えてい
るのは、

字の最下段ではなくて、鷲の鳥部分の、真ん中より少し上

なのかもしれないと気がついた。そのきっかけは、街の看板の
”鷲”の鳥部に、白や日の形が、下の方ではないにしろ、有る
のに気がついたからである。そこで図説・静岡県の歴史の駒の
写真をもう一度良く見ると、まさにその通りのようであり、
更にこの成書の駒を見ると、鳥の真ん中の”長い横棒”も、
駒の下の縁付近に、有るように見えてきた。
 以上のように下部に見える部分は、鷲の最下段ではなくて、

単に下の方の一部

だったのかもしれない。以上の認識から今後は、焼津小川城の
飛口竜王駒については、飛口ではなくて、飛鷲と解釈し、本ブ
ログに於いても、飛鷲という駒名が、西暦1500年頃には有
ったという証拠になるものとして、通説に近い解釈で、中将棋
の進化を語るようにしたいと考えている。(2018/10/25)

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