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牛僧儒はなぜ吐蕃国の象棋を岑順で書かなかったか(長さん)

本ブログの推定では、晩唐期成立の、中国の
怪奇小説、玄怪録岑順(小人の戦争)の将棋は、
中国雲南省付近を中心に存在した、南詔国のゲー
ムであり、牛李の抗争の一争点となった、吐蕃国
の象棋とは考えられないという事になっている。
 では、親吐蕃国的な政策を主張していた、
牛僧儒なり彼の仲間が、吐蕃国でなくて、唐と
吐蕃との間の緩衝国である、南詔の将棋を岑順
(小人の戦争)の中で持ち出したのは、どんよう
な経緯だったのかを、今回は論題にする。
 以下に、回答を先に書く。
吐蕃の都のラサは、国際交流が盛んな都市だった。

その為、そこで指される象棋は、イスラムシャ
トランジとほぼ同じだった。

これでは、中国国内の都市部で、大食人が指し
ているゲームを、小説の中に書いているのと、
実質同じであり、敢えて吐蕃のゲームを持ち出す
意味は無い。
 よって、吐蕃の都付近で指される、象棋を
玄怪録岑順(小人の戦争)の中では、使う訳に
は行かなかった。そのため、

やむなく、南詔の将棋を持ち出したとみられる。

では、以下に説明を続ける。
 現在チベットには、チャンドラキという、チェ
ス系のゲームを表す言葉が残っている。現在では、
西洋チェスそのものを意味する単語である。
 諸説あるが、世界の将棋の著者の一人の梅林勲
氏によれば、チャンドラキが西洋チェスを意味す
るようになったより前の、現地での意味は、

大臣が女王動きではなくて、猫叉動きのチェスに
近いものを指す

という。それは梅林氏の言う、モンゴルの弱シャ
タルと同じものである。梅林氏は、チベット
のチャンドラキは、その前にはイスラムシャトラ
ンジとイコールだったと、考えているようである。
 この考えを

本ブログでも、今の所支持する。

 従って、吐蕃国時代のラサでの象棋は、恐らく
雲南と異なり、イスラムシャトランジないし、そ
の類である可能性が高いと、今の所私は見る。
 つまり、晩唐の唐の都長安と、吐蕃国の都市の
ラサでは、

都市の人間の言う象棋が、ほとんど同じゲームを
指し、それは実質、イスラムシャトランジだった

と考えられる。物語上で、戦闘が終わった所で、
岑順の作者は、金象軍の勝因を”神の、ご加護に
よるもの”という類の、

囲碁文化と比較した場合に、将棋棋士を小馬鹿に
したような観戦記表現を、最初から取るつもりだっ
た。

ので、小説を書いている場所の近間に、プレーヤー
の居るゲームを、できるだけ、取り扱いたく無い
と考えたのだろう。そのため、吐蕃国との間の関
係で、”唐王朝は戦略的に同盟を結ぶべきだ”と、
牛派が考えていた、南詔国のゲームを、小説の中
で持ち出す方法を、思いついて実行したのではな
いか。
 以上の経緯で、吐蕃の象棋は、長安の大食移民
のゲームといっしょだったので、雲南・南詔国の
ゲームに、小説の中でのゲームの題材を、取り替
えられたのではないかと、私は考えるのである。
(2019/08/24)

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