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上久世酔象駒の真偽は迷宮入り(長さん)

さいきん京都市にある、京都埋蔵文化財研究所へ、西暦2017年
の京都市南区上久世の遺跡発掘調査報告に、参考文献として載って
いる、西暦1976年頃の報告書の在庫あるかどうかを、問い合わ
せてみた。酔象駒の写真が、有るかもしれないとみられた為である。
文献名は、以下の通りである。

『上久世城の内遺跡発掘調査中間報告』 六勝寺調査会・上久世城
の内遺跡発掘調査団 1977年

結果から言うと、京都埋蔵文化財研究所にも、上記の

文献は現存しない

との事である。
 本ブログで、前に問題視したが、この酔象駒については、

”酔象と、書かれている”という話があるものの、証拠となる史料
が、”天童の将棋駒と全国遺跡出土駒”でも写真が不鮮明で、よく
判らず、その他にも確たる画像情報が、全く見当たらない。

言うまでも無く、成り不明酔象駒で正しいとすれば、

南北朝時代に、酔象が復活していた重大な証拠

になる。しかしながら、大学の先生が入って、考古学の研究をする
会だったとみられる、西暦1970年代の、”六勝寺調査会”なる
研究会は、今や存在せず、その”考古学研究団体を引き継いだ”と
の記載が、web上には有る、今の

京都埋蔵文化財研究所にも、前記の調査報告等の記録は、ストック
されて居無いという事態

のようだ。2017年に作成された、最近の調査報告書の参考文献
は、文献名だけ、京都埋蔵文化財研究所に記録が有るのだろう。
 更に言えば、赤外線写真で撮影された酔象駒の図が、問題にした
1977年作成の調査報告書には、絶対有るとの保証もない。
”中間報告”と表題が表現されており、”最終報告”に当たるもの
が、最近の別の発掘作業の報告、西暦2017年報告書の参考文献
リストに無いのも、多少引っかかる所である。
 だから残念だが今の所、

酔象は興福寺で平安時代の11世紀に使われた後は、15世紀末に、
一乗谷朝倉氏遺跡で、復活したというのが確実な情報

としか、言えなくなったようだと、本ブログではみなす事にした。
そもそも、一乗谷朝倉氏遺跡の将棋駒の研究者さえ、上久世酔象駒
については、写真等の、はっきりした画像情報を、入手していない
ようなのである。なので、一般人の本ブログの管理人が、証拠を入
手するというのも、どだい無理があったのかもしれない。
 六勝寺調査会のメンバーには悪いが、残念ながら、上久世酔象駒
に関しては、彼らの成果を後代に引き継ぐ事が、少なくとも本ブロ
グでは、難しくなったように思う。よって本ブログでは、この史料
に関しては今後、”一説に京都市南区上久世で南北朝時代の酔象駒
出土(?)”等と、記載する予定でいる。(2018/10/28)

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