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日本の平安小将棋用将棋盤は中国中原伝来の9路囲碁盤(長さん)

本ブログでは、日本の将棋の伝来元を、中国雲南と
見ている。ただし、日本の将棋の将棋盤は、どうみ
ても、一番似ているのは囲碁盤だ。つまり日本の将
棋は、駒を交点置きにしないので、中国シャンチー
と大きく違うが、その升目置きをする置く盤自体は、
小型で九路の囲碁盤に、一番近いと私は考える。
 確かに現在の日本将棋は9×9升目なので、交点
置きすると、10路×10路の囲碁盤しか使えない。
が、伝来時の原始的な平安小将棋は、玉が中央左、
金が1枚だけで中央右置きだったと、少なくとも、
本ブログでは考えている。ので、本ブログの考えが、
仮に正しいとすれば、8升目将棋なので、9路の
囲碁盤が使える。
 私は囲碁をほとんどしないので、9路囲碁盤の聖
目が、4筋目が正調なのかどうか知らない。しかし、
囲碁に詳しくないものの、縁の近くが戦場になりや
すいゲームである事は知っている。たぶん、聖目は、
19路の普通の囲碁盤と同じく、第4路、すなわち、
升目に換算して3段目の所に付いていた方が、使い
やすいという意見も、多少は有るのではなかろうか。
 中国の北宋時代にも、恐らく開封では、囲碁の
一種で、勝負が早くつく、4路目に聖目が有った
9路盤を使った囲碁も有ったのだろう。だから、
将棋が日本で流行って来たのを知って、将棋駒とし
て使われる、経帙牌とセットで、日本人へ将棋具を
売りつけようと考えた、北宋の交易商人、西暦10
20年、刀伊の入寇後、初の交易商人であるなら、
(一例)周文裔が、

経帙牌を仮に500個持って、博多へやって来ると
きには、碁石を置くにはスカスカな、升目の粗い、
9路囲碁盤を、経帙牌にメッシュを合わせた上で、
たとえば15枚、西暦1020年に一緒に持って来
日するというような事は、いかにも有りそう

な気が、私にはする。
 そもそも、イスラムシャトランジから中国シャン
チーを試行錯誤で生み出そうとしているとき、プロ
ト中国シャンチー駒が、大きさとしてぴったりに
なるように調節しながら、中国人のゲームデザイナー
は、囲碁の九路盤に駒を交点置きして、シャンチー
ゲームを、完成させようとしていたのではないかと、
私は疑う。囲碁が盛んな国だったので、象棋の盤を
交点置きにしたのだし、副官駒を中国の王朝の制度
に合わせて2枚置きにしたかったので、縦9筋の9
路盤は、開発中のゲームをイメージしやすい、良い
開発道具と考えたのだろう。その時代、

聖目は9路盤の4段目だったので、兵卒も置きやす
かった

のだろう。そして試行の結果、段は9段ではなくて、
10段にした方が、兵卒が直ぐにぶつからないし、
馬アタリから見ても良かったので、

9路盤を真ん中から2つに切って、間に河を入れて
完成したというのが、現行の中国シャンチー盤の
正体

なのではなかろうか。その後、兵卒の成るルールが
河越に調節されたので、たまたま不要になって、中
国シャンチー盤からは、4個の聖目が消えたのだろ
う。その証拠に、今では、不要なので聖目はシャン
チー盤から確かに消えて、存在して居無いのだが。
当初は有り、2つの聖目の間隔が2升、つまり3路
だったので、聖目のラインを下に伸すことによって、

九宮ルールも、すんなりと思いつけた

という事なのではないかと、私は疑う。
 実際には雲南では、市松模様の8×8升目盤を
使っていたのかもしれないし、×の線、つまり、
ミャンマー式にシッケチュウの入った盤だったのか
もしれない。が、元々日本人には、囲碁盤は馴染み
があったので、それそのままよりも評判が良かった。
 また経帙牌の調達も頼まれたので、それに合わせ
て、中国開封でも馴染みの、第4路聖目9路囲碁盤
の、メッシュ調整済み品を日本の将棋用の盤として、
中国人の北宋交易商人(一例)周文裔が、西暦
1020年に、将棋の普及の為に、加勢して持って
来たのだろう。特に地面に線を書いて、将棋の練習
をする訳にも行かない、大宰府長官や少弐、大監と
言った、お偉方のゲーム用には、中国交易商人が、
ゲーム用の盤を送って来るようなケースが、実際に
有ったのではないかと、私は推定する。
 従って”自陣の駒は、敵陣の聖目に入ると皆金に
成る”という、いかにも中国伝来の囲碁盤を使った
ゲームルールの言い方は、日本の将棋が伝来して数
年程度後には既に有った将棋用語と、かなり疑われ
るのではないかと、少なくとも私には、そう思える
のである。(2019/08/11)

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