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後期大将棋は”仲人嗔猪が腹を合せ悪狼昇て支え得”る(長さん)

本ブログでは、仲人が6段配置の15升目後期大将棋
では、3筋違う桂馬を2回内側に登らせても、味方の
仲人とは噛み合わず、繋ぎ駒にならないので、
普通唱導集第2節の唱導唄と、合うような指し方が、
不能との見方をとってきた。しかし最近、
6段仲人型配列の後期大将棋では、唱導唄の第2節の
歌詞が作れないのではなくて、

登らせるのが桂馬ではなくて、右悪狼にすれば良い

のに気がついた。今回は、以上の内容について述べる。
 以前述べた、角角奔王馬馬型の攻め陣形で”仲人と
嗔猪が腹を合わせ”た後に、悪狼を斜め外側に2歩進
ませ、

嗔猪の後ろに右の悪狼を、昇せた配置を以下に示す。

後期大将棋悪狼守.gif

実際にこの後、互いに相手の右仲人~横行~猛牛~
反車ラインを攻め合いさせても、両者共に、端は
麒麟が成りこむ形までは、崩れない。ので両陣共に、

この防御方法でも、受かっている。

他にも陣内で、嗔猪を端に寄らせて、横行を逃がして
置くような、守り陣形もあるのかもしれないが。何れ
にしても、後期大将棋の陣の守り方を、普通唱導集型
に敢えて合わせても、どちらでも良さそうだ。よって、
後期大将棋では”桂馬を登らす手が不明”と表現する
よりも、むしろ

昇せるのが桂馬ではなくて、右悪狼では何故いけな
かったのかを問題にした方が、話としては判りやすい

という結果になった。ようするに、

普通唱導集大将棋に、悪狼という駒が無い疑いが濃い

という事である。
今後はこのような主張も、合わせて本ブログでは取り
たいと考える。(2019/07/21)

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奔王8九攻撃での2017年普通唱導集大将棋(長さん)

以前に述べた通り、普通唱導集大将棋の第1節の、
省略し唄われて居無い前段に、神奈川県鎌倉市の、
JR鎌倉駅構内の遺跡で発掘された、木片の文字
が対応するとも疑われる。すなわち角行×2+
奔王+龍馬×2の斜め走り駒5枚による、右仲人~
反車の”搦め取り攻撃”があったと予想される。
 このうち、奔王は初期位置4段目中央から、
1段上げて、5段目中央にしてから、右前に斜め
に一歩上げ、自陣右角行と相手陣右仲人のライン
に、乗せたようだという事だった。駒の構成が同
じなら、4枚攻撃と奔王入り5枚攻撃とでは、結
果は同じだったと、漠然と記憶はするのだが、
正確に”角角馬馬攻撃”の実体が、確定しなかっ
たときの普通唱導集大将棋の改良を試みたときの
認識だった。そこで、

2017年モデルでは”仲人嗔猪が腹を合わせ、
桂馬を登せ”なくとも、5枚攻撃が、ほぼ無理筋
である事

を、もう一度、よりはっきりと確かめる事にした。
 西暦1290時点の普通唱導集大将棋での、
神奈川県鎌倉市の、JR鎌倉駅構内の遺跡で発掘
された木片型の、角角奔王馬馬仲人・・搦め攻撃
の陣形は、再掲すると以下の通りである。

普通唱導集奔王加.gif

上図で、西暦1290年型を西暦2017年型に
直すには、横行、飛龍、嗔猪、猛牛を、この順で
飛龍、猛牛、方行、横行に直せば良い。ので、”
角角奔王馬馬仲人・・搦め攻撃”で、奔王が一歩
前進型の陣形は、2017年型普通唱導集大将棋
では、以下のようになる。

普通唱導集17王加.gif

これで、相手の右辺の袖が、西暦1290年型と
同様に、崩れる事は無いのかどうかを、確かめる
必要が有るという事である。
回答は、角角奔王馬馬仲人・・を搦め、反車香車
が耳は破れないので、

無理筋である

という事になる。が以下に、もう少し詳しく、確
認時条件を説明する。
 実は、裏表の駒名は、西暦1290年型と西暦
2017年で同じだが、駒の動かし方ルールにつ
いて、少し違う物が有る。2段目からである。
酔象:1290年モデルは中国シャンチーの象。
2017年モデルは、後退できない隣接7方歩み。
猛虎:1290年モデルは、平安大将棋の猛虎。
斜め4方向歩み。
2017年モデルは、中将棋の盲虎と同じく、前
を除いた隣接7方向歩み。
麒麟:1290年モデルは、猫叉2回繰り返し、
自駒跳び越えられない踊り。2017年モデルは、
中将棋の今の麒麟と同じ。
獅子(成り麒麟):1290年モデルは、自駒を
飛び越せない。2017年モデルは、今の獅子。
鳳凰:1290年モデルの斜めは、中国シャンチー
の象で塞象眼有り。2017年モデルは中将棋の
鳳凰。
方行:斜め前に歩める飛車。1290年の嗔猪は、
縦横4方向歩みと仮定。嗔猪も方行も不成り。
猛牛:1290年モデルの縦横は、走りであり、
1歩目に止まれない。また相手駒が間にあると、
その方向へは、進めない。シャンチーの象の斜め
と縦横が逆の動きである。2017年モデルでは、
隣接升目に止まれる、2踊りであり、相手駒の
踊り喰い、跳び越え、踊って越えて2升目先行き
相手駒の2枚取り、跳び先だけ取りが、それぞれ
自由に出来るとした。
飛龍:1290年モデルは、角行の動きで隣接升
目で止まれない。また、相手駒が斜め隣接升目に
あると、その方向へ行けない。2017年モデル
は、西暦2017年モデルの猛牛の、縦横と斜め
が逆の駒。すなわち、2017年モデルでは、
隣接升目に止まれる、2踊りであり、相手駒の
踊り喰い、跳び越え、踊って越えて2升目先行き
相手駒の2枚取り、跳び先だけ取りが、それぞれ
自由に出来るとした。
 このほか、厳密には、成りの条件が、1290
年モデルでは、聖目を超える事による”一発成り”
だが、西暦2017年モデルでは、日本将棋と、
同じ規則にしている。
 西暦1290年モデルの正確なルールは、今の
所曖昧な点が多いが、酔象の復活は、中国からの
シャンチーの象の、末期南宋王朝・鎌倉時代の
再輸入とみなして、このようなルールで、実際に
はチェックしている。なお麒麟は、猛虎の動きの
2回繰り返しというルールを、たまたま思いつい
たというのが、踊りというルールを含めた、麒麟
や獅子の起源に関する、本ブログの従来からの仮
説である。
 以上の条件で”角角奔王馬馬仲人・・を搦めと
り、反車香車で耳を破って、飛車は巻添えで死ぬ
作戦”をテストした結果、”耳は敗れ”ず、成り
麒麟が入ってくる余地は、ほぼ無い事が判った。
 奔王が初期攻撃に加わるかどうかという点が、
これまでは、この将棋でよく判らなかった点であっ
たが、

方行を入れて嗔猪を抜き、横行、飛龍、猛牛を
入れ替える程度の改善で、本ブログの言う、
普通唱導集大将棋(1290年型)は、攻守の
バランスはほぼ取れて2017年型に変わり、
自明の定跡の発生は、奔王の効果を加味しても、
ほぼ解消されている

という事が、だいたいは、確かめられたように思
う。(2019/07/20)

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普通唱導集大将棋。奔王を攻めに加える陣形(長さん)

以前述べたが、普通唱導集の大将棋の唱導唄の
第1節には書いていないが、前段に斜め走り駒
の攻めがまず有ると、本ブログでは見る。普通
唱導集の唱導唄の第2節の”対策”が、端攻め
前の前段の、斜め走り駒の攻めに対する対策と
見ているからである。
 この前段の攻めでは、典型的には2枚の龍馬
と2枚の角行を、13升目型普通唱導集大将棋
(本ブログ推定)の、相手の右辺の仲人~横行~
反車筋に連続して、突進させると見る。
 ところで、神奈川県鎌倉市の鎌倉駅構内から
出土した扇の破片とみられる木片には、この
龍馬、角行計4枚の斜め端攻めに加えて、

奔王を加えた5枚攻めが、示唆されている

可能性がある。奔王は八方動きなので、龍馬と
同様、筋変えが可能であり、仲人~横行~反車
筋を攻めるように、駒組を工夫する事は可能と
みられる。
 ただし、角行を斜め端筋へ2つ進めてから、
同じ側の龍王筋を狙う、角角奔王馬馬作戦とは
別の攻めも考えられるため、通常、奔王前の歩
兵と奔王自身を1歩上げる配置は、中央歩兵が
上げにくいので、とりにくい。結論から書くと、
相手がそのような段組をした陣に対して、角を
外回しして、奔王龍王取りを掛けてきたときに
は、角と奔王の駒損交換を敢えてして、

角角馬馬作戦を続ければ良いので、奔王前の
歩兵上げの手は、このケースは特別に成立する

ようである。
 では、以下にもう少し、詳しく説明する。
 角角馬馬作戦を、角角奔王馬馬作戦に変える
としたとき、奔王を前に一歩出して、筋変えを
すれば、このケースは良いらしい事について、
以下に説明する。
 まず、本ブログの13×13升目108枚制
普通唱導集大将棋は、以下のような配列で始ま
ると考えられる。

普通唱導集STD.gif

この配列で、双方、鎌倉市の鎌倉駅内出土の、
”搦角行角行奔王馬馬仲人・・”木札が示唆
する、角行角行奔王龍馬龍馬で、相手右仲人~
横行~反車筋を狙う攻めの配列を、

奔王は1歩前進させる配列で組む

と、以下のようになるとみられる。

普通唱導集奔王加.gif

 この配列では、図でF5(=8五)の位置
にある、青側後手の角行を、仮にB5(=12
五)に配列したとすると、G10の黒側手前の
奔王と、H11の龍王が両取りになる作戦が可
能である。
 しかしながら、その場合は、敢えて駒損でも、
先手は、配置の違うB5の角行は奔王で取って
くると見られる。なぜなら、後手が角行角行龍
馬龍馬型の攻撃のうち、角行一枚を欠く事にな
るので、先手にとって損な交換と考えられない
からである。よって、通常なら、袖に斜め前に
2歩上がって、中央部の大駒を狙う角行の餌食
になるので、

初期に、G10(8十)の位置の歩兵は上げ
ないのが、大将棋では普通と見られるが、この
ケースに限り、それを敢えてして、奔王の利き
筋を変える駒組をすると見られる

のである。
 以上で説明はだいたい済んだ。ちなみに、上
に述べた駒組図では、この後大乱戦になって、
急戦型で搦(二)角行角行奔王馬馬ガ仲人・・
ヲ(一)の双方の攻めが続く将棋になると見ら
れる。
 普通唱導集大将棋の第2節では、そのタイプ
の攻めを、仲人に嗔猪と桂馬で紐を付ける事に
よって、収められるとの旨の意味が、唄われて
いると、本ブログでは従来より、解釈している。
 そのように、局面を穏やかに収める駒組を示
すと、以下のようになる。

普通唱導奔有2節.gif

この局面から、相手の右辺の端の方の陣を、崩
すのは無理なので、たぶん先手は単純に、D6
仲人とは、指してこないと見られる。(2019/07/19)

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将棋倒し用の将棋駒は、単に底面が厚いだけ(長さん)

将棋倒しという言葉は鎌倉時代の初めの方には既に
あり、将棋駒の形を見慣れている現代人には、疑問
に持たれない日本語である。しかし、将棋道具の歴
史を、ある程度知っている史学家には、この言葉の
初出を、異様に早いものと、受け取る空気が強い。
理由は、その時代に代表的に出土する、

木簡を切って作成した将棋駒が、薄くて立たない

からである。”高級駒を持てる、当時の富裕層から
発生した言葉なのだろう”という論に、一応落ち着
いていると、私は個人的には認識している。
 今回は、この結論に至る議論の筋道に、疑問を投
げかける内容を提示する。結論から述べれば、

平安時代の木地師にとり、頼まれれば将棋駒の底を
厚く作るのは、デザインの問題であって、値打ちに
ほぼ無関係なのではないか

という疑問があるという事である。
 では、もう少し議論を続ける。
 日本では、上代の後期から、木製の仏像が大小さ
まざまの大きさで、彫られている。将棋駒の五角形
の形を細工するのは、少なくとも、小型仏を彫る彫
師にとって、小型仏像よりも簡単だったはずである。
 彼らに頼めば、

将棋倒し用に使用可能な将棋駒の駒木地は、平安時
代に将棋が伝来時点した、本ブログの説では完全に
同時に、五角形駒が作られてからほどなくで作れた

と考える。
 つまり、将棋駒の底が頭に比べて厚く作られてい
れば、その将棋駒は、より楽に将棋倒し遊びに使用
できるのであろう。がそのような、将棋倒しに使用
できるような将棋駒を、駒木地は木簡を切って一般
人が作っていた時代でも、木地師にとっては、材木
から作れるものだったというのは、当たり前ではな
いか。つまり単にそれが、デザインとして、底の厚
い木の小型物品を、切り出した材木から作るという
意味でしか無いと認識する、例えば仏像彫りにとっ
ては、これが平らな将棋駒に比べて、技術的に、極
めて細工が困難と認識する事も、高級品になると認
識する事も、たぶん無かったであろうと私は思う。

せいぜい、木簡を使わないで、自分のような木地師
に仕事を依頼するという点では、”高級”だと、見
ただろうが。

 つまり、底の厚い将棋駒の木地を作るというのは、
どう考えても、

それだけの事でしか無いので、そうしろと言われれ
ば、木地師はそのように細工するもの

だったのではなかろうか。
 むろん、将棋駒が荷札と類似の形の方が、将棋駒
らしいと考えられた時代には、多少変わった形に、
一例仏像彫り師は、将棋駒の駒木地を作ったものだ
と、皆から、見られはしただろう。
 しかし、もともと何処かの遊戯場で、暇つぶしに
小将棋を指したり、雑談しながら、手慰みに、将棋
倒しをしようと言う、富裕層にとっては、多少底が
末広がりで、不自然に縦置き型に見える駒を、

それが高級なのではなくて、単に形がそういう形の
物に、作ってもらえる

ように、彫刻家を兼業にしている将棋駒の駒師に、
頼んだと言うだけの事だったと考えられる。つまり
都市部で近くに複数居れば、安くやってくれる木地
師に、将棋駒の作成を、依頼する事が有ったという
だけの事、だったに違いない。駒木地があれば、識
字層には駒字が書けるので、完成品が生まれるのは、
ほぼ当たり前だ。
 なお、将棋はオモテを上にして、腹ばいにした形
で本来使うが、四足の馬としての形でなく、人間の
ように立てても自然と見る事は、将駒や兵駒に関し
ては、少なくとも”子供でも考えそうな事”である。
 そしてそもそも、将棋倒しという語を、戦記物で
使う作家も、京都や奈良や鎌倉といった、都市部に
居住していたのだろう。だから、そのような多少、

形だけが少し変わった将棋駒

は、平安時代の末期ともなれば、目にする機会が、
文学作家にも可能だったのではないかと、私は疑う。
 だから、本当に将棋で使う多数派としては、それ
で充分だったので。出土品としては、木簡を切った
ような、薄手の将棋駒しか、平安時代末頃には出土
しないのであろうが。遊びや、おふざけで、手の空
いた木製仏像彫りの職人に、

立つ将棋駒を作成させる富裕層は有る程度居たので、

将棋倒しという言葉は、比較的たやすく発生したの
ではないか。つまり、単に形状を工夫すればよいと
いうのは、木製品の加工にとっては、当たり前の事
でしか無いので、

将棋倒しに使える将棋駒を、高級品と考えなくても
特に良いのではないか。

以上のような点で、将棋史の将棋倒しという語に
対する議論には、その駒を高級品と決め付けている
ように見えるという点で、議論に不明な点が有るの
ではないか。
 よって冒頭の結論に、落ち着くという訳である。
(2019/07/18)

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徳島市川西の奔横駒。本が奔の根拠は多くない(長さん)

本ブログにとり、表題の徳島県徳島市上八万町川西
の奔横駒は、平安大将棋初期配列型を4段に段上げ
して、

配列を変えずに駒種を増やした、ほぼ唯一の根拠

として重要である。つまり、平安大将棋が後期大将
棋へ、ほぼ連続的な変化で到達するとする、本ブロ
グの論の証拠の、多くはない例の一つである。
 ところで、この遺物は、新聞発表等では、

奔横ではなく本横と発表されている。

駒名をどう読むかに関しては、将棋駒の作駒師とし
て著名な、熊澤良尊氏による”本横は奔横である”
との指摘が、有名と本ブログでは認識し、本ブログ
でも、この説を現在は取っている。実はこの駒に関
しては、奔にも横にも異論が有るのだが、今回は、
”奔”の方だけを問題にする。
 本ブログで本を奔と見るのは、本の下の部分が、

①十ではなくて三十(卅)だと見ている

という、実は一点だけである。が、駒の字を見ると、

②本は本ではなくて、上下に”大+十”と繋げた物

である事が判る。私だけだったかもしれないが、②
も証拠になると、自分で気がついたときから、そう
思っていた。が、さいきん異体字大字典から、

②は証拠にならない事が判った。

以上は結論だが、以下にもう少し続ける。
 ㈱遊学社(2012)の”日本難字異体字大字典”
の文字編”本”の項目に、

本の俗字として、上下に”大+十”と繋げた物が載っ
ている。

だから、”大+十”と繋げたというだけでは、本と
書かなかったとの証拠には、ならないという意味で
ある。
 つまり②は”本が奔だ”との証拠に、ほぼならず、
①の大の下が”十”ではなくて三十(卅)だという
事だけが、奔である根拠であると、考えられる。
 実は発掘した徳島県が、この駒の第1字目を奔と
読まなかったとみられる理由は、

三十(卅)の字の三本の縦棒のうち太いのは真ん中
だけ

だったからだと、明らかに推定できる。

両側の縦棒は、後で細く、付け足しただけ

のように、明らかに写真から見て取れるからである。
 恐らく、この駒を書いた駒師は、本横と最初は
書くつもりだったはずで、本が奔なのに、後で気が
ついて、十を卅にしたものと見られる。本当は、
二十(廾)を入れなければならないはずだが、ひょ
とすると、10+20=30で、これで良いと、勝
手に決め付けたのかもしれない。
 駒師は、平安大将棋の奔の規則よりも、”元祖の
横行”と”ただの横行”と2種類有るとの日本語と
しての、判りやすさを優先させたのか、何を考えた
のかは、少なくとも私には判らない。”奔走する横
行”が、日本語として、よく判らない意味になるの
は、もともと確かなのかもしれない。
 何れにしても、このケースは②の”大+十”とい
う書き方が、本では無いという根拠に、ほぼならな
い点が重要だ。一字目が奔との説は、①下が卅であ
るという、筋細の根拠しかないようだ。web上で
は、熊澤良尊氏の意見等が、正しいのかどうかと言
う点についての議論は、多くは見当たらないのだが。

 ”大+十は、本の俗字”という事実を知らなかっ
たのは将棋史愛好家で私だけだったのかもしれない。

なお奔(本)横駒には、2字目のツクリが、本当に
”黄”と書いてあるのかどうかという議論もある。
本ブログではツクリは黄と見るが、これも崩れてし
まうと、本ブログにとり、相当な痛手だ。
 徳島県徳島市上八万町川西の大将棋系のこの出土
駒が、正確には何と書いてあるのか。この点は、本
ブログの議論にとって、跳びぬけて大切な点だが、
不確定性も有ると認識できる。(2019/07/17)

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踊り駒の有る将棋の、着手完了則のデフォルトを変える(長さん)

この系統の論題についてはかなり間が飛んで、以下
久々の書き込みとなる。
 そもそも本ブログの管理人は、”中将棋の指し方”
で、将棋の永世名人故大山康晴氏記載の、仲間の
中将棋棋士の、着手の描写とみられる

”中将棋駒を、盤にズラシながら着手している”と
いうやり方は、いつもとすれば見苦しい

と感じている。こうなってしまうのは、

着手完了が、駒に手を触れたときでも、駒を使って
から手を離したときでもなく、中将棋では、

駒を盤から離陸させたとき

に、事実上なっていたためと、私は理解する。
 ”獅子のじっとの手”が着手の一部として、

駒駒多数将棋では、ほぼ例外なく存在するため、
日本将棋の流儀には、合わせる事ができないから

である。そこで、本ブログではだいぶん前、

補助の半透明駒を、”ジッとする”の手を指す、
獅子の駒の上に置く事を提案

した。
 ジッとの手を指す時には、獅子を盤から離陸させ
ても、着手したとみなされず、後戻りは”待った”
にならない事に、したのである。
 しかしこれでは、踊り駒の使い方に関する、着手
完了マナーの別の、次の問題を解決できなかった。

途中取りや、居喰いで、相手駒を取り除き忘れた
ケースは、着手側が”泣き寝入り”

だったからである。このケースには、前と反対に、
跳び越えの手を指すつもりとして、”獅子に取られ
ずにジッとしている”との意味で、半透明補助駒を
相手の途中通過駒の上に置くのは、相手駒踊り喰い
を、しない場合のはずだった。だから、元々は

置いても置かなくても良いはず

だったのである。
 この点について最近考えた所、反対にして、

忘れた場合は、それで手は確定。ただし”取らず”
と表現したとはみなされず、強制的に”相手中駒”
や”居喰い駒”を、取って終わる手を挿したとしか、
見掛けの表現と違って、見なされない

としてみてはどうかと、気がついた。
 普通唱導集大将棋本ブログ2017年モデルの、
成り麒麟の獅子や、飛龍、猛牛で、踊り喰い系の手
を着手したときに、相手中駒を取らないで、成り
麒麟獅子、飛龍、猛牛を置いて、駒から手を離して
しまったときには、

強制的に、相手中駒を取り除いてから、
チェスクロックを動作させなければならない、

とするという事である。つまり今までは、うっかり、
相手踊り喰い中駒を盤から取り除かずに、成り麒麟
獅子、飛龍、猛牛を置いて手を離したら、中駒は、

そのままにしなければならないように、本ブログで
は書いて来たが、ここを変えるという事

である。
ちなみに、成り麒麟獅子による居喰いも、喰わずを
選択したつもりではないのに、相手駒を取り忘れて、
自分の成り麒麟に補助駒を置いたら、喰いたい相手
駒は、取れ無かった。このようなケースも、相手の
喰べたい駒を取ってから、獅子に補助駒を置かなけ
ればならなかったのである。
 これからは、相手の取りたくない駒に補助駒を、
別に置かないと、”取らず”とか、”喰わず”の、
むしろ鬼手系が、指せなくしてはどうかと思う。
 なお、普通に取らずで補助駒を置くのは、例とし
て、以下のようなケースだとみられる。ただし、こ
の例では、元々の3三の位置に、駒は無い物とする。

補助駒必要.gif

 つまり、後手が△8八角行と指した上のケースで、
普通に相手歩兵に手をつけずに、成り麒麟を赤い円
で示した、5五の位置から3三に移動させて、手を
駒から離した場合、今までは、後手歩兵を取らずに、
成り麒麟を移動したと解釈された。が、変更後は、
こうした場合は、4四位置の歩兵を、後追いでも取
り外してから、チェスクロックを押さなければなら
ない。なぜなら、歩兵を踊り喰いで取って、獅子を
3三へ移動させる方を、これからは、このケースの
着手の表現内容とするからである。
 そこで、このような”レアーケース”には補助駒
置きが、写真の赤い矢印で示したように、

必ず必要というふうに、着手マナーのルールを決め
たらどうか

という提案を、本ブログがするという意味である。
 なお、獅子の場合は、不正行度なので途中駒に、
任意性が出る。補助駒は、

相手の駒は何も取らない

で単純に跳ぶ手を指すとの意思表示なので、取らな
いという意思表示だけを意味するから、どれかに
付ければ、

デフォルトで取り除く駒とは別の、相手中駒に置い
ても良い

としてはどうかと思う。獅子の居喰いの場合は、
最大8択になり得る。
 また、取り忘れの場合に、ペナルティとして、
取ったと強制決め付けにする場合で、獅子では、今
述べたように取る駒に任意性が出来、喰わされる駒
を、どれにするのか、規則を決める必要がある。
 移動先の升目に利いている駒で、初期配列位置で、
他に何も駒が無い場合に、利き升目数で強弱を決め、
その数の多い強い駒(ただし成り駒は、有れば同種
の元駒と同率。無い太子は元酔象初期位置基準)を、

取って、着手は終わったとみなす

としては、どうかと私は思う。なお、
こう定義すると、獅子と玉将が弱いので注意が必要
だが。相手獅子や玉将をほおって置いて、獅子から
移動させる等するのは、取忘れのペナルティとして、

より大きくすべきなので、これで良い

かもしれない。
 ちなみにたいがいは、利いている駒は、そもそも
一枚だけのはずである。
 利いている駒が無いケースは、全体の中で今述べ
た基準で強い駒で良いと思う。同率が有るケースは、
相手玉段に近い駒、次にそれでも同率なら相手玉列
に近い駒。それでも同率なら、相手から見て左側の
駒を取るとすれば、ほぼペナルティで、強制的に取
り去る、自獅子等が無理に喰わされる相手駒は、
一義的に決まるだろう。
 もともと取りたい駒が、デフォルトで”取り去ら
ないという印の補助駒”を、置き忘れた時に、消さ
れる駒の事が多いので。エキサイトして、着手が
めちゃくちゃになっても、大概は、これで問題が
起こらないような気が、私にはするのだが。
 以上のようにすれば、以前のように”取るつもり
の相手駒を駒を取ってから、自駒を動かす習慣”を、
完全に付けてから、駒数多数将棋は指さないと、日
本将棋を指す癖のままだと、たいへんな事になる、
という事は、随分と無くなると予想する。
 なお、よく考えてみると。
 移動させない獅子用の補助駒と、踊り喰いしない
サイン用の補助駒は、別々に1枚づつ必要だった。
また、連続使用用にペアーで必要で倍の4枚。相手
と味方で×2となり、補助駒は、居喰い表示駒4、
踊り喰いせず表示駒4として、

8枚用意するのが、正式にゲームをする場合。

以上のように、結論されるように思う。(2019/07/16)

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JR鎌倉駅構内は鎌倉時代の風俗営業店店内か(長さん)

以下鎌倉考古学研究所(西暦2017年)発行の、
”集成鎌倉の墨書”、木製品301
”口(4.5文字分スペース)口王馬馬口”木片
の、①詳細説明と、②表題の内容について述べる。
 神奈川県鎌倉市鶴岡八幡宮境内出土の裏楷書”
奔王”鳳凰駒と、同年代であるとの旨前に書いた、
”口(4.5文字分スペース)口王馬馬口”木片
は、鎌倉考古学研究所の集成鎌倉の墨書には、

同年代と書いて無い。

①そこで、この史料についても”集成鎌倉の墨書”
で、紹介されている内容を、このページでは、正
確に記録し直す事にする。特に、

(a)正確な成立年と(b)裏に墨跡有りと集成
鎌倉の墨書では書いてあるのに、その記載が落ち
ている

点について、補充が必要である。
 より詳しい集成鎌倉の墨書の記載は、次の通り。
図番号木製品301(木製品300と共出土。)
遺跡:若宮大路周辺遺跡群・蔵屋敷遺跡
場所:JR鎌倉駅構内(改築による調査)
西暦1984年2月
調査地点地番:神奈川県鎌倉市小町103番7
出土層:第Ⅶ層

年代:13世紀後半~14世紀前半(イ)
備考:オモテと裏面に、両方墨跡がある。(ロ)

部分的に読み取れるのは、オモテ面のみ。裏面に
関しては図に、竪筋が部分的に2本、平行に、
実間隔約1.2cmで書かれている。
図よりの実長:長さ20cm前後、巾1.8cm
前後の細長い棒。
 以下、もう少し詳しく説明する。
 年代は、鎌倉市鶴岡八幡宮境内出土の5将棋駒
が、”13世紀半頃~14世紀初頭”と書かれて
いる。よって、

全く同じ表現ではない。

上限(新しい方)が、今小路西鎌倉市福祉センター
遺跡の中将棋木札に関して、本ブログが、
御成小学校境出土の、木製品224・225
から間接的に推定した”14世紀中葉”にかかっ
ている。

普通唱導集関連だと決め付けると、感覚的に私に
そう見えただけ

である。西暦1300年頃を否定は出来ないとい
う点のみ指摘し、次ぎの観点である、(ロ)裏面
の直線状の墨跡からも推定する、この遺物の正体
に移る。

簡易的な囲碁盤の破片のようでもあるし、そうで
もないようだし、一種の扇子の骨の1本のようで
もある

と私には思える。以下に、碁盤ではなくて扇子説
と見るが、その根拠を示す。
そのため、共出土品について論じた上、

②の鎌倉時代の鎌倉駅構内に、何があったのか

について論じて、根拠に到達する事にする。
 そこで、②の話題にまた移る。
 本”口(4.5文字分スペース)口王馬馬口”
木片には、集成”鎌倉の墨書”の

番号で木製品300が、同時出土し、その他に、
番号で、かわらけ75、内面墨跡、
番号で、かわらけ76、両面墨跡、
番号で、かわらけ77、内面墨跡、
番号で、かわらけ78、両面墨跡、
番号で木製品298(柱)時代が14世紀中葉~、
番号で木製品299(井戸の木桶)14世紀中葉~、

が、同様な場所から出土している。これら共出土
品を、ざっとだが、本ブログでは次のように見た。

番号木製品300:贈答品のフタ。大きく女性名
で、贈り主名を示した物品。たぶん女性名の方が
内側ではないかと、私は思う。
番号かわらけ75内面:春画。
番号かわらけ76両面:外側春画。内側官能小説。
番号かわらけ77内面:神棚用の縁起物。
番号かわらけ78両面:外波模様。内使用者花押。
番号木製品298(柱):建物建築時の見当記号。
番号木製品299(木桶):店の得意客の花押集。

特に75や76から、この場所が私には鎌倉時代
の風俗営業の店のように見える。そして本ブログ
で問題にしている、木製品301の
”口(4.5文字分スペース)王馬馬口”は、
裁断したときに、字間をきっちりと裂くのが困難
である点をも考慮すると、
風俗店の飾り扇子の骨に、賭博やゲームでの要領
を、短い文句で書いて、客に見せたりプレゼント
したりする、顧客に対して、その場の雰囲気を盛
り上げるために店が作成した、本来は多数あった

”短文文句入り飾り扇子”の破片

とイメージするようになった。裏面の模様は、絵
かもしれないし正体不明だが、碁石を置くにも、
少し目が細かすぎる。
 また、時代は少しズレる可能性も有るようだが、
番号で木製品299(木桶)の店の、”得意客の
花押集”は、その風俗店の常連客の花押を多数飾っ
て、店に来る客が多い事や、イベントの楽しさや、
その支持者が多い事を、店が宣伝しているのかも
しれないと私は思う。更にかわらけ類78は、
重要常連客使用済みの、食器保管品かもしれない。
 次にまた、木製品300の贈答品のフタは、客
が持ち帰るみやげ物へ、大きく売れっ子の女性名
か、又は店の女将の名を書いて、その風俗営業店
へのリピータの増加を、店が期待しているとも、
解釈できると私は思う。
 従って、

現在JR鎌倉駅構内の地点の地下には、鎌倉時代
の風俗営業店の遺跡が眠っていて、”口(4.5
文字分スペース)口王馬馬口”木片は、遊び場一
般でする、”お遊びとしての大将棋”の要領を、
初心者向けにガイドするという目的のもの

との説をとる。そしてそれは、共出土品の内容か
ら見て少なくとも、完全に否定できると、までは
行かないように、私は今の所考えている。
 つまり、補う文字が多すぎる感じはするのだが。

搦王馬馬仲.gif

この木片に、
”普通唱導集大将棋の戦術が絶対に書いてない”

とまでは言え無いと言う意味である。(2019/07/15)

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狛犬、金剛力士等の有る144枚制後期大将棋の調整(長さん)

以前述べたように、神奈川県鎌倉市の
今小路西鎌倉市福祉センター遺跡中将棋木札の出土に
よって南北朝時代に、獅子、狛犬、金剛、力士という、
現時点では、摩訶大大将棋の駒とみられる駒は、存在
がほぼ確定した。よって、後期大将棋に、これらの駒
や、恐らく夜叉、鳩槃、横飛または横龍程度は、テス
ト的に導入して指す事が、

実際には無かったと本ブログでは見る、後期大将棋に
鎌倉時代にも導入できたと考えるのが自然

とみられた。他方、
後期大将棋は、陣囲いが、2枚の盲虎と銅将と猛豹、
それに玉頭の酔象で初期配列時に形勢され、

15升目130枚制後期大将棋の玉囲いは過剰に堅い。

そこで予想として、本来の130枚制後期大将棋には
無い、狛犬、金剛、力士、夜叉、羅刹、それに2枚の
泰将棋の横龍をそれぞれに導入して、72候に因んだ
15升目144枚制の後期大将棋の攻撃力増大ゲーム
を、ルールを微変更して2局やってみた。
 結果として、酔象、麒麟、鳳凰が其々、太子、獅子、
奔王に成り、一段目と歩兵列、反車と6段目仲人が、

本ブログの言う、普通唱導集大将棋2017年型の
金成りと調整し、踊りは水無瀬兼成の将棋纂図部類抄
の、獅子と狛犬以外は”金剛力士1目2目は踊らず”
のパターンのルールで、攻守バランスは取れている

事が明らかとなったので、以下にもう少し、詳しく
報告する。
 下図は、上記で説明した、130枚制後期大将棋の
14枚、枚数増加ゲームの初期配列である。なお、
桂馬は飛龍の位置の守りに加わりにくいため、
摩訶大大将棋の土将に交換している。また、以前にも
述べたが、夜叉は斜め4方向2升目先踊り、前升目歩
みとした。

摩訶大後期大初期.gif

このケースでは特別に水無瀬兼成の将棋纂図部類抄、
摩訶大大将棋口伝等にあるように、狛犬以外は、
正行度の踊りであるので途中相手駒取り、自駒通過
可能ルールだが、止まれるのは、きっちり決まった
目数だけである。つまり、

”金剛力士は3目踊り。1目2目おば踊らず”の
パターンで、攻守調整は、ほぼこのケースについて
はOK

だった。つまり、”全てが定説の通りの仮定から出
発して、背理法を展開してよい”という意味である。
しかし、実際にチェックしてみると、

飛車、角行、竪行、横行、横龍、金剛、力士、夜叉、
羅刹、飛龍、猛牛の相手陣金成りは、不成りの方が、
良かった。

つまりこの点でも摩訶大大将棋よりもむしろ、通常の
後期大将棋(水無瀬兼成の将棋纂図部類抄)に、より
近いという事である。すなわち、これらの中堅駒を
金成りにすると、狛犬、金剛、力士、夜叉、羅刹、
横龍×2の双方、攻め駒7枚増加であるにも係わらず、
ディフェンスの盲虎2、酔象、銅将2、猛豹2囲いが、
強力さで勝っていた。
 以下に、中堅駒金成りのケース(第1局目)の指終
わりの図を示すが、成り飛龍は、不成りの方が、この
局面では良い事が判るだろう。

摩訶大後期大指終.gif

以上の点は中堅駒を不成りにした第2局で確かめてい
る。第2局目の指し終わりは以下のような感じである。

摩訶大後期大2終.gif

 なお、第1局目で、先手は通常の後期大将棋では、
角行を使ってする、”馬袖側上がりの相手中央部駒狙
い作戦”、後手に”角、角、馬、馬の普通唱導集第1
節型の右袖攻撃作戦”をさせてみた。この144枚制
将棋では陣袖も堅く、後手の普通唱導集の唱導唄に従っ
た、当時で見ても”古典的な作戦”は無理筋であり、
第1局目では、終始先手のリードで、先手が後手玉を
詰んだ所が、その局の、指し終わり図で示されている。
 第2局目では、両者に”馬袖上がりの相手中央部駒
狙い作戦”をさせ、今度は後手が勝っている。
 特に、盲虎の七方歩みが、鎌倉市出土の、今小路西
鎌倉市福祉センター遺跡中将棋木札でも示されている
ように、後期大将棋のディフェンスの堅い性質を決め
ている。また同じく、
今小路西鎌倉市福祉センター遺跡中将棋木札で、
”(銅将や鉄将の前に置きたくない)もうし/ひやう”
かとみられる名で示されている、猛豹の存在も大きい。
 であるが、摩訶大大将棋系の攻め駒を、更に7枚加
わえて、パランスを取り直せば確かに、

もともと、後期大将棋の攻撃と守備のパランスは、鎌
倉時代の当時でも、概ね取れる性質のものであった事

が、次第にはっきりとして来たと考える。(2019/07/14)

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後期大将棋を西暦1225年~75年間不完全性我慢か(長さん)

通説では、少なくとも二中歴の示した平安大将棋が成立
してさほど経たないうちに、徳島県川西遺跡の時代頃、
後期大将棋が成立。普通唱導集で唄われたとされる。
 しかしながら、神奈川県鎌倉市の、
今小路西鎌倉市福祉センター遺跡中将棋木札にさいきん

狛犬が記載されているのが、

よみがえる中世3武士の都鎌倉(1989)にて、発覚
した。その結果、鎌倉時代の後期に、狛犬を含む
摩訶大大将棋が、成立しているのかの検証を待たずに、

獅子と狛犬と恐らく、金剛と力士と、および、夜叉、
鳩槃、羅刹のうちの2枚程度は、容易に導入できると
いう理由で不自然

と考えられるようになってきた。
 すなわち、
元々、これらの駒を後期大将棋に更に導入した方が、
ゲーム性能が上がるのに、西暦1225年から西暦

1300年の75年間、我慢して、130枚制の将棋を、
15升目を標準的な将棋盤を使用して、指していたと
すれば不自然

という意味である。
 今回は、以上のような論旨について、以下にもう少し
詳しく述べる。
 重要な点は、

15升目130枚制の後期大将棋は、酔象、盲虎、銅将、
猛豹で作られる、玉の囲いがとても堅いので、現行の駒
構成では、攻撃力に比べて、防御が強すぎ

と考えられるという点である。
 これは、

たとえば、もう14枚、攻撃性の強い駒を加えて、配列
を変えれば、10年20年、苦しまなくても直る。 

たとえば、以下のように摩訶不思議大大将棋に有るか、
その類の、狛犬、金剛、力士、夜叉、羅刹、横龍を加え、
踊りと成り金の範囲のルールを有る程度、調節するだけ
だと考えられる。

攻守バランスの取れる15升目後期大将棋ゲーム(144枚制):
口口口口口口口口仲人口口口口口口口口口口仲人口口口口口口口口
歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵
飛車横行堅行横龍龍馬龍王獅子奔王狛犬龍王龍馬横龍堅行横行飛車
口口飛龍猛牛角行羅刹力士麒麟口口鳳凰金剛夜叉角行猛牛飛龍口口
反車口口猫刃嗔猪猛豹悪狼盲虎酔象盲虎悪狼猛豹嗔猪猫刃口口反車
香車土将石将鉄将銅将銀将金将玉将金将銀将銅将鉄将石将土将香車

なお、上記配列で、泰将棋の横龍ではなくて、摩訶大大
将棋の横飛にした場合は、土将よりも桂馬の方が良いと
みられる。また、夜叉の駒の動かし方ルールは、たぶん
だが、水無瀬兼成の将棋纂図部類抄の泰将棋の夜叉では
なくて、摩訶大大将棋の夜叉の斜め2升目踊り、前方一
歩の方が、このケースは良いと見られる。
 何れにしても現在では、
今小路西鎌倉市福祉センター遺跡中将棋木札の、
西暦1350年成立の狛犬の存在が、概ね確定している
ので、獅子と狛犬の対、金剛と力士の対を考え出すのは、
前にも本ブログで述べたが、鎌倉時代末期頃までには、
可能だったのではないかと、かなりの程度疑われる。
 すなわち安土桃山時代の水無瀬兼成の将棋纂図部類抄
には、ゲーム性の劣る後期大将棋と、改良の材料として
自明な摩訶大大将棋の情報が、材料だけ記載されていて、

鎌倉時代中期に、15升目130枚制の後期大将棋を
標準的に指していたとしたら、当然あるべき、問題点の
改善の跡が、何故か見当たらないという状況だ

という事である。
 なお、”本ブログの言うようにするというのは、
144枚では130枚より、複雑になるのだから、その
ような改良はするはずはない”という主張は、

成り立たない。

第一に、①144枚と130枚の差は、14枚と1割強
でしか無い事。

第二に、②144枚という数は、72枚の2倍であって、
72候の陰陽道の意味と合致している

という点が、指摘できるからである。
 すなわち、実際に15升目の後期大将棋が、鎌倉時代
の大将棋の標準だったとすれば、有る程度、ゲーム性の
高い144枚モデル等が、文献に残って、

92枚制の中将棋よりも煩雑さで負けて、指されて居無
いという話なら整合するが、実際にはそうなって居無い

のである。これは、

中将棋を作ったついでに、アバウトに後期大将棋は作っ
た、だけだと考えると、状況と旨く合う

のである。なぜなら、材料が目の前にあるにも係わらず、
使って居無いという事は、やる気の有る無しの問題だか
らである。
 いままで一般に、錯覚してしまっていた事柄とは、

”13升目の将棋に比べて、15升目の良い将棋をデザ
インするのは、現実として例が無いため、相当たいへん
だろう”と、実は間違って決め付けていた

という事ではなかろうか。近々チェックしてみようと思
うが、

大きな差は、実際には無いのでは

と、私は思う。
 だから、12升目の中将棋の親は、その升目数前後で
それに近い、

13升目の平安大将棋型で、恐らく68枚制~108枚
制の間で推移したものを12升目92枚制にまとめた物。

以上のように、推定するのが、神奈川県鎌倉市の

今小路西鎌倉市福祉センター遺跡中将棋木札の狛犬が
検出された現在では、充分に自然だ

と考えられるようになったのである。(2019/07/13)

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モンゴル密偵対応龍王無狛犬後期大将棋のゲーム性確認(長さん)

以前に、後期大将棋の龍王と奔王の位置に、左か
ら獅子、狛犬、奔王と入れ、猫叉を取り除いて、
盲虎を平安大将棋の猛虎に変えた将棋は、西暦
1323年時点で、モンゴル帝国降伏の呪術的
意味が、ほぼ無いゲームであるとの旨を述べた。
そこで今回は、このゲームの性能の良否を実際に、
1局だけだが、指してチェックしたので報告する。
 この将棋は以下の写真のような初期配列となる。
なお、成りのルールは、水無瀬兼成の将棋纂図部
類抄と同じとした。つまり酔象、麒麟、鳳凰以外
不成りであり、この3枚だけ、敵陣5段目で中将
棋のパターンで成るとした。

新安沖大将棋.gif

結論を述べると、

盲虎を猛虎に戻した効果が大きく、攻めが守りに
対して強すぎ

との結果となった。
 では、以下にもう少し詳しく述べる。
 この1局だけの将棋では、手前側が、無理奔王
端攻め戦術、向こう側の後手が、普通唱導集の、
唱導唄戦術で攻め合う作戦とした。
 結果は以下のように、手前方が一応勝ったが、
後手の方が中盤はむしろ、押していた。

新安沖大将詰.gif

すなわち、

普通唱導集の第1節の戦法はこの将棋にも使える

事が判った。むしろ、右桂馬と仲人がかみ合わな
いため、

対策に有効なものが無く、攻め合うだけの点で、
普通唱導集の第2節とは合わず、この将棋も、
普通唱導集の唱導唄と、全体としては合って居無
い事が判った。

そして、後期大将棋と、この”龍王と猫叉を除い
た後期大将棋”の差は、

猫叉で、猛牛に繋ぎが出来ない事

である。そのため、普通唱導集の大将棋流の角と
馬による、タスキがけの端攻め作戦をかわすのは、
この将棋でも、実は難しくなる。
 そこで、奔王を無理やり手数を掛けて、左端の
最下段に移動させてから、相手右辺の端を攻める、

普通唱導集の作戦では無い、後期大将棋の攻めに
特有の戦術で攻め合う作戦

を、手前、先手側に取らせると、後手より大きく
遅れて、中盤は手前先手側が、かなり押された。
それでも勝てたのは、後手が気を抜いて、麒麟の
繰り出しが遅れたから、だけであった。
 また、陣の強さについては、

虎が、盲虎の前方以外の七方歩みで無くて、斜め
4方向歩みである事が、圧倒的に効いた。

つまり、崩れやすい陣に、典型的な後期大将棋の
陣から、大きく変化した。そのため、

攻めの方が、守りに比べて、はっきりと偏りすぎ
ているゲーム

と結論できた。
 前方以外の七方歩み盲虎にしていたとしたら、
ほぼ、バランスが取れていたのかもしれないが。
奔王は、その分左端下隅へ、移動しやすくなった
だろう。壁駒として、また猛牛の繋ぎ駒として、
猫叉はやはり、後期大将棋系の将棋の場合、ほし
い所か。
 何れにしても、

神奈川県鎌倉市今小路西鎌倉市福祉センター遺跡
出土の中将棋木札に、いみじくも示されているよ
うに、”万うこ(盲虎・猛虎)”の駒の動かし方
のルール調整が、大将棋や中将棋の陣囲いの強さ
の調節で、いかに大切なゲームルールの調整ポイ
ントになるかが、はっきりと示された良い例

のように、私には、この将棋を試してみて思い知
らされたように思った。
 何れにしても、このバージョンのゲームは、存
在したとしても、短命であったはずだ。新安沖
沈没船の中で、たまたま思いついて指され、それっ
きりだった可能性さえ、有るのだろう。(2019/07/12)

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