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イスラムシャトランジと中国シャンチー持駒ゲーム化比較(長さん)

前に、中国シャンチーを持ち駒象棋化した際、ディフェンス
の強化として、
1)王駒を龍王の動きにする。
2)相/象を酔象の動きにする。
3)相/象は、相手陣に入れ、入っているときには、太子になる。
 そのため、玉駒が最大で、片方に4つできる可能性がある。
4)帥/将、士/仕、象/相の行き場所の制限は、全部止める。
 帥/将の対面ルールも無しにする。
以上の1)~4)の守備の強化で、持ち駒ルールの導入による、
大きな攻撃力の増加は、相殺できると述べた。
 最近、日本シャンチー協会のブログで、”中国シャンチーは、
六博から進化したのであり、外国の象棋の輸入品から、出発して
居無い”との説が有力との旨の、ページを発見した。この論には、

本ブログは、反対である。

 少なくともグローバル社会で、完全にレアーな説を、有力視し
た公平性が疑問なものだと、本ブログでは考える。
 なお日本の将棋史研究者に、象棋の六博起源説に賛成する者が
居るとの話は、今の所聞かない。やはり、象・馬・車駒が、
インドシャトランガと中国シャンチーとで、どちらにも、過不足無
く有るという事実は、大きいものがあるといえる。しかし、”見か
けだけだ”という反論は、言うだけなら可能かもしれない。
 そこで、イスラムシャトランジがシャンチーの親であると考え
る本ブログとしては、とりあえず、イスラムシャトランジの持ち
駒象棋を作り、

上の1)から4)と、ほぼ同じ、ディフェンスの強化方法で、
持ち駒ルール化可能な事を示し、中国シャンチーがイスラムシャ
トランジに近い

事との認識を、補強する必要が有ると考えた。
 そこで、実際にやってみたのだが、結果から取り急ぎ述べる。

1)王駒を奔王の動きにする。
2)象を酔象の動きにする。
3)兵は、シャンチーとは違い、空升目には直進するが、相手の
駒を取るときには、斜め前にチェスのポーンのように動き、猫叉
動きの副官に、最上段で成れるだけにする。なお、それ以降は、
成ったままにした。

以上の守備力の増強で持ち駒ルール化して、攻守が攻めが僅かに
まだ強いか、という程度で、だいたい取れていた。

なお、今回の場合は、中国シャンチーのケース同様、持ち駒ルー
ルに大きな禁止手は作らなかったが、最奥の段に、兵は打てない
とした。
 つまり塞馬脚や塞象眼が無いので、王は龍王でもまだ逃げ足が
鈍く、奔王にする必要があるが、そうするだけで、それで良い
という結果であった。特に、変更パターンの内容が、中国シャン
チー、朝鮮チャンギと、イスラムシャトランジで、全く同じパター
ンで良い事は、

ゲームとして”同類”である事を、強く印象づけた

と考えられた。なお、中国シャンチー等に比べて、イスラムシャ
トランジは、砲駒が無いので、元々守備が強すぎである。そのた
め、より少ない項目数の変更で、バランスが取れたと見られる。
 ちなみに、

象/相を酔象化したために、東南アジアの象棋との区別は曖昧に
なり、恐らく、マークルックやシットゥイン等も、同じパターン
で、持ち駒ルール化できるのではないか

と見られるようになった。持ち駒ルール化の際のやり方の差から、

具体的に、中国シャンチーが、東南アジアのゲームに近いのか、
イスラムシャトランジに近いのかを判定できる程度の精度は、
このやり方の持ち駒ルール化の方法の比較、それだけでは出ない

とみられる。すなわち、この事からは、

中国シャンチーの親が、六博や囲碁ではなくて、シャンチーより
も記録が古い、象棋類のどれかであると見る方がよほど正しい

という証拠を、単に示したに過ぎないとは言える。なお、四人制
時代の古代二人制チャトランガは、日本将棋に似せるように、
1)9升目化する、2)角行動きの象の一方を飛車にする、
3)兵を前で相手駒が取れるようにし、かつ成りを酔象か金将動
きの大臣(副官・司令官)に固定する、できれば4)兵を3段目
化、3段目成りにする・・と、変えてゆくと、両方香車2枚落ち
の日本将棋に、実質なって行く。ので、今回の中国シャンチー・
イスラムシャトランジ方式の持ち駒化とは、別のやり方の方が、
有望である。

だから、日本の平安小将棋とインドの四人制チャトランガが指さ
れた頃のニ人制チャトランガは、将棋属と見なせると、本ブログ
では、木村義徳氏の持駒使用の謎の主張を、更に増幅させて主張

しているのである。蛇足だが、現代のインド・チャトランガ(2
1世紀)は、東南アジアの象棋類であり、今回の、
イスラムシャトランジ方式が使える。(2019/01/31)

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六博の盤の模様を象った古代の国内出土鏡に十二支の文字(長さん)

前世紀の終わりの1995年に京都府、1998年に大阪府
から、古代の、俗に卑弥呼の鏡と言われるものの一種で、
青龍三年方格規矩四神鏡という、裏面に、中国の四神(四獣)
を彫った、鏡が出土している。ゲーム史に関連する内容として
は、中国の古代のゲーム、六博の盤の模様が入っている、日本
出土の古鏡として、日本の考古学会では知られているようだ。
 六博は、盤双六類のゲームとされ、本ブログでは、盤の位置
で、駒の動きが決まるゲームなため、将棋類では無いだろうと
見てきた。中国の考古学では、鏡に六博盤模様が入っているの
は、後に占いに使用され、後に家内安全のマジナイとして機能
した為というのが、定説らしい。
 冒頭で紹介した、国内の出土遺物は、文化庁編、発掘された
日本列島(1995~1999)に、鮮明なカラー写真で紹介
されている。それによると、六博の盤の模様の内側の、正方形
の枠(”方”部分)の直ぐ内部に、少なくとも日本国内出土の、
青龍三年方格規矩四神鏡に2面共に、

子、丑、寅、卯・・の十二支の、動物でない元々の方の文字が、
時計回りに書いてある

との事である。実際写真には、京都出土の鏡、大阪出土の鏡と
もに、西暦235年に書かれたと見られる十二支の文字が、
六博の盤の模様と共にはっきりと私にも読める。また、北東、
南東、南西、北西といった四隅の方向の部分に、青龍、朱雀、
白虎、玄武の姿がある。この事から、
六博の盤は、地上の何らかの地形を、どうやら模したものらし
いと、始めて私には想像がついた。つまり、

六博というゲームも、陰陽五行の論理に則ったものであり、
地理、方位方角や、日月星の運行。季節、暦に関連したもので
あると、水無瀬兼成の将棋纂図部類抄の序文のような内容で、
三国鼎立時代の魏の国から邪馬台国に対して、西暦235年の
弥生時代に情報が送られていた

という事だろう。むろん、六博の盤の模様は、ゲーム盤として
よりも、マジナイ札の模様の意匠イメージが、西暦235年頃
には中国国内では既に、強かったのかもしれないが。鏡を送ら
れた側の日本の王朝内部でも、”元々は、ゲーム盤の模様であ
る”事位は、魏王朝から知らされて、知っていただろうとは考
えられるだろう。
 だから、この出土遺物から言える事は、

”陰陽道や五行、日月星の運行を象った”や、”天文道と関係
する””雅楽の音階にも関係”と言った情報だけでは、将棋で
あるというよりは、中国のゲームであると判るだけ

という事なのではないか。つまり、北周の武帝が、チャトラン
ガが発生した隋の時代より前に、占い天文と関連するゲームを
発明したという情報だけからでは、中国で、何らかのゲームが
発明されたという以上の、情報の中身が実質的に無いという、
日本出土のこれらの鏡は、証拠の一つという事になるのではな
いか。私はこれらの史料を見てからは、そのように考えるよう
になったのである。(2019/01/30)

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将棋六種之図式大大将棋。項目名が図版の題より後なのは何故(長さん)

以下はオリジナルの江戸時代の将棋書、将棋六種之図式では
なくて、近代に雑芸叢書に収められた、将棋六種之図式の
大大将棋について問題にする。内容は、”○大大将棋
 縦横各17目 駒数192枚”という、この書籍の構成で
言うセクション名が、図版の説明”大大将棋図式”より後
(下部)に記載されているのは、どうしてなのかという点で
ある。

雑芸叢書大大.gif

 問題にする事柄の内容を説明すると、将棋六種之図式には、
セクション名が六個あり、
”○小将棋 縦横各9目 駒数40枚”等が、セクションの
題字になっている。そしてその次に、場合により文面で説明
があって、更にその途中で、実際にその図はないが、例えば
で言うと、”小将棋図式”と言った感じの図版の題がある。
なお、実際の図版は将棋六種之図式では、小将棋図式と、
中将棋図式については省略されている。実際の図版そのもの
は、その直後に記載されている。内容は、盤升目の中に駒の
名前を書いて、初期配列で並べた図(相手側に、おもて面。
自分の側に、成り面の駒名を書く等している)という、
水無瀬兼成の将棋纂図部類抄と、似た表現方法のものである。
 こうした、”○○将棋図式”という題目の図が、メインで
存在して、更にケースバイケースで、後付けの説明が有って、
六種の将棋各々、一ゲーム種の説明になるという、構成に
大大将棋以外はなっているのである。

少なくとも、セクション名の前に、その内容の一部である、
図版の内容表題が来るのは、通常の書籍の構成としてもおか
しい。

ではなぜ、雑芸叢書に収められた将棋六種の図式の大大将棋
は、このような表現になっているのかが、今回の論題という
事である。
 回答を先ず書いて、説明をその次にする。

雑芸叢書に”将棋六種の図式”を収めるときに、雑芸叢書の
編集者が間違えた

との見解を、本ブログでは取る事にする。すなわち、

○大大将棋 縦横各17目 駒数192枚
  大大将棋図式
(大大将棋の盤に各駒名を並べて書いた、将棋図式の図)

と表現すべき所を、行が詰まっていたか、何らかの理由で、
実際にはこのケース、
大大将棋図式 ○大大将棋 縦横各17目 駒数192枚
(大大将棋の盤に各駒名を並べて書いた、将棋図式の図)

と、適格でない表現にしてしまったと、考える。
 では以下に、大事な点を最初に書くよう注意しながら説明
する。
 本ブログの、このページに関しては、

なぜ、こんな事を問題にするのかを、まず明らかにすべき

であろう。
 このページよりも、さほど時間差の無い少し前に、
大阪電気通信大学の高見友幸研究室の”摩訶大将棋のブログ”
にて、

比較的良く知られた、駒数多数将棋の古書に、大大将棋に関
して(だけ)は、日本の駒数多数将棋の盤について、囲碁盤
のように、交点駒置きである事を示した記載があるが、気が
ついた研究者はまだ、居無いようだ

との内容の、今回の論題に関する、先行研究例が載っている。
大大将棋の記載された、江戸時代成立の古書が余り無いと、
本ブログの管理人は認識していたので、可能な程度で、
大大将棋に関して、

妙な記述構成になっている、将棋の古書を探してみる

事にした。言うまでも無く、

書籍の構成が妙なのは重大な情報を含んでいる可能性がある

と、私は見たからである。その結果手持ちの情報が、限られ
ていた事もあって、とりあえずは今回の論題の、
将棋六種之図式の、セクション名”○大大将棋 縦横各17
目 駒数192枚”の、書籍としての編集者の構成の仕方が
おかしい事に気がついたという事である。
 残念ながら、

大阪電気通信大学の高見友幸研究室の”摩訶大将棋のブログ”
の”比較的良く知られた、駒数多数将棋の古書”の旨の表現
で、具体的な文献名は不明である。

だから高見友幸氏が、どの古書を指しているのかは判らない。
 とにかく、大大将棋の説明部分で書籍上の表現が、おかし
い、比較的良く知られた将棋の古書が有ったという事である。
 そこで次に、表現がおかしいのは、近代の雑芸叢書の編集
者のせいだという根拠だが、

”○大大将棋 縦横各17目 駒数192枚”という、
将棋六種之図式の著者が作ったセクション名は、
水無瀬兼成の将棋算図部類抄の、各将棋図式の図の題名の
副題と著しく紛らわしいため、雑芸叢書の編集者に間違えら
れても仕方がない

と私は考えるためである。では、雑芸叢書の編集者が、何故
大大将棋だけ間違えて、他の5種の将棋種については、ミス
しなかったのかだが、

たまたま、セクション名と図版の中に、他の将棋種では、
将棋六種之図式の著者が、前付けの説明文を入れたからだ

と、私は考える。では更に、なぜ将棋六種之図式の著者が、
大大将棋だけ、前付けの説明、図版という構成で著作しなか
ったのかだが。水無瀬兼成は、将棋六種之図式著者と異なり、
”古時鳥”の名前がおかしいとか、”奔獏は奔横と間違える”
といった、大大将棋のウンチクに関して、余り興味が無かっ
たため、将棋纂図部類抄で、大大将棋に対する、付帯説明が
無く、将棋六種之図式の著者も、他の将棋種と同じく
大大将棋でも、将棋纂図部類抄を参照して前付けを書こうと
したが、

書く内容が、特段無かった為

何も書かずに、いきなり大大将棋図を書いたからだと、私は
思う。
 そのためセクション名の後、いきなり図版の大大将棋図式
に、大大将棋だけなったので、うっかり雑芸叢書の編集者に、
間違えられてしまったという訳なのであろう。
 なお、題目で”縦横各17目”と、盤升目の内容が付いて
いるが、この表現は”目”の文字が有るという点で、

将棋纂図部類抄と、将棋六種之図式は同じ

と、当方は認識する。”目”は、交点置きを連想させるが、
図では升目の中に駒名が書いてあるし、”1目2目はヲトラ
ズ”等と表現するとき、交点置きの盤を使っている事を示し
て居無いから、この表現で”大大将棋を囲碁のような、交点
置き将棋具のゲーム”とは、言えないだろう。よって、

高見友幸氏が問題にしている棋書が、残念だが不明

という事になってしまうのだが。
確かに、将棋六種之図式については、大大将棋だけ、書籍の
文書フォーマットが、雑芸叢書に納められている物は、少し
変なことは確かなようである。(2019/01/29)

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車の実用品は日本に7世紀から有る(長さん)

前に、西暦1977年の文献である、ものと人間の文化史23-
1将棋Ⅰ、増川宏一氏、法政大学出版局の記載に基づいて、本
ブログで”日本で牛車や、乗り物の車が良く知られるようになっ
たのは、10世紀頃の平安時代であり、車駒が伝来しても、そ
れまでの日本のゲーマーには、車という単語自体も、ピンとは
来なかった”はずだとの旨述べた。
 しかしながら最近、今世紀に入り西暦2002年、”奈良県
桜井市の小立古墳で、車の車輪の木製遺物が出土している”と
の、考古学情報を見つけた。紹介者は奈良県の、
桜井市教育委員会(当時)の村上薫史氏である。
 村上氏によると、この車輪は7世紀後半から末の、藤原京
時代のもので、今の山車に使われる車輪の構造と、余り変わり
が無いとの事である。

7c車輪.gif

 従って、本ブログの”車”の日本での普及年に関する内容は、
最近の考古学上の認識からは、

誤りだった

とみられる。日本で囲碁の記録が始めて現われる、7世紀の、
後半頃以降は、たとえば東南アジアの原始的な象棋、イスラム
シャトランジ等が、日本に漂着すれば、

日本人には、”車”という言葉自体の意味は、ほぼ判る状態

だったようである。謹んで訂正したいと考える。
 よって、車駒の入った10世紀までの象棋類について、日本
に記録が無いのは、

車駒の動かし方ルールに起因するゲームの性能の問題であって、
駒名の意味の問題では、ほぼ無い

と、私にも考えられるようになった。(2019/01/28)

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持駒ルールの有る朝倉小将棋型中国シャンチーゲームを作成(長さん)

前に、取捨て将棋は、持駒ルールが無い分、個々の駒の性能
が強化されており、取捨て将棋類に、更に持駒ルールを導入
するには、個々の駒の動かし方ルールの弱体化が必須と述べ
た。具体的なゲームとして、西洋チェスを例に説明した。
 今回は、別の取捨て将棋として、これも代表的な、現代
中国シャンチーについて、持駒ルール化の別の例として示す。
ただし、西洋チェスとはパターンを変え、守りを強化すると
いう方法で、持駒ルールを入れても、攻守パランスが取れる
ようにする。中国シャンチーが例として相応しいのは、九宮
の導入、玉駒通しが直射できないというルール、玉駒の八方
隣接升動きから、縦横4方連接升動きの改善で、パランスを
とり、ゲームとして完成されているからである。
 今回は、玉駒を八方動きさらには、龍王動きにしてから、
象/相を太子化するという、持ち駒ルール有りの朝倉小将棋
方式にして、中国シャンチーを持駒ルール化した例を示す。
駒の初期配列は、この形だからシャンチーはゲーム性能が出
ているのであり、基本的に変えない。変える余地があるのは、
中央の玉駒、士/仕駒、象/相駒の、駒の動かし方ルールだ
けだと考えられる。
 具体的には、玉駒である帥/将と、象/相の駒の動かし方
ルールを次のように変えた上で、持ち駒ルールで指す。
帥/将:現行の嗔猪の動きではなく、龍王の動きとする。
盤面自由に行け、動き先は九宮に限定されない。九宮自体を
使用しない。なお、帥/将同士は対面しても良い。ただし、
そうすると対面させた方が、相手の帥/将で、取られる。
帥/将だけ、この将棋では取り捨てで再利用できないとする。
象/相:現行の2升目だけに限定された、斜めへの走り
(塞象眼ルール有り)を止め、自陣では日本将棋の酔象、
相手陣では必ず、太子の動きになるとする。すなわち、
通常のシャンチーと異なり、相手陣に出入りしたり、持ち駒
ならば、打つ事も可能とする。また、相手陣内でこれらの駒
が有る時、日本の将棋の太子や王子同様、帥/将が取られて
も、負けにならないとする。ちなみに、相手陣から自陣に戻
ると、日本の将棋の太子と異なり、酔象の動きと、働きに、
戻ることとする。繰り返すがこれらの駒は、持ち駒として、
再利用できるものとする。
なお、九宮が無くなるので、士/仕もルールが変わる。
士/仕:動きのルールは士/仕のままだが、盤の何処にでも
移動でき、また、何処にでも持ち駒として、打てる。
 なお、中国シャンチーには、兵/卒だけ成りのルールがあ
る。成りのパターン自体は、通常のシャンチーの河を基準と
するルールとして、歩兵の成りのルールについて、次のよう
にする。
兵/卒:自陣では前に一歩、相手陣では、前に一歩と横に一
歩進める。持駒として打ったときには、相手陣に打つと、
移動しなくても、相手陣の動きの駒になっているものとする。
 次に、今回のメインの変更である、持ち駒ルールについて
示す。今回は、

持ち駒は、帥/将以外の全てについて、持駒に出来、持駒を
打つ際、禁止手は全く無しにする

とした。兵/卒は縦に幾つでも打てるし、それで、相手玉・
太子駒を詰んでも良い。
 最後に問題になるのは勝ち負けの決め方だが、

 盤面に、帥/将、及び/又は、相手陣に象/相が、全く無
くならない限り、負けになら無い

とした。相手がうっかり、持駒として象/相を温存させる、
ポカをやらない限り、相手の帥/将、盤面に合計4枚有る、
象/相を全部奪わない限り、勝負は続けられるとした。
 実際に一局指して、終局になった例を以下に示す。

シャンチ持駒.gif

盤面、向こう側が帥軍、こちら側が将軍であり、向こう側が
先手、こちら側が後手である。駒の色は、持駒ルールにより
入れ替わっていて、

駒の向きでのみ、敵味方は区別され、色はバラバラになる。

帥/将駒以外単色の、象棋駒を使うべきだったろう。
 局面は、先手向こう側、帥軍の勝ちである。詰みは、囲碁
盤の表記で言うと、4の五の位置にある、将軍の相駒(元々
は、相手から取った持ち駒)が、追い返し詰みになっている。
なお、終局時点現在で玉の働きをしている玉駒は、図の黄色
の輪のある”相”の駒である。持ち駒台には、取っても再利
用しない帥/将駒も、この写真のケースでは置いてある。
 形勢は2転3転し、最後の帥軍の盛り返しにより押し切ら
れた感じで、戦術的な敗因は、はっきりしない。
 このゲームは、恐らく日本将棋の持駒ルールに慣れた方が
行うと、比較的簡単な寄せの、数回の繰り返しという感じの
ゲームになるとみられる。

帥/将は、シャンチーの九宮から出られず、対面も禁止され
た嗔猪動きから、龍王の動きに大幅強化されているが、持駒
ルールの存在による、攻撃力の増加は、それに勝るもの

である。続く、太子駒の寄せと言うべき、相手の象/相の、
自陣内での寄せも、動きは玉将で龍王よりも弱体化してい
るので、相手は安全な地点に打駒をしたものを、更に詰める
形になるとしても、寄せるのに、大きな努力が要るわけでも
ない。
 よって、攻守のバランスは、

私にとっては、持駒将棋の寄せが象/相が複数個存在するた
め続くので、大いに守備力が有るように感じられたが、持駒
ルールに堪能な方には、長手数かかるが、やや単調なゲーム

と感じられるのかもしれない。上級者には

玉駒が複数有るので、両取りが生じ易かったり、相手陣に、
押し戻しても象/相は、玉駒の資格が消失するという、この
ゲーム特有のルールを楽しんだり、太子駒を打つ際の打ち所
や、タイミングの面白さを、多少楽しんで貰えれば、それで
良い

といった所だろうか。
 蛇足だが、相/象のルールを大きく変えてしまったので、
このゲームは、朝鮮チャンギから出発したとしても、大差が
無いように思える。特に兵のルール差や、象/馬の入替えルー
ルの有無は、攻守バランスに大きな影響は、たぶん及ぼさな
い。ただしチャンギの包が、空升目へ跳べるために、中国シャ
ンチーの砲より、持ち駒ルールの場合はだいぶん強力だ。
だから、攻守のバランスがとりやすいという意味では、
持ち駒化の出発ゲームを、中国シャンチーにした方が、
朝鮮チャンギにするよりも、ゲームデザインが、少し楽な気
がする。
 何れにしても、中将棋は、たまたま材料が思いつかなかっ
たが、チェスやシャンチーについては、持ち駒ルール化のた
めの、アイディアに気がつく事自体には、さほど苦労は無い
ようだと考える。(2019/01/27)

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獅子駒の動きを変化させる獅子に関する特別な規則はなぜ無い(長さん)

前に、先獅子の規則と、足または繋ぎ駒という語が、同時には
出てこない、中将棋の獅子に関する特別な規則の、同等ルール
への変更について述べた。
 やり方は、とにかく獅子の動かし方のルールについて、相手
の獅子を取るときだけ、性能が落ちるとようにした、というも
のであった。
 具体的には、以下の獅子の行き所で、田はいままでと同じだ
が、口の位置で、相手獅子を取る手を禁手にするという、特別
な規則であった。

2.1(自陣奥から数えて、1~6段からの獅子)
口口口口口
田田田田田
田田獅田田(獅子自身の位置にも戻れる。)
田田田田田
口口口口口
2.2(自陣奥から数えて、7~12段からの獅子)
口口口口口
口田田田口
口田獅田口(獅子自身の位置にも戻れる。)
口田田田口
口口口口口

今回は、前回不明としたが、そもそも中将棋が発生してから
長ければ約700年の間、上記のルールの獅子に関する特別な
規則が、記録されていないのは何故なのかを、論題にする。
 結論をいつものように、先に書く。

易学の”九星占い術”が、近世までたいへん強く、中将棋盤を
中央で切るという、ルールが発生し難かったため

であろうと見る。
 では、以上の結論に至る経過ついて、以下に説明する。
 一番簡単なのは通常の、”獅子を取った次の手で、繋ぎ駒で
取り返せるときには・・”という形式の、従来の中将棋の獅子
に関する特別な規則と異なり、具体的にこの変更で、ゲームに
難が生じる事があるという理由が、まず当たり前に考えられる。
 たとえば、この新しい獅子に関する特別な規則では、先手の
獅子は6段目に上がれるが、それに邪魔されて、後手の獅子が
6段目に上がるのは、より難しくなる。
 ただし、通常の中将棋でも、先手は6段目に獅子を上げやす
いが、後手は初期配列から、いきなり6段目には、上げにくい。
ところが、

中将棋には、龍馬、飛車、竪行といった走り駒が歩兵のすぐ下
段に居るため、高延びした獅子に、当たりが付き易く、先手6
段獅子の位取りは、長くは続かない。

 他方、実際に駒を並べてみれば判ると思うのだが、上記のルー
ルの獅子は、6段目に獅子を置いた状態で、左右に動ける点が、
通常の中将棋とは少し違う。しかし、その場合も、

相手の走り駒で狙われる事には、この場合はほとんど差が無い

のである。つまり、

上記のルールに難が有る局面を、具体的に作り出すのは難しい

という事である。

だから、このルールでは、

ゲームに難が有るから、このような形式の、
獅子に関する特別な規則が、出来なかったとは考えにくい

という事が、ざっとだが、調べてみると判る。
 だから知っていても、このようなルールにする別の難が有る
と考えた方が、尤もらしい事が判る。
 そこで、通常の獅子に関する特別な規則と、今回本ブログの
管理人が考えた、獅子に関する特別な規則との違いは、

中央のラインが、獅子の動かし方ルールの変わり目を決める
境界線に、本ブログの新ルールの場合だけがなっている

という点に有ると、考えられた。つまり、”6段目まで同じで、
7段目から変わる”という形式のルールは、少なくとも中世の
中将棋の棋士には、導入が好まれなかったという事だろう。
 その理由としては、本ブログで既に述べたように”中将棋の
12升目は、4升目づつ分けて、全体を9つの領域にする、中
国易学の9星占いに因む”との論の影響が強いためである。
つまり、

中将棋の盤の真ん中に、なんらかの印を付ける必要の有る、
本ブログの形式のルールは、考えた人間が、仮に過去本ブログ
以外に居たとしても、採用されなかった

と見られるという事であろう。
 ちなみに盤の行が偶数で、中央ラインが、何らかの意味で、
駒の動かし方ルールの、変わり目になっているというゲームと
しては、言うまでも無く、シャンチーがある。シャンチーでは、
中央の河を渡ると、歩兵が横に1歩、寄れるようになる。
 だから、中国9星占いが、日本の中世、中将棋を指す上流階
級の間で強かったとしても、シャンチーが流行っていたなら、
本ブログのような、獅子の動かし方変更は、もしかすると、可
能だったのかもしれない。恐らく、南北朝時代から室町時代の
前半については、大陸の象棋類は、中将棋指しの間では、たま
たまだろうが、余り流行らなかったのであろう。
 理由は良く判らないが、ひょっとして、その頃伝来した、
朝鮮広将棋が、普通のシャンチー・チャンギと違い、”出来が
悪い”と日本人貴族等に認識され、それが、大陸のゲームの
評判を一時的に落し、シャンチー式のルールの導入に対して、
ネガティブに働いたのかもしれない。
 何れにしても、その時点で完全に日本文化化した、陰陽道、
易学は、中世の中将棋棋士には、

今では想像もできないほどに、信仰されていた

に違いない。いまでは、宗教施設で宣伝も兼ねて使われている、
占いを散りばめた近世までの”暦”に書かれた、9星占い系の
占いの内容は、中世の将棋棋士にとっては、絶対に信じるべき
情報だったのであろう。
 そのため、

中将棋盤のニ分割化は考えられなかった。

 その影響で、中央で獅子の動きのルールを変えても、獅子の
互い取りを少なくする事はできたのだろうが。実際に残ったの
は現行の”次に相手の駒で取り返せる、互い取りが発生する、
局面のときには、獅子を獅子で取るのは禁止というルール”
だけだったのかもしれないと、思われる。逆に言うと”現在に
残る獅子に関する特別な規則は、その内容が、中世の日本人の
文化思想を、濃く残しているという点で、重要に歴史情報を
含んだものであると、考えられる”と言う事になるのだろう。
(2019/01/26)

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中将棋の獅子に関する特別な規則を繋駒の語が無い形に変えた(長さん)

前に述べたように、獅子に関する特別な規則には、合否判断が
難しくなるケースがある。一番簡単な例は、先獅子の規則が
ありながら、繋ぎ駒とか足と言った用語で、合否を決めている
ので、繋ぎ駒とか足とかのルールに該当する駒で、獅子を返し
取りする獅子を討つ絡みの手を指すときに、何処までの範囲で、
先獅子の規則が適用されるのかが、線引きがはっきりしない点
を突く方法である。
 そこで今回は、獅子に関する特別な規則は悪い規則と決め付
けた上で形を変えて、

中将棋がつまらなくならない範囲で、同じような別の規則の
中将棋で、普通の中将棋と同じように指せないのか

を検討してみた。
 答えを先に書く。
1.先獅子の規則は、相次いで獅子を取るときには、例外なく
適用されるとし、繋ぎ駒とか足とかいう用語が、ルールブック
に、先獅子の規則に関して全く現われないようにした。
2.自陣より6段目を境に、獅子の動きのルールを変える。
2.0 獅子以外の、通常の駒を取る場合は、今と全く同じ、
    24升目の中の相手駒が、場合により2枚まで取れる。
2.1 自陣の最奥から6段目までは、獅子の場合だけ、相手
    の獅子は最前列と最後列の10升目では、いつも取れ
    ないとする。中間3列の、合計14升目であれば、そ
    の中に有る相手獅子が、通常の獅子のルールで、足の
    ある獅子等の禁手は全く無しに、元々の獅子の動きの
    ルールで、味方の獅子で取れる。
2.2 相手陣に近い、下から数えて7段目から12段までの、
   6段の中では、隣接8升目の中に入った、相手獅子しか
    獅子についてだけ、いつも取れないものとする。その
    他の点については、2.1の場合と様子が一緒である。
つまり、2.1と2.2は、図に書くと、次のようになり、獅
子同士は、攻めるよりは、守りがわずかに強くなる。
2.1(自陣奥から数えて、1~6段)
口口口口口
田田田田田
田田獅田田(もともと2歩動け獅子自身の位置にも戻れる。)
田田田田田
口口口口口
2.2(自陣奥から数えて、7~12段)
口口口口口
口田田田口
口田獅田口(もともと2歩動け獅子自身の位置にも戻れる。)
口田田田口
口口口口口

口:行けるところ。通常の相手駒なら取れる所。田の位置の
  獅子が邪魔なら、跳んで行っても良いが、返しで取られる。
 なお、踊り型の2歩動きである事には、なんらの変化もない。
田:行けるが、ここに居る相手駒が獅子の場合にだけ取れない。
 なお、踊り型の2歩動きである事には、なんらの変化もない。

 先獅子の規則が強くなったので、獅子を取られる手は、指す
と、この中将棋では、とても不利である。
 実際にこれで一局さしてみた例で、獅子同士が互いに、すり
抜けて、相手陣まで進んだ局面を以下に示す。

特別則変更中.gif

なお、この局面は既に終盤で、この後、写真のように先手が、
▲8五角鷹と寄り、以下△10十二角鷹(先に王手)▲6十一
玉将△6八獅子とした後、▲10三奔王の守り”奔王を出す手”が
この場合には失着で、後手が勝った。結果から見ると、

相手獅子は、獅子を繰り出すのに、通常の中将棋よりも、すこ
し邪魔な感じはする。が、獅子しか、駒が無い訳ではないので、
大きな問題は、1~2局指したくらいで、簡単に判る程度に、
出るようには、とても思えない

という結果だった。
 むろんこの変更でも、獅子に関する、上記のような、別の特
別な規則については、ルール上の問題は出ないと、今の所完全
には保障は出来ない。しかしながら、

取り返される場合はその手が指せない

という形式に、中将棋の獅子に関する特別な規則のルールブッ
ク形式が、それほどまでにコダワる理由が、本当にあるのだろ
うかと、私が今回、疑念を抱き始めた事だけは、確かである。
 なお鎌倉時代末期又は南北朝時代に、神奈川県鎌倉市御成町
の、今小路西御成小学校遺跡ゲームセンターで、獅子に関する
特別な規則の問題からと見られる、刃傷沙汰が、気の荒い鎌倉
武士同士で発生したと、よみがえる中世3武士の都鎌倉にある、
今小路西鎌倉市福祉センター遺跡出土中将棋木札の記載から見
て推定される。木札は鎌倉市役所から紛失した事もあり、正体
の正確な解明が難航している。が、上記のような類の対応をせ
ずに、獅子に関する特別な規則と獅子駒の使用を停止して、
狛犬駒の使用に変えるという選択を、ゲームセンターの鎌倉時
代末期または、南北朝時代の当時の管理人が、したと見られる
理由は今の所謎である。この点について、次回以降に考えたい。
 蛇足だが、獅子に関する特別な規則を、テスト試合で4項目
のうち項目により、一部を制限したという例は聞くが、大幅に
改善するという動きがあると言う話は、少なくとも、第二次世
界大戦から今までの間について、歴史的には恐らく全く無く、
先行研究例を指摘するのは困難とみられる。(2019/01/25)

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酔象が朝倉小将棋等、今の七方動きになったのは何時からか(長さん)

あくまで本ブログの仮説だが、酔象は平安時代の西暦1110年
頃に、一旦原始平安小将棋から消えた後、西暦1250年頃に、
鎌倉時代の親王将軍の頃に、プレ普通唱導集大将棋で復活したと
見られている。その当時の動きは、

シャンチーの象/相と同じ

とみる。根拠は普通唱導集の大将棋の第2節が、チャンギと
シャンチーの戦法と類似で、日元貿易等により、大陸のゲーム
情報の、日本の将棋デザイナーへの、伝来があったと推定される
からである。
 ただし、現在の酔象は、良く知られた、後退できない隣接升目
7方向動きであるし、中将棋が成立し、その中に含まれていた
酔象は、現在の動きとみられる。理由は、最下段の副将であるか
ら、玉将類似の動きが、相応しいからである。そこで、今回は、

酔象が今の動きになったのは、南北朝時代、西暦1350年頃の、
中将棋の成立と同一なのか、それより前なのか

とする。
 回答を先に書く。

普通唱導集時代の末期、鳳凰の斜め動きが、制限走りから跳びに
変わった、西暦1350年よりも少し前であり、中将棋の成立よ
りも、やや早い

とみる。
 では、以下に説明を加える。
 根拠となる史料は、安土桃山時代の水無瀬兼成の将棋纂図部類
抄しか、今の所無いと見られる。
 なお、さいきん本ブログによっても確認された、
神奈川県鎌倉市御成の今小路西鎌倉市福祉センター遺跡中将棋
木札に、酔象の言及が無いのは、一応そのためともとれる。
 しかも、水無瀬兼成の将棋纂図部類抄で該当するのは、

水無瀬が猛牛を踊り駒と見ているらしい、驢馬に関するルールと、
”鳳凰の斜め動きは跳びであり、飛龍とは違う”という主張、
そして、麒麟の前後左右跳びについては、全く言及していない

という点、以上の事実だけである。なお、麒麟に言及していない
のは、水無瀬が有る程度、普通唱導集時代の大将棋の駒の、動か
し方のルールに関する、”麒麟は元々踊り駒”という記憶の、
痕跡を残している証拠と、本ブログでは見る。
 そこでこれがどうして、酔象のルールの歴史と結び付くかだが。
本ブログが、

シャンチー型の動きだった酔象の斜め動きと、鳳凰の斜め動きは、
普通唱導集大将棋では、何時の時代も同じに推移した

と、仮定している事から来ている。つまり、”鳳凰の斜め動きは
跳びであり、飛龍とは違う”という主張は、”酔象の斜め動きは
跳びであり、飛龍とは違う”という主張と、鎌倉時代まで遡ると
ほぼ同じと、見なしてよいのではないかとの考えを、出発点にし
ているのである。
 そこで、次に重要な推定仮説は、

シャンチーの塞馬脚や塞象眼は、チャトランガが直線的に日本に
伝来したために、桂馬の動きのルールに、取り入れられた事が、
ほぼ無かった

という点である。これは、普通唱導集大将棋第2節の右桂馬が、
もし塞馬脚があるとすれば、右仲人を支えるように跳ぶのに、
飛龍が邪魔なはずなのに、実際には堅行の元位置に跳んでいる事
から確定できる。
 つまり、

シャンチーの象のルールを酔象に充てると、日本流の桂馬のルー
ルと、明らかにチグハグになる

のである。そのため、普通唱導集大将棋の時代の最末期、西暦
1350年より少し前頃に、この点が問題になっただろうとは
想像できるように思われる。

ところで、本ブログによれば、それまでの普通唱導集大将棋の、
2段目2升目行き駒のルールは、次のようになっていたと見て
いる。

麒麟:猛虎の2回動き、1回目で止まれる。自駒跳び越せず。
2歩目90度屈曲。
酔象:シャンチーの相/象。塞象眼有り。
鳳凰:シャンチーの相/象。塞象眼有り。これに加えて嗔猪動き。
猛牛:酔象の斜めを前後左右に交換。塞象眼有り。
飛龍:角行の走りだが、1升目では止まれない。塞象眼有り。

 なお、飛龍のルールは、二中歴の大将棋ルールの、飛龍の駒の
動かし方ルールで、”超越”を、”(一説に)遠くへ行く事”と、
稀に大型の漢和辞典や大型の国語辞典に出ている、古い用法だと
本ブログで解釈し、鎌倉時代にはその意味に取られていたと見た、
本ブログ独自の仮説である。

このように仮定しないと、以下の議論は、成り立たないのだが。

 ルールは以上のようだとして、恐らく、西暦1350年の少し
前に、駒の動かし方について、人間の頭数が少なくなった大将棋
の棋士たちが議論したのは、

塞象眼ルールは無くして、全部、桂馬流の跳びで統一しよう

という事だったのではないか。
 そうすると重要になるのは、特に飛龍のルールであり、

角行の走りだが、1升目に自駒が居ても跳び越せ、そこでは止まれ
ないが、更に向こうに走るという、ルールになってしまう

という事だったに違いない。そこで、
飛龍は、2升目先で停止させ、無限走り駒から、2升目跳駒に変え
ようと言う事になり、

飛龍のルールが角行類似で無くなったのも、西暦1350年より、
少し前と見られる。

だが、今度はそうすると、

酔象のルールと、同じになってしまった

のだろう。水無瀬兼成の”記憶の痕跡”では、鳳凰と飛龍の斜め
動きの話に、あいまい化してしまったのだが。ほんとうは、

旧酔象の動きと、飛龍の動きが、完全に同じになる事

だったのではないか。つまり、塞象眼を止め、跳び型に仮に変える
と、次のようになるからだ。

麒麟:前後左右跳び。塞象眼無し。これに加えて斜め猛虎。
酔象:斜め跳び。塞象眼無し。
鳳凰:斜め跳び。塞象眼無し。塞象眼無し。これに加えて嗔猪動き。
猛牛:前後左右跳び。塞象眼無し。
飛龍:斜め跳び。塞象眼無し。

なお、麒麟と鳳凰は一対だったので、同時かどうかは謎だが、動き
のルールを、この頃、同一形式に直したに違いない。しかしながら。
一時期こうしたのかもしれないが。酔象と飛龍のルールが、全く同
じになってしまうのが、棋士の間で、気になったのだろう。

 後ろの升目に、玉将が居る事もあり、太子に近い動きの、後退で
きない隣接七方動きの、今の酔象の動きに、たまたま最末期の
普通唱導集大将棋の時代に、酔象を変えたのではなかろうか。

 当然、この変更は、中将棋で、玉将と酔象を並べるのには、都合
が良かったし、少し後に、猛虎を盲虎に変える口実の一つにもなっ
たのだろう。なお、麒麟には最初から獅子に成るという性質があり、
獅子のルールは、発生当初から、旧麒麟の動きの、猛虎→玉将変換
であって、以下の一番下の形と見られる。

麒麟:前後左右跳び。塞象眼無し。これに加えて斜め猛虎。
酔象:隣接升目へ行くが、後ろへ後退でき無い。小駒。
鳳凰:斜め跳び。塞象眼無し。塞象眼無し。これに加えて嗔猪動き。
猛牛:前後左右跳び。塞象眼無し。
飛龍:斜め跳び。塞象眼無し。
獅子:玉将の2回動き、1回目で止まれる。自駒跳び越せず。

なお、安土桃山時代の水無瀬兼成の将棋纂図部類抄では、
麒麟が、”前後左右跳び。塞象眼無し。これに加えて斜め猛虎。”
の前が、”猛虎の2回動き、1回目で止まれる。自駒跳び越せず。
2歩目90度屈曲。”という、踊りの動きに近いルールから、来て
いるという歴史的事実が、たぶん記憶に有り、それが影響したのだ
ろう。一対の位置に”後期大将棋”で、入れ替えられたこともあり、
猛牛と飛龍、それに獅子のルールが、水無瀬の将棋纂図部類抄では、
踊り動きに、すこし後の鎌倉時代末期に、再度変更になった事を、
安土桃山時代後期に、麒麟についてはダンマリを決め込むという
事実と共に、痕跡として残していると見られる。つまりまもなく、
以下のようになった。

麒麟:前後左右跳び。塞象眼無し。これに加えて斜めに歩む。
酔象:隣接升目へ行くが、後ろへ後退でき無い。小駒。
鳳凰:斜め跳び。塞象眼無し。塞象眼無し。これに加えて前後左右
歩む。
猛牛:前後左右2升先踊り。隣接升目に行け無い。
飛龍:斜め2升先踊り。隣接升目に行け無い。
獅子:玉将の2回動き、1回目で止まれる。自駒も跳び越せる。
相手駒を中途取り自由。(隣接升目へも行ける、不正行度の踊り)

神奈川県鎌倉市御成の今小路西鎌倉市福祉センター遺跡中将棋木札
のルールは、狛犬・白犬も獅子型踊りの上記の時点程度のものであろう。
 更に本ブログの、西暦2017年型普通唱導集大将棋のケースも
以下に書く。

麒麟:前後左右跳び。塞象眼無し。これに加えて斜めに歩む。
酔象:隣接升目へ行くが、後ろへ後退でき無い。小駒。
鳳凰:斜め跳び。塞象眼無し。塞象眼無し。これに加えて前後左右
歩む。
猛牛:前後左右2升先踊り。隣接升目にも行ける。
飛龍:斜め2升先踊り。隣接升目にも行ける。
獅子:玉将の2回動き、1回目で止まれる。自駒も跳び越せる。
相手駒を中途取り自由。(隣接升目へも行ける、不正行度の踊り)

 現代流では、wikipediaで、隣接升目への猛牛・飛龍行
きが広報された事、及び猛牛が2017年型の普通唱導集大将棋(
本ブログ版)の初期配列で、同じく初期配列の飛龍の地点で止まれ
るように、踊りを金剛力士型から、狛犬型に本ブログが変更した。
 つまり、元に戻ると、

中将棋の成立で、酔象が変わったのではなくて、最末期の普通唱導
集の大将棋の時代に、麒麟・鳳凰の動きを整備したり、桂馬と動き
のルールが、同類になるように調整したときに、酔象は今の動きに
変わった

のではないか。水無瀬兼成の、鳳凰と飛龍とのルール比較に関する、
”怪しげな書き方”から察して、以上のように、本ブログでは考え
る。京都の上久世遺跡の出土駒が、本当に酔象なのかどうかは、さ
いきんでははっきりしなくなったが。仮にこの駒が酔象だとしたら、
その動きが、今の酔象の動きになった、最古級の駒に違いないと
本ブログでは考る。京都市の上久世将棋駒情報のさいきんの希薄化
は、誠に残念な事態だと思う。(2019/01/24)

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天竺大将棋の最前列はなぜ”犬”か(長さん)

良く知られているように、日本将棋より駒数の多い日本将棋の
最前列には、”でっぱり”がある。そのうち、平安大将棋、
中将棋、後期大将棋、摩訶大大将棋、泰将棋、大局将棋につい
ては注人か仲人が有るため、歩兵の段のもう一段上に、1~2
枚ないし、それ以上の仲人駒が有るため、そうなっているので
ある。でっぱりは、日本で使われた戦陣マークに合わせる為と、
本ブログでは前に説明した。
 他方、犬系の駒が、最前列に並ぶ将棋もある。大大将棋が
代表で、天竺大将棋と大局将棋の最前列にも、犬駒がある。
このうち、大大将棋の成立が、戦国時代末期頃であり、近世に
成立がヅレ込むのではないかと疑われる、天竺大将棋と
大局将棋よりは早い。後2者は、大大将棋の例に倣ったと、
推定される。
 ただし、仲人、犬の両方がある大局将棋は別として、

天竺大将棋には、これが仲人を最前列駒とする中将棋の拡張と
みられるために中将棋では無くて、大大将棋に習った理由が謎

という問題が残る。今回は、この天竺大将棋が中将棋に習った
将棋のように、いっけんして見えるにも係わらず、最前列が、
仲人で無い理由を、論題とする。
 回答を先に書く。

角鷹および飛鷲を、天竺大将棋では最前列にもってきており、
かつ、これらを前方跳びまたは踊り駒としたため、鷹狩りと
犬追いを対に見立てて仲人を、犬に変えたと考えられる。

では、以上につき説明する。
 そもそも、大大将棋で最前列を畸(奇)犬にしているのは、

武家の犬追い遊戯に因んだもの

だと考えられる。武家が頻繁にする遊びなので、歩兵駒の前に
犬を置いて、将棋が武家の遊びという雰囲気を、かもし出すた
めのものだろう。
 ただし、中世には争議で、中世幕府の管轄の調停者が、絡む
という習慣のイメージが強かったので、仲人が普通だったのだ
ろう。中将棋と後期大将棋、摩訶大大将棋の最前列駒が、仲人
なのは、そのためだとみられる。泰将棋は水無瀬兼成の作であ
り、水無瀬は中将棋・平安大将棋を重く見ていたから、泰将棋
では仲人の方を取り、畸(奇)犬は、端列に移動させたと見ら
れる。
 それに対して、天竺大将棋の作者は、角鷹と飛鷲を元駒とし、
歩兵のすぐ下の段に置いた。そのため、

角鷹、飛鷲はジャンプするので、直ぐに歩兵前に出られた。

恐らくだが、誰かに、武家の鷹狩りの雰囲気が良く出ていると、
デザイナーは、褒められたのだろう。そこで、悪乗りして、

犬追いのイメージの出る、大大将棋の前列パターンを選択した

のだと私は思う。なお、大局将棋も、おなじ性質があり、天竺
大将棋成立期に近いため、大橋家関係者だとみられる、大局将
棋の作者は、経緯を知っていて、大局将棋の最前列には、仲人
だけでなくて、犬をも置いたのだと思う。なお、厳密に言うと、
大局将棋では、角鷹は直ぐに出られるが、犬と仲人が、飛鷲の
前出しの邪魔である。また、角鷹・飛鷲が走る上に、大鷹・
大鷲という、制限のない無限跳び越駒に成るので、玉駒が2つ
有っても、初期陣に隙間のない大局将棋では、指し始めから
局面は、おおいに緊迫した状態である。
 また、そもそも犬の使い始に少なくとも近い、大大将棋で
仲人を止めたのは、新しい駒名が多い、書道の手本としても使
える将棋を作ろうとした、大大将棋のデザイナーの特別な事情・
意図もあろうかとみられる。
 以上のような経緯と、仲人の役割が、合戦が無くなった近世
には、はっきりしなくなったのが主な原因で、犬追いの犬が、
その地位に、進出して来たのだろう。
 つまり、天竺大将棋は近世に近くなってできたのと、たまた
ま、中将棋の成りにしかなかった、角鷹・飛鷲を、歩兵下列に
置いたために、デザインされてまもなく、最前列が仲人から、
犬に変わったのだと、私は考えるのである。(2019/01/23)

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クレイジーチェス(ハウス)の一種を本ブログも試作してみる(長さん)

前に、中将棋の持ち駒将棋化は、獅子に関する特別な規則の有る、
獅子の攻撃力が強すぎて攻守バランスが取りにくい事、後期大将棋
の持ち駒将棋化は、袖の小駒の駒余りのために、やはり良いゲーム
を作るのは困難であると述べた。
 以上の印象からだと、既存の取り捨て将棋型ゲームには何か、
持ち駒ゲーム化に、難が有るというように見えるかもしれない。
そこで、今回はクレイジーチェスの存在で有名な、西洋チェスを、
持ち駒ルールにしてみて、以上の疑念を晴らす事にした。
 なお、不完全な情報により、クレイジーチェスは、単なる従来の
チェスへの、持ち駒ルールの導入と聞いている。たぶん、そうする
と、攻撃力が防御力に対して強くなりすぎて、ゲームとしては全然
駄目なのは明らかだ。そこでここでは、そのような先行例が、ある
事は有るとして、実際の対局の様子の紹介は、特に控えることにし
よう。
 下の写真を、最初に見た方は判ってしまったかもしれないが、
1.個別の駒の成りのルールを、日本の将棋並みに複雑にする事
2.持ち駒ルールの将棋は、敵味方が駒の色で区別されておらず、
 駒の向きで、それを示した方が使いやすいため、

以上の1と2の理由から、日本の将棋駒をチェス盤に置いてテスト

している。
 結論から述べると、

中将棋や後期大将棋と異なり、西洋チェスには、持ち駒ルール化
する旨い手が有り、大成功

だった。タネも最初から明かしてしまおう。

クイーン・ビショップ・ナイト・ルークという名の元駒を、それら
の成りの駒、に事実上移行させてしまい、それらの駒の動かし方の
ルールを成り駒とするような、元駒を初期配列にもってきて、元駒
の性能を大きく減少させ、持ち駒ルールの導入による、攻撃力の大
きな増加を、打ち消してしまうという方法

があるのである。なお、そうすると本物のチェスと違って、ポーン
以外にも成るので、日本将棋の駒で代用した方が、いっそう便利に
なる。ともあれ。
 駒の動かし方のルールを、具体的に示した方が判り易いだろう。

キングは、玉将と同じだから、そのままとして。
クイーンは、奔王の動きであるから、奔王に成る鳳凰に置き換える。
ビショップは角行の動きであるから、角行に成る猛豹に置き換える。
ナイトは八方桂で苦しいが、和将棋・大局将棋の天馬の動きを、
八方桂に変えた上で対応させ、天馬に成ると称する、風馬と、
元駒ナイトを置き換える。
ルークは飛車の動きであるから、大局将棋の飛燕が飛車、和将棋の
燕羽が燕行に成るのに対応している。また、後者のケースは、飛車
と通称してしまいそうだが、正式な成り名は、燕行に直す必要があ
る。ただし燕行の名は馴染みが薄いという理由で、以下の説明では、
燕行を飛車で代用する事がある。なお写真で飛燕の動きを、本当は
羊兵であるが、今回は横行と、うっかり、勘違いしてこっちを使っ
てしまった。そのため、間違った横行動きの元駒を”飛燕”、成り
を”飛車”とした。写真も間違えているので、本当は”飛燕”では
なくて和将棋・大局将棋の”燕羽”が正しい。
ポーンは、2段目からの2歩動きは止め、ほかの点は西洋チェスの
ままにして、本当は犬兵という名前にする予定である。写真では、
指すとき、間違えないように注意しながら、歩兵のままにしている。
なお、初手2歩動きは無いので、経過捕獲は無しにした。クレイジー
チェス(ハウス)の、ポーン打ちルールと動きのルールは、犬(兵)
の名からは、想定し辛い”過重な複雑化”と、日本将棋の方が慣れ
た私は、個人的に、テスト段階では見た為である。また”底犬”も
打てないと、余り面白く無いとみた。すなわち”猛豹斜め下の底犬
は、岩より堅し”という格言は、無いより有った方が、面白いので
はないのだろうか。また犬兵の成りは、犬の成りが雑将(ぞうしょ
う)のため、金将ではなくて、そちらに変えた。ルールは、複雑な
ため、風馬といっしょに、後でまとめて書く。

以上の事から、初期配列は、以下の写真のようになる。手前が元駒
で、向こう側が成りである。なお、西洋チェスは、日本将棋と異な
り、点対称ではなくて、線対称に配列する。(後で写真を見たら、
誤って手前が後手、向こう側が白番先手になってしまっていた。)

クレージチェス.gif

つまり、こうすると、標準的なクレイジーチェス(ハウス)と違い

駒の性能が、全体として大きく減少するので、攻守のバランスが、
完全に取れる

のである。特に横行動きの、燕羽(飛燕と写真では表記)の、守り
の力が大きい。
 こうした上で、今回は、

最奥の段で、日本将棋と同様に成るという成りのルールを導入

すると同時に、打ち歩詰めと、行き所の無い地点での駒打ちを禁手
として、

日本将棋流の、強い持ち駒ルール(二歩またはニ犬は禁手にしなかっ
たので、更に強い)

を、クレイジーチェスの類として当然ながらそのまま導入してみた。
 なお、西洋チェスでおなじみの、
キャスリングは、玉将と燕羽(写真では飛燕と表記)の間で、同一
ルールで出来るとした。持ち駒チェスでは、囲いの中に簡単に移動
出来るようになる効果の事なので、通常のチェスよりも、
キャスリングが出来る影響は、更に大きい。
 スチールメイトは、持ち駒ルールなので、起こらないと見られる。
引き分けのままにした。

ところで、以上の説明では、風馬と、この将棋での雑将のルールの
説明が抜けている。

風馬は、大局将棋の風馬のルールと類似の、前走り、斜め前歩み、
後ろは隣升目へも移動でき、かつ今回は、1升目置いて向こうへも
跳べる”跳び越え駒”とした。
雑将は、前後は反車の動きだが、反車と異なり、相手の駒は取れず
に、移動できるだけ。斜め前は奔石のように走るが、相手の駒を取
るときだけ、動けるとした。後ろへ相手駒を取らない移動が出来る、
走るポーンとしている。この動きは、大局将棋の雑将の前後と斜め
前の4方向走りルールと、一応近似している。成ってクイーン化
するポーンは、持ち駒ルール化すると、明らかに攻撃力が、強くな
りすぎるので、このように調整した。

 以上のルールで、このクレージーチェスを一局指すと、以下の
終局状態になった。

クレージ終局.gif

 向こう側の先手(白)が逃げ間違えて、この局については詰んで
負けた。

 攻守バランスに関する結果をみると、

守備力が、ポーン打ち数ルールに制限が無い分、やや過多

だった。

一列に2つは無論、3つ以上でも犬兵が並ぶように指しても良いが、

持ち駒の犬兵を打つ、犬打ちのときだけ、三枚以上自分の側につい
て縦並びになるケースは打てない

特別な”三犬打ち”を禁手にすると、明らかにこのゲームは、攻守の
バランスがちょうど良い

事が判った。
 つまり、

西洋チェスに関しては、個別の駒の動かし方ルールが、元々強化さ
れるように進化したと、誰の目にも明らかなので、それを後戻りに
弱体化した上で、持ち駒ルールを導入する口実が、自明に存在する。

そのため、

持ち駒ルールの有るチェスは、作る事がさほど困難ではない

という事である。少なくとも中将棋で、持ち駒ルール版を作れない
のは、

獅子が強いが、たまたま攻撃力を相対的に守備に対して弱くする、
具体的口実が、簡単には見つからないため

だけだとみられる。(2019/01/22)

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