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西暦1480年代成立。温故知新書に象戯は何故無い(長さん)

前に塵袋等、中世鎌倉時代の辞書について触れた。
塵袋は色葉字類抄型ではなく百科辞典だが、漢字
の書き方辞典の類は、室町時代と戦国時代にも、
作成されている。室町時代のは表題に有るように、
たとえば温故知新書が有るし、戦国時代の西暦
1530年代成立のものとしては、進歩色葉集が
ある。象戯の字が出てくるのは、西暦1160年
代程度に完全成立の、色葉字類抄(二巻物)が初
出だから、象戯が、将棊等に字が代わる事が有っ
ても、前記の室町時代と戦国時代の、漢字の書き
方辞典には、何れも載っていそうな字である。
 しかし、実際には、室町時代の西暦1480年
程度に成立した、温故知新書に象戯は無いようで
ある。そこで、今回は、

その理由

を論題とする。回答から先に書く。
朝廷権力が衰微したため、将棋に”後代に教育し
なければならないナショナルゲームとしての性格”
が、この頃戦乱の為に衰退した。他方、名人と言
えるような、人物の出現には100年近く早く、
中将棋等にはエンターティナー性もまだ無かった。
だから熱心な貴族により、指され続けたが、所詮

娯楽であり、象戯を後代に教育する必要性が無い

と考えられた。だから、ある程度公教育的な位置
づけも、当時から有ったとみられる、温故知新書
等に、将棋類の字が見えなくなったと考えられる。
 では、以下に説明を加える。
 10世紀の和名類聚抄に、象戯等が無いのが、
良く議論される。が、そのパターンと大きく違う
のは、

貴族の日記に、15世紀には多数の将棋の記録が
有る

という点である。現時点で、従って日本で、

15世紀に将棋類が、一旦廃れたという説は皆無

と、本ブログでも認識する。
 次に、16世紀の漢字書き方辞典である、進歩
色葉集には、将棋は載っている。

進歩色葉集.gif

そればかりか、ヒの項目に、飛車、飛龍、飛鷲と
繋がっている部分があって、

進歩字類抄2.gif

後期大将棋について知識があると同時に、
西暦1530年代に中将棋が盛んであったらしい
事も示唆されている。将棋存在の中間時代の有力
な漢字書き方辞典で、それが

無いのは温故知新書だけ

なのである。なお温故知新書には、博ばくや囲碁
が有るようだが、双六らしき字は見当たらない。
 西暦1480年代には応仁の乱以降、朝廷や貴
族が衰微して、ナショナルイメージのゲームが、
国家すなわち、ナショナル自体が傾いたために、

アナーキー社会での娯楽

に変貌したと考えられるのではないかとみられる。
西暦1530年頃の後奈良天皇が、裕福だったと
いう話は聞かないが、実際には1480年頃が、
国家の統一性という点での日本の、ドン底の時代
だったのではなかろうか。そのため、重大な字は
教育したが、命や心の拠り所となる、仏教関係に
関連する字以外の、

双六と将棋という字は、後代に伝来させるという
空気が低下

したのかもしれないと思う。そのため、賭博とい
う意味の、禁止用語の中のカテゴリーに、それら
は一くくりされて、標準的な辞書から、将棋等が、
一時的に消えたのではないかと私は疑う。ただし
囲碁はこのころ、水墨画のような絵画の題材にも
されたので、15世紀後半の辞書にも、有るのか
もしれない。
 しかし、中将棋や朝倉小将棋等の初期の将棋に、
賭博性も有る程度あったので、熱心な将棋棋士は、
幸い途切れなかったのだろう。盤双六も江戸時代
までは、もっていたようだ。
 逆に言うと”(1)天皇の持ち物にも将棋具が
ある”という情報か”(2)日本一の将棋指しが、
何処そこに居て、将軍様も注目している”といっ
た情報か、どちらかの話が、社会に重大と受け取
られる形で存在するか否かが、

社会全体として、将棋等のゲームを百年単位で、
伝承させるのには、結構重要らしい

と、結論する事ができるのだろう。つまり、応仁
の乱の西暦1460年代から西暦1530年まで
の約70年は、それ以上の時間の長さで、

日本将棋という、性能の良いゲームが現われ、
かつ将棋指しで強い人間が、大坂等から出て来な
いと危険な時間の長さだった。

以上のように、結論できるのかもしれないと思わ
れるのである。(2019/05/11)

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